オープン | '70年代後半~ |
所在地 | 東京都新宿区歌舞伎町1-21-1 東亜会館3F |
料金 | 19時迄は男性1800円・女性1400円 19時以降は男性2200円・女性2000円 |
解説 | 女性にターゲットを絞った大型のファッション・ディスコで、カンタベリーチェーンの代表的なお店。バイキング・スタイルを始めた老舗。 |
「カンタベリーギリシャ館」
歌舞伎町の東亜会館にあった大箱で、当時はこの赤いプラスチック製のカードは非常に出回っていたが、今となってはレア。メンバーズカードを持っていても特別な恩恵を受けられるわけではなく、結局町で配られている割引券と同じ入場料を取られた。たしか平日で1900円、週末は3000円。システムはもちろんフリードリンクフリーフードだったが、ウイスキーやビールは別料金。
酔わせてナンボ・口説いてナンボの世界だったので、常連はダルマに代表されるボトルをキープしたものだ。アルコールといえばコークハイなるまがい物があったが、これは自分が悪酔いしてしまうのでNG。オンナもボトルのキープ有無でオトコを見分ける習性があったので、高校生ながら見栄でちょい高めのボトルを入れたものだ。
で、激混みのドリンクコーナーには並ばず、スマートにボトルピッチャーで酒を差し出す。
これがナンパの秘訣だったかな・・・
「カンタベリービバ館」
ファッションディスコという表現が泣かせるなぁ。
これはギリシャ館と一体版のモノですが、青いプラスチックのメンバーズカードもあった気がする。
そのビバ館ですが、ギリシャより客層が良かった。
ギリシャはミーハー・初心者・田舎モノが多かったが、ビバはツウ・中上級者・地元モノが多かった。
79年ごろには新宿にしては早めにサーファー系に変身したし、客層もそれにしたがって大学生が多く、他よりも平均年齢が高かった。
曲も他が竹の子系が多くなった79年後半から80年代にかけても、ビバは六本木っぽい選曲をしており、達郎や竹内マリヤ!あたりがガンガンかかっていた。
「カンタベリーペルシャ館」
あの頃はカンタベリーハウス3号館という名前で、歌舞伎町ではなく三峰のウラにあった。
週末、東亜会館がエレベーター前から列ができていて、入れても芋洗いで踊るどころの騒ぎじゃなかったが、ここは比較的適度な混雑で踊りやすかった。ペルシャ館と命名されたのは1979年になってから。ツウ向けのミュンヘンサウンドがガンガンかかっていた。夏ごろからはどこよりも早く竹の子サウンドがかかりだし、めざせモスクワの振付もここが一番最初。YMOも1979年秋ぐらいからヘビーローテーションでかかりだし、元祖竹の子族発祥の地とも言われていた。
他の定番はビバカリフォルニアやナイトタイムファンタジーにマンズワールド。
他が輪になって踊るのが禁止になってからも、しばらくは黙認されていた。
個人的には非常に思い入れのあるディスコで、週3回ぐらいは行ってたかな。
ディスコ秘宝館
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