[東京新宿] 淀橋浄水場,1950年代









淀橋浄水場,新宿,1950年代




☆淀橋浄水場と東京ガスのガスタンクの思いで
#工場
2017/1/25(水) 午前 3:24 新宿 日本史
以前にも書きましたが、再度記事にさせて頂きます。
かつて、現在の新宿福都心辺りにあった「淀橋浄水場」
文化服装学院とガスタンクと淀橋浄水場
地上を走る京王線と東京ガスのガスタンク(出典:新宿郷土博物館)
かつてのガスタンクは「パークハイアット・パークタワー(52階)に。(丹下健三設計)
「淀橋上水場」は新宿区角筈3丁目1番地(現西新宿2丁目)にありました。
明治時代、羽村から流れてくる玉川上水の水質が悪くなり、病原菌の感染の恐れもあったため浄水場の建設が
必須となり、角筈村の林や田畑を切り開き、整備し浄水場を造りました。
1898年(明治31年)、12月31日に通水(原水は玉川上水)
それから約67年間、東京府民、東京都民の水道の安全のため働き続けたのです。
小学生の頃、都内見学でこの浄水場を訪れた時のことは今でも忘れません。まるでおおきな湖のようでした。
木陰でお弁当を食べたことが今ではとても懐かしく思い出されます。
この広大な場所に「新宿副都心計画」が持ち上がり、1965年(昭和40年)3月31日にその役目を終えました。
その跡地には、昭和46年の「京王プラザホテル」が竣工し、その後、高層ビルが次々と建てられるようになったのです。そして東京都庁など高層ビルが乱立する新宿副都心が完成し、昔の面影をもうどこにも見る事は出来ません。但し、今でも都庁のそばに「東京都水道局淀橋給水所」は残っています。
地震などの緊急時の時のためのようです。
一方の甲州街道沿いにあった2基の大きな東京ガスのガスタンクは「梅屋敷銀世界」の跡地に、明治44年、
東京ガスの淀橋供給所として始まりました。この大きなタンクのある風景もとても懐かしいです。
このガスタンクは平成2年(1990年)まであったそうです。約80年も稼働していたことになります。
この事には驚きを覚えました。最後にお別れに行かなかったことが少々悔やまれます。
現在は52階建ての「パークタワー、パークハイアット」(丹下健三設計)になっています。
この高層ビルは東京ガスが所有しており、1階には東京ガスショールームがあります、最上部はホテルに
なっています。FC東京ファンの私としては嬉しい建物なのですが、やはりガスタンクの在る風景も大好き
でした。ガスタンクをバックに甲州街道の地上を走っていたという京王電鉄の姿は知りませんが、古き良き時代の新宿の歴史を、しみじみ感じます。

☆夢織人の街TOKYO散歩&思い出の場所Ⅱ
https://blogs.yahoo.co.jp/seven7271214/






1960s