何が見たいかとのことなので、M101がいるかと聴いたらいるとのこと。早速案内してもらった。
M101は、親子電車を目的に製造された我が国唯一の電車だ。
親子電車というのは、電動車が付随車を引っ張る、間接制御が主流の高速鉄道ではごく当たり前の電車だ。
一方軌道では、直接制御が殆どなので輸送力を増強するには、文字通り電車を増発するしかない。
平時ならあるていど資金力がある所ならなんの問題もない。
ところが、有事体制下なるとそうもいかない。
新しい電動車を導入するわけにはいかず、電動機が故障して動けない電車や、すでに輸送需要に対応できなくなった大正生まれの小型木造電車をトレーラーとして、
大型電車が牽引する親子電車が戦時中には大都市でも多く見られたという。
M101もラッシュ時はトレーラーTc1を牽引し、それ以外は単行で走る予定だったが、繋げたり外したりするのが手間だったようで、殆ど連結されたまま運行についた。
親子電車方式は試作的要素がかなり強く、その後の登場電車が連接車になるにしたがって厄介者となった。
そこで、M101はトレーラーを捨て単なる路面電車として働くこととなる。
このあたりは、戦後の江ノ電の経緯によく似ている。江ノ電では混雑時に4両編成を組めない連結電車を放棄することになり、
1990年に600形を駆逐することで、オール連接電車となった。
一方札幌市電は、オリンピックに伴う市内交通の大幅な転換により、現存する山鼻・一条線を除き廃止となった。
これに伴い輸送力過剰となり連接電車が追放となった。
その際にM101はすでに単行専門となっていたため、リストラリストから外れ、結果として現在まで残ることとなった。
札幌から名鉄に渡ったA830は、あまりにも有名だ。
名鉄の軌道線全廃に伴い姿を消したが、路線が今も残っていたらA830のリバイバル塗装が見れたかもしれない。
案内してくれた職員の方の好意で、M101の車内も見せて貰えた。
最近では、雨漏りがするので雨や雪の日は動かせないとのこと。
M101は1961年登場だ。止むを得まい。
そんなボロ電車でもわざわざこれに乗ろうとする人種が存在する。
僕を含めた鉄道ファンである。
車内にテーブルがあるのは、北大の鉄研が貸切電車として走らせたからだという。
北大鉄研は毎年M101の貸切イベントをやっているそうだ。
ご苦労なこったと思ったが、こちらもこれからそんな列車に乗りに行くことをすぐ思い出した。
お互い様というやつである。(つづく)
一間斎の部屋 実車
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