[東京本郷] 本郷明神町, 1969年代の本郷



本郷明神町車庫付近







1969     
1960年代の本郷
「横浜はね。船に乗ってどこかに行きたいと思っている人たちが住んでいる場所ですよ」
そこまで,その晩が進めばもっと強い酒で幻想を煽らないでいられなくて,主人が持ってきた瓶に貼ってある札を見て,古木君が
「marcですね」
と言った。その晩は,それだけがこっちが選んだ酒で,その粗野で新鮮な味が港の気分に合っている感じがしたのであった。
偶然にそういう一晩を過ごすと,本郷がいっそうのこと本郷らしくなって見えた。あるいは 少なくともこっちにとっての本郷というものになって,おしま婆さんの家から電車通りと反対の本にしばらく行くと,道が下り坂に差し掛かる前に両側に立ち木で塀を見えなくするほど茂っている家が続くところに出て,空がその木々の間を流れるように拡がって,そこまで来るとなぜかalleeという言葉が頭に浮かんだ。
その道を坂の下まで降りれば,そのうちに不忍池に着いて,(判っている場所だから)その辺をそこ以外のどこだと思うこともなかったが,坂の上の道は両側に木が続く間は田舎の並木道の感じがして,田舎の道に並木が植えてあるのが日本でないならば,そこは日本でない外国でもよかったが,しかしそこは本郷の道の一つであって。これは簡単に電車通りまで行けばそこの眺めも本郷であることによって明らかであった。
そもそも純日本式の眺めというようなものはない。普通一般にそう考えられているのは浮世絵か何かの構図に縛られた頭で日本式と決めたものであって,かえってそのために日本らしくないことになる。かえって逆に日本的でない風景を方々に見なければならない結果を生じる。
例えばその純日本式には松が必要であって,しかし本郷には松がない。あるいはその頃は目に付かなくて両側に主に針葉樹が植えてある泥道や電車通りの砂埃や帝国大学のレンガ塀がひとつになって本郷という町を作っている。それが本郷以外の場所を思わせるのは,その眺めが日本式でないからであるというよりも,他所を思わせるのが一つの場所らしい場所の特徴であったからだ。
したがって本郷の街を歩いていて,それが自分の故郷でもないのに自分が住んでいる町にいる感じがした。それは人間が「何が目的で生きているのか」といった愚劣な考えを退けるのに足りて,夕闇が早く街を包んで,その中に灯く明かりが懐かしい色をしているから,私はそれが見えるところにいるのであった。
またそのことが確かだったから,季節の変化に応じて浴衣が単衣に変わって,単衣がもっと暑い日の単衣になって,そのうちに冬が来た。
もしある場所がその場所であることで他のどういうところも思わせるならば,ひとつの季節は後の三つの季節であって,例えば,秋で日差しが和らいだことが,冬に縁側でする日向ぼっこを連想させ,それだけ秋をより秋らしく感じさせる。
そしてそれは電車通りを走る電車の音を聞いていて,それをいつまでも聞いていられる気になるのを防げなかった。これは本郷の電車通りに立っているある一瞬があって,それがいつまでもあることになったことだろうか? そういう現在の連続のうちに我々は一生を終える。
ー東京の昔,吉田健一,1969年,     

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