1967
日比谷交差点から有楽町を回る。
まず交差点と国鉄ガードの中間から右に入ると映画館街である。
日比谷映画,
遊楽座,
東宝会館,
宝塚劇場
などが並ぶ。
映画館や劇場は,この地区ばかりではなくて,ガード向こうに
日本劇場,
朝日新聞社うらのピカデリー劇場
などがあって有楽町駅西側に
丸の内に
日活,
帝国劇場,
その他が群立して有楽町全体が大アミューズメント・センターとなっているのである。
有楽町界隈が浅草の向こうを張って映画興行の中心になりだしたのは,昭和4年ごろからであったが,特に戦後は大映画館ができて,
浅草が庶民の娯楽街,
新宿の学生と郊外に住むサラリーマンの娯楽街
だとしたら,有楽町一帯は
官庁街とビル街,ホワイトカラーやオフィスガールの娯楽街
である。封切館ロードショーが多く,シネスコ,シネラマもこの地区で始められて,最近発達の70ミリもこの地区で好評を受けている。
そして邦画6社はじめ洋画の配給会社がこの付近に集中して映画の動向を探っている。
特色としては, 20館以上ある映画館のうちで東映系の封切館がないことだったが,東映は西銀座に東映会館を立てて,有楽町アミューズメント・センターの仲間入りを果たした。
しかしテレビ映画の人気とともに今後この地区にどのような変化が起こるのだろうか。
都電の丸の内側を回る。
まず巨大な
日活国際会館
がある。昭和25年,まだ日本が戦争の痛手から立ち上がれない頃,潜函工法を進めて世間の話題になったものである。潜函工法としてこの建物は日本建築学会費を受賞している。
しかし潜函工法で有名な建物で有名な建物はここだけではない。
その近く堀の端に面し建っている第一生命ビルはわが国最初の潜函工法で作られたビルで,地下200mを超える第三紀層の上に築かれている。ナチスドイツ風様式ではあるが,終戦後占領軍のお気に召してマッカーサー元帥の占領政策の本拠になったのも不思議な因縁であった。
大ビルが日比谷交差点から丸の内一帯に続くが,その案内は次回にして外を回る。
ー東京風土記/城西・城南編,サンケイ新聞社編,現代教養文庫,1967年
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