1956
上野百貨店
「東京市は坂上の眺望によって最もその偉大さを示すと言うべきである」
と永井荷風も「日和下駄」の中で書いている。
緑一色に売られた関東平野の地図を見ると,大阪や名古屋のような沖積地と勘違いしがちではあるが,起伏の多い東京は土地土地の成り立ちが違っているのである。
はるかな地質時代,数千年前,現在の関東平野は浅い海の底に横たわっていた。
いくつかの川が関東山地を削りながら,その土砂や立木を運んで三角州を作る一方,土地全体が隆起して若い陸地を作り上げた。
しかしこの若い緑地はすぐに雨や風に打たれ水で削りとられて,海に運ばれて痩せてしまい,狭山丘陵,多摩丘陵といったようなところだけが残った。
こうして平たい台地ができ,その後富士や箱根の火山が大爆発をして,関東一帯に火山灰を降り積もらせた。
これが「関東ローム」と言われる赤土である。
上野の山の崖端には西郷隆盛の銅像が立っている。
戦後その足元の崖端を削り取って,上野界隈の露天商の人たちが共同出資で「上野百貨店」を始めた。
「広小路」は「明暦の大火」の苦い経験から防火地帯として計画されたものだが,民衆がこれを娯楽センターとして利用し一大盛場となった。
しかし今は昔。湯島と違って広小路には古風なウェットさはどこにもない。
「松坂屋さんには太刀打ちできませんよ」。
露天商が共同出資で始めた「上野百貨店」の庶務課長さんは頭から諦めてかかっている。
そういえば屋上からは「アメリカ実用改良服大安売」の大文字がぶら下がっている。
せめて上野駅に近い地の利は「上野百貨店」を持ち答えさせているのであろうか。
「池袋や新宿と違って,上野は奥行きがありません。並の商店街では客足が止まりません。伸びもしなければチヂミもしない。上野は発展性がありませんよ」。
田舎臭くて封建的で縮こまっているのが上野商人だと庶務課長さんはおっしゃる。
なるほど東北の玄関口・上野はそんなところかもしれない。
だが松坂屋デパートは今盛んに増築中である。
銀座・日本橋の中心街に向かう客は私をここまで引き止めるための止むに止まれぬ成り行きかもしれないが,限られた地域でデパートを取り巻く小露店街にとっては,人事と眺めておられる問題でもあるまい。
―東京歴史散歩,河出新書,高橋真一
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