[海外米国] Four Deuces〜1920年代禁酒法とアル・カポネの時代


 




[海外米国] Four Deuces〜1920年代禁酒法とアル・カポネの時代
岡田斗司夫: 1920年代,禁酒法とアル・カポネの時代
YouTube『岡田斗司夫ゼミ』
2017.5.4 
こんばんは。岡田斗司夫ゼミです。これ実は収録なんですよ。いつもはニコニコ生放送でしているんですけども,先週予告したとおり,今日のゼミはお休み。9月は日曜日が5回あるので,今日はお休み頂きます。その代わり限定解除ですね。毎月1日の限定解除として普段は有料会員向けの限定動画を期間限定で無料開放します。どんな動画かというと『ハンターXハンター』第1話の凄さについて語った部分と,あとアル・カポネの方が分量的にメインなんですけども,8月のアメリカ特集の続きにもなるので,ちょっといいのかなと思いました。この動画は,2017年5月14日に配信した岡田斗司夫ゼミ第178回を限定部分まで含めて1週間無料公開します。9月8日までの1週間だけの限定解除動画になりますので,お早めに観てください。それではここから限定解除スタートです。
こんばんは岡田斗司夫です。今日は5月14日のニコ生ゼミです。喉は何とか治りました。ありがとうございます。「エプロン」(コメント)これゴーストバスターズのエプロンというのをヨドバシカメラで売ってて,嬉しくて買っちゃったんだけど。やっぱ時々買ってしまいますよね。サイズとか関係ないのでね。「 宮崎駿の真似」(コメント)ほんとそうだね。宮崎駿っぽいよね。そういう風に言われりゃ。なんか一番最初解除する時のコメントとか見てたら,「モーリー・ロバートソン引退について一言」だっけ。モーリーさんがニコ生引退するそうで,モーリー・チャンネル閉めちゃうそうなんだけども。それは,前にモーリーさんと仕事一緒の時に「どうなりますか?」って訊いたら「テレビに出ちゃうと,どんどんどんどん本音っぽい喋りみたいなものができなくなっていくっていうので」って言ってたよ。毛利さんはやっぱりニコ生よりテレビを取っちゃうんだよね。それ,すごい気持ちはわかる。僕とか西野君とかホリエモンは,テレビよりこのネット配信を取っちゃう。多分こっちの方に未来があるという風に思っちゃうんだけども,その辺の差だと思う。だから,それはテレビから圧力がかかったとかいうよりは,何を自分の主戦場と考えるのかということなんだけど,モーリー・ロバートソンはさんはやっぱり,会社として売り上げはテレビで,ずっとその『ユアタイム』っていう番組で週5本も出てたら,それはもう絶対にそっちの売り上げの方が高いに決まってるから。まあそっちメインになっちゃうのは仕方がないよなという風に思います。
でもそのテレビの方がお金がいいっていうのも,もうケースバイケースだよね。ホリエモンがホリエモン新党みたいなの作ったじゃん。都議会に議員を出すというヤツ。あれも何故かって言うと,これはもう多分ホリエモンに訊いてもはっきり言ってくれると思うけど,何のためかというと,これはもうオンラインサロン『ホリエモンサロン』のためなんだよね。ホリエモンサロンというのが,1人毎月1万円課金してて,そこに何人来るのかがホリエモン/堀江貴文のメインになってる。一方でモーリーさんはテレビを収入源としてるんだけど,ホリエモンはホリエモンサロンを収入源としてるわけだ。なので,そのホリエモン新党みたいな形で人を出すっていうのは,それはなんか,それで評判になってホリエモンサロンにさらに人が入って,今ようやっと1000人いたぐらいだと思うんだけど,それが2000〜3000人になると,毎月2000〜3000万っていうビジネスになるわけ。そっちの方が絶対に自分自身が好きなことを言えて,で,うまくいけば都議会の議員も出せるかもしれないという風に考えるわけだ。前の昔のホリエモンのテレビしかないような戦略,メディアに対してのテレビしかなかったんだったら,自分の知名度を利用して参議院に立候補してっていうすっごい実は効率が悪い方法をやらなきゃいけないわけだね。そんなことやっちゃったら,昔ながらのタレント議員と何にも変わんないんだよ。でもそうではなくて,その橋本さんの大阪維新の会とかもそうなんだけど。大阪維新の会っていうのもそうなんだけど,全部自分自身が前出る必要がなくて,そうではなくて党員を増やしたり,サロンメンバーを増やしたりすることによってビジネスモデルというのを作るというやり方だから,多分これまでの政治とかタレントとか芸人っていう枠が一斉に溶けて崩れてる様を僕はその去年の2016年5〜6月ぐらいから,こういう状態を乱世って呼んでるんだけども。本当に乱世が目で見えるようにはっきりわかってきたなという風に思います。
■ 1920年代のSF
最初出してるの,これ何かって言うと,1920年代アメリカのSF雑誌『Amazing Stories』なんだよね。1926年の表紙。これ何かって言うと,赤い円盤みたいなやつが実は宇宙船なんだよね。ノアの方舟みたいなものを人類が作って,それに乗せてくれっていう風に人々が押し寄せてると。つまり1926年の雑誌なんだけども,その段階で地球になんか環境変化なんかが起きて,で,地球人はノアの箱舟みたいな円盤を作って,それで宇宙へ逃げようとしてるというようなものを描いてる。で面白いのは,円盤の上に煙突があることなんだよ。つまり,1926年の技術レベルで,地球製の空飛ぶ円盤を考えても,それは蒸気機関で動くという(笑) 石油石炭で蒸気機関で動くっていう‥なんか持ってる技術でなんとか辻褄合わせようって様がSFっていいよなって思うんだけども。これが1926年じゃん。今日の話のメインの話のシカゴでのアル・カポネっていうのは,1920年ぐらいが舞台なんです。1920年からだいたい30年あたりぐらいまで舞台の話なんだけども,ちょうど本屋さんにはこういう本が並んでた時代なんです。その1920年っていったらどんな時代だったかっていうと,その30年前の1890年代の資料がちょっとここにあるんだけども。…これって,アメリカ国会図書館にあるようなもので,多分俺が持ってる物の中で一番高価なコレクションなんだけども…
『Frank Read Library』って言って,これは1890年代のダイム・マガジン(Dime Magazine)という新聞をちょっと束ねたような雑誌なんだ。でここ見てくれたらわかる通り,「Stram Man」って,蒸気機関で動くロボットっていうのが出てきてるんだよね。スチームマン…つまりこういう蒸気で動く人間っていうので馬車を引っ張る。20世紀がどういう時代になってくるかってなるかっていうと,「蒸気でロボット動かして,それで馬を引っ張るような時代になる」って。つまり自動車っていうのは思いつかない。ヘンリー・フォードが最初の量産自動車のフォードA型とかを作るのはこれからだいたい30年ぐらい後なんだけども,全然そういうの思いつかなかった。ので,蒸気でロボットを作って,それで馬車を引っ張る。もうちょっと進化してくるとロボットで馬を作って。ので,ロボ蒸気でロボットを作って,それで馬車を引っ張ると,それがもうちょっと進化してくると,ロボットで馬を作ってで馬車を引っ張ると相変わらず動物を作って引っ張らせることしか思いつかないんだ(笑) さっき言ったようになんかガソリンとか蒸気機関で空飛ぶ円盤作るから煙突があるというのと同じように,手持ちの技術内で考えちゃうんだよね。俺が時々ソフトバンクの孫社長を,そんなんじゃねえよっていう風に批判するのは,ソフトバンクの社長の未来予測も僕にしてみればこれと似たようなもんで,現在ある技術を何とか辻褄合わせて未来予想しちゃう。でも未来っていう社会はそうじゃなくて,いきなり自動車っていうのが出てきたり,もしくは自動車なんてもういらないよって若者が言い出したり,セグウェイの方がいいよっていうところまで予想しないと,それは未来予想にはならない。そうじゃなかったら「科学技術がこんなんです,じゃあもうすぐ携帯は脳に埋め込みます」とか,もしくは「どんどんどんどんAIが進化していきます,AIの能力が人間を超えてしまう,今から10年後,15年後にはこんな技術ギャップが起こります」って,それら全ては蒸気で作った馬に馬車を引っ張らせようという試みと全く変わらないんだよね。ちょっと横に反れた。で何が言いたいのかっていうと1920年というのはどういう時代かというと,30年前まではこういう本が出るぐらいだから西部っていうのがあったんだよね。アメリカもそうなんだけど,日本もそうなんだけども,まだまだ大多数は田舎で,で,これから科学技術が機械の馬や機械の人間を作ってかもしれないというのがあるんだけども,まだ大西部というのがあって,そこにはなんか幌馬車がいて。で,そこには列車強盗とかがいた時代から,急激にそのドラッグストアで売ってる本がカラーになって,で,空飛ぶ円盤に人間が乗る時代っていうのがいるようになった。この劇的に科学の世界に突入した時代に,西部というものがなくなって高度科学社会になっていったというのが,この1890年から1920年ぐらいの30年間のすごく大きい変化なんだ。なので,ついこないだまで西部っていうのがあった世界の中のお話というのを今日はしようと思います。
■ ギャングというスタイル
今回はアル・カポネの話なんだけど,カポネの話行こうか。アル・カポネ(Al Capone)っていうのをアメリカ人が初めて意識したのはどの辺かって,そんなところから話していくんだけど,1920年代っていうのは,それは西部という時代がなくなった時代,アメリカの中から田舎っていうのがどんどんどんどんなくなっていって都会になっていったっていう前提をまず押さえといて。
で,1931年にフォックスが作った映画で『暗黒街の顔役』って映画があるんだ。で,これがそのワンシーンなんだけども,作ったのはハワード・ホークスだね。『赤い河』とか『リオブラボー』とかを作った名監督なんだけど,案外名前が知られていないというか評価されてない栄光なき天才の一人だよね。で,プロデューサーはハワード・ヒューズ。実業家であり,発明家であって「地球上の富の半分を持つ男」っていうのがすげーあだ名だよ(笑) 『アイアンマンシリーズ』のトニー・スタークのお父さんがハワード・スタークって言うんだけど,もちろんこのハワード・スタークっていうのはこのハワード・ホークスのモデルになった。その2人が組んで作ったのが『暗黒界の顔役』。実は映画作られたのは1931年。31年でも映画公開は32年で,1年間お蔵入りだった。何故かっていうと,あまりにも残酷な描写とか,あとギャングを美化してるとか,いろんな問題があってすったもんだして,アメリカで公開されなかったんだよね。で,丸1年間お蔵入りしている間に実は世間というのは変わっていてしまった。なんでかって言うと,ちょうどこの映画を作ってる最中にアル・カポネが逮捕されたからなんだ。アル・カポネが逮捕されたから,つまり実は映画を企画してやってる時はアル・カポネっていうのはアメリカの英雄の一人だったんだよ。間違いなくセレブの一人であったし,大統領になる前のドナルド・トランプみたいなポジションだったんだよ。ところが『暗黒街の顔役』撮られて,映画公開された時にはもうすでに栄光の座から滑り落ちて,1932年には逮捕されたんだけども,裁判の判決がもうちょっと後なので,まあまあこの頃はまだそんなに落ちてないとはいえ,アル・カポネ帝国に陰りが見えてきた時代でありました。
で,このギャングの定番みたいなボルサリーノ帽という帽子だよね。これに葉巻をくわえてるっていうスタイルはアル・カポネが作ったんだ。『アンタッチャブル』のロバート・デ・ニーロがやったアル・カポネもそうなんだけども,やっぱ僕ら「昔のギャング」ってどういう風なイメージがあるかっていうと,だいたい,こういうイメージ。日本でもマフィアが出てくる漫画って,『ハンターXハンター』のスーツってこういう帽子かぶって手に葉巻持ったスタイル。で,こういうスタイルについて,実は昔からそうだったんじゃなくて,アル・カポネがたった一人で始めたムーブメントだった。アル・カポネが人前で出る時に,なんかその「俺たちはスターなんだ,セレブなんだ,だからみすぼらしい格好やってちゃいけない」ということで,帽子かぶって葉巻持って,それをシンボルマークにしたんだよね。
で,前回もちょっと話した通り,カポネが25歳ぐらいの写真なんだけど,どういう風にみんなに紹介しようかと思ったんだけども,「 犯罪界のシャア少佐 」って言ってるんだけど(笑) 案外若い。まだ18とか19歳ぐらいでデビューして大活躍してるんだけども,若いのにやっぱすごかったんだよね。こういう風なことをやったというのは,あのジョージ・ルーカスがヒゲ生やしたのと同じ。『スターウォーズ』のちょっと前はヒゲがなくて,『アメリカングラフィティ』の頃にはスタッフが言うこと聞いてくれなかった。なので,ジョージ・ルーカスもスティーヴン・スピルバーグも無理してヒゲ生やして,とにかく老けた顔を作って,でそれでスタッフの人望を集めた。同じようにエイブラハム・リンカーンも昔ヒゲなかったんだよ。で怖い奥さんが「あんた髭生やしなさい」っていう風に言われて,「何故?」って言ったら「あんたの顔は頼りないからよ」って逆に言われて,ヒゲ生やしたらみんなあの演説を聞いてくれるようになったというのがあるので,基本的にやっぱりその若すぎるとダメだったっていうのがあった。ジャスティン・ビーバーとかがいけるような今と違って,若すぎると舐められてダメだったみたいなので,アル・カポネのこの二十歳ぐらいから老けてるフケ顔は統率してくには良かった。この有名な写真,前回も紹介したんだけども,これがシカゴの町に来た20歳ぐらいの時の写真だから,もう本当にフケてんだよね。デ・ニーロのカポネも,40代とか50代ぐらいに書かれちゃってんだよ。
■ 犯罪都市の形成
で,さっきも言ったようにアル・カポネがボルサリーノ帽とスーツ葉巻でギャングのイメージ作った。じゃあ,それまではギャングっていうのはどういう存在だったのか?って言ったら,なんかちょうどいい写真がなかなかなくて,映画のポスターで申し訳ないんだけど,実は覆面なんだよ。悪者っていうのは覆面してた。んで,これマジで何故かっていうと,幌馬車強盗とかそういうのがギャングの悪者の原型で,で何故覆面なのかというと,このマフラーの覆面っていうのは普段おろしてるんだよ。馬に乗って荒野走る時って埃とかすごいじゃんだから,それを吸わないようにグッと顔に上げてる。飲み屋とかに入る時に顔を見せるためにマフラーを下に下ろしてるんだけども,これをずっと上に上げげっぱなしのヤツっていうのは,顔を隠してるから悪いヤツだという記号になってた。なので,実は覆面だったんだよ。
それまでのギャングっていう言葉自体も,もともとは悪い意味じゃなかったんです。『チャーリーブラウンと仲間たち』っていう漫画をチャールズ・M・シュルツが新聞で描いた時に,「Charlie Brown and Gangs」って書いたけども,そういう仲間っていう風な意味しかなかったんだ。集団とか群れっていうやつ。「Charlie Brown and Peanuts Gang」という風に昔新聞と漫画ではそういう風になってたんだけども,それもやっぱりただ単に族ということでもないんだけども,なんかそういうトライブっていうのかな,なんかちょっとした仲間を示す言葉が「ギャング」だったんだ。ところがその禁酒法時代にアル・カポネ達が大暴れした時に新聞で彼らのことを「ギャング」っていうように呼んだので,犯罪的集団のことをギャングというようになったのも,アル・カポネ以降だった。
意外なことに,それまで犯罪者っていうのは街にいなかった。これ面白いことだよ。カポネ達がニューヨークとシカゴで大暴れする以前は,犯罪者って山賊だったんだな。犯罪者ってのは山にいて都市を狙ってきたり,もしくは都市に向かっていく電車とか幌馬車を狙うのが犯罪者。そして街にいるのは運命共同体だから悪いヤツはいない。なので,我々の街を銃で守る自警団というのが存在していた。これがそのさっきのフランク・リード・ライブラリーの19世紀後半までのアメリカの姿だった。ところが20世紀に入って1920年代ぐらいになると急激に都市の中で犯罪が起こりやすい環境に変わってく。
わざわざ『アンタッチャブル』観て予習してくれた人もいるんで,もうちょっと『アンタッチャブル』の話しようと思うんだけども,このカポネの写真に合わせてロバートデニーロは役作りをしたって言うんだけどさ。『アンタッチャブル』で撮られる時にデニーロはいきなりね役作りでイタリアに行くって言い出した。でも映画スタッフ全員びっくりして「いやアルカポネの資料なんてアメリカにいっぱいあります」って,アメリカで歴史が浅いからさ,ああいう20世紀になってからの人物って研究され尽くしてるんだよ。本当に評伝から何から研究書から何から,カポネの資料だったら100冊とか200冊を単位であるし,写真もいっぱい残ってるから,そんなイタリアに行く必要ない。「デ・ニーロさん何でイタリア行くんですか?変な人だ」ってみんな笑ってた。そしたらデ・ニーロ,イタリアから帰って来たら,体重14kg落として,頭の生え際の毛を全部抜いてきたんだって。1本1本手抜きで。ここまで合わせて来たみたいな。デ・ニーロ本人は割と明るい性格なんだけど,それまでの明るい落ち着いたデ・ニーロがいなくなって陽気で気障の荒いアル・カポネがそこにいたって。デ・ニーロはいなくなってカポネがいたっていうスタッフの証言が残ってるぐらいの。ここまで合わせてきてると。本当に気合入れて作った映画だったんだけども,舞台はシカゴだよね。
んで舞台はシカゴ。この間シカゴに行ってきたんだけどさ…本題始まらなくて申し訳ないんだけども,シカゴっていうのは犯罪都市なんだよ。「シカゴは犯罪都市」っていうのも変に聞こえるでしょ。何かって言うと,当時のアメリカの都市ってそれぞれ都市ごとにキャラクターがあったんだよね。ピッツバーグというのは鉄鋼業,デトロイトっていうのは自動車産業,ニューヨークはブロードウェイで,ロサンゼルスはハリウッド映画の町というのと同じように,シカゴは犯罪の街というのがあって,なんでそんなことになったのか?っていうと本当に犯罪が多かったからなんだけども。あのバットマンのゴッサム・シティ(Gotham City)のモデルっていう風に言われてるよね。ゴッサム・シティのゴッサムっていうのは実はイギリスにあるんだ。イギリスにある村の名前で,本当の発音はゴトムというのがあって。13世紀にイギリスの王様がそこを大名行列みたいにして通ることになってたんだ。で,当時のイギリスの王様の法律ってのはヘンテコで,王様が通る道っていうのはすべて王様の私有物になったんだって。なので,その町の人たちっていうのはその王様が通る道に沿ってある旅籠屋とかあと農家もそうなんだけど,それら全て王様に献上しなくちゃいけないっていうとんでもない悪い法律があった。ところがそのゴッサムの街の人たちっていうのは,一案を練って,村人全員が気狂いの振りをした。それで王様のなんか使いがいて「調査したら大変です,ゴッサムは全員キチガイです」ということになった。何が困るかというと当時精神病っていうのは伝染病だとされてたんだよね。映画『アマデウス』の中でサリエリが精神病院に入れられるじゃん。精神病院入れる時になんであんな隔離病棟みたいになってるのか?って,未だに精神病院っていうのは実はちょっとなんか閉じ込めるみたいな構造になってるよね。それは何故かって言うと,14世紀15世紀ぐらいまで,実は精神病っていうのは伝染病の一種であると考えられていたのが,なんかずっと繋がってるんだよ。だから『アマデウス』の中でサリエリはあんなものすごい閉じ込められた環境の中に入れられてるし,『バットマン』の中に出てくるアーカム・アサイラムという精神病院も,全てなんか人間を閉じ込める所になってんだけど。で,ゴッサムの村の人たちはこれ13世紀の本当の話でイギリスの王様をごまかすために全員でキチガイのふりをして「あんなところに行ったら,王様も王様の部下たちも全員キチガイが伝染ってしまう」ということで,ゴッサムの街は外れることになると。それでその愚か者の村は,実際は愚かに見えて,実はずる賢いんだという意味でゴッサムというのが使われるようになった。で,後にニューヨークのことをそういう悪徳の都ゴッサムというようになったんだけども。ところがさっきも話したように,実際に20世紀初頭のアメリカではリアル・ゴッサムってシカゴだったんだよね。
どれぐらいとんでもなかったかっていうと…もうそろそろ時間だよ,45分だから。時間なんだけど,もうちょっと一般放送で話させてね。
未だにこれ続いてんだよ。去年の5月のCNNの調査で,シカゴは殺人事件が相変わらず増えていて他の都市に比べて70%ぐらい多いんだけれども。例えば1920年代,シカゴのギャングのボスのアンソニー・ダンドレアっていうというヤツがいるんだけど,こいつが死んだ時に,組織には8000人行列が来て。で,あっちのお葬式って,いわゆる棺桶を友達とかそういうような人たちが持つじゃん。その棺を,判事が21人とイリノイ州知事が一緒に持ったんだって。ギャングが死んだのに裁判官とか州知事が一緒に担いで泣いてる。んでダンドレアが殺された時に,ダンドレアの奥さんは犯人を見たし部屋中指紋だらけだったんだって。でもシカゴ市警がすごい調査したんだけども,証拠は何一つ発見されませんでしたと言って犯人未だに捕まってないし,1927年のイリノイ州全体でギャングの犯罪で有罪率0なんだって。捕まるんだけども,無罪放免されるんだよ。基本的に何かあったら犯人みたいなヤツは見つかるんだけども,それら全て証拠不十分で全部釈放されちゃうんだよ。それは何故かって言うと,シカゴ市警っていう警察自体が買収されたからだんだよな。だから後にそのアル・カポネを捕まえるっていう,結局,彼は脱税で捕まったんだけども,その他にもいろんなアプローチで捕まえとしたことがあったんだけど,最終的にやったのがイリノイ州の警察がまず,シカゴの市の警察を逮捕しに行ったんだ。シカゴの市の警察の中に銃持って乗り込んで,「お前ら警察の人間は,この警察署から一歩も出るな」っていう風に監禁した上で,アル・カポネのところに乗り込んだっていう,とんでもないことがあったんだよ。
そんな時代でありました。じゃあなんでそんなシカゴになっちゃったのか。実は都市は犯罪が多いって言うんだったら,ニューヨークでも何処でも全部同じはずだよね。さっきも言ったピッツバーグにしてもデトロイトにしても。ところがシカゴだけが圧倒的に混乱に犯罪が多いのには実は理由があったんだ。で,その理由の大きい流れとしては,
シカゴ大火災,
黒人大移動,
ニューヨークの差別
っていうこの3つがあるんだけども,一番最初のシカゴ大火災から話してみるね。このシカゴ大火災の写真。もう本当に原爆が落ちた広島みたいな風景になっちゃってるよね。1871年のシカゴ大火災なんだ。農家の牛飼いのおばさんのランプが倒れてそれが燃え広がったという風に言われてんだけど,いろんな説があるんだ。ただ,はっきりしてるのはシカゴは別名「Windy City(風の街)」と言われてる位風がすごい強いんだよねそれもミシガン湖から流れてくるいわゆる淡水から流れてくる風なので,そんなに湿ってないからっとした風が街の中にガンガンガンガン吹いてるんだ。なので,1回火が出ると全く火が収まらない。で,街がもう本当にまるまる廃墟になってしまったんだ。そして10万人が露頭に迷ったといわれてる。残った建物って,市の水道局のレンガ造りの建物が1軒あるだけで本当に町中が全部燃え落ちたっていう風に言われてるんだけど。でもこの1871年の火事のおかげで,シカゴっていうのは都市計画がものすごい進んだんだよね。っていうのは他の都市っていうのはこんなに何もかもなくなったりしないんだ。シカゴって本当に火事でまるまる町がなくなっちゃったもんなので,全く新しいところでゼロから街が作れたんだよ。人口がある程度いるところにゼロから街が作れるなんてことはないんだよね。その結果どんなことになったのかっていうと,まずこんな火事が起こってはいけないという事でシカゴ市は木造住宅を禁止したんだよね。木造住宅を禁止してレンガとか石造りとか鉄を推薦したんだ。これによってシカゴっていうのは建築家たちの実験の場になった。シカゴの摩天楼と言われるすごい高い高層ビル。あれがニョキニョキ建ってメチャメチャめちゃくちゃかっこいい街並みなんだけど,それは何故かって言うとシカゴという町が一回きれいに焼けてしまって,木造建築が一切禁止されて,そこに建築家たちがワーっとやってきて再建のお金もいっぱいあるもんだから最新の建物がいっぱい建ったんだ。で,それに関して,どんな建物が建つのかとか,ここに建物が建つことによって,人がどういう風に動くのかとか,公共交通機関がどのように配置されるべきかという研究も進んだと。これがシカゴ学派っていう建築界の一大派閥なんだよね。今建築雑誌読んだらシカゴ学派っていう風に未だ出てくるんだけど,それは何故かというと,このシカゴが大火災で町が全部なくなって,そこに最新の実験都市が生まれる。どんどんどんどんビルが建って,それに対してどういう働きがあるのか,そういう結果ができたのか,人間というのがどのように動くようになったのかという研究が全て残されている。いわば地球上で多分ブラジリアとシカゴだけだと。そんなものがちゃんと残ってる。ブラジリアには人が移住しなかったから今廃墟同然になってるから,シカゴだけという風に言ってもいいんだけども。
で,これがシカゴの始まりなんだ。つまり火事で1回焼けてその後,これがシカゴの始まりなんだ。つまり火事で1回焼けて,その後高層ビルが建って夢のような街ができた。その後に1893年にシカゴ万博が開かれたと。この時何が新しいのかというと,街を電気で照らすというコンセプト出たんだ。さっきも言ったようにシカゴっていうのは,灯油のランプが倒れて,それが燃え広がってるから,電気ということに関してもすごいみんな飢えてたわけで,電気電気,電気,電気電気電気ということで街中白い建物がダーッとできて,そこにシカゴ万博のおかげで電気で明かりがついて,シカゴっていうのはアメリカで最初に電力が自由化された。おかげで電力会社が山のようにできて,そいつらが電気を供給したもんだから,ホワイトシティと呼ばれるようになった。そのホワイトシティっていうのがシカゴを明るく照らすという,まさに多分19世紀末の段階ではシカゴというのはニューヨークとか他の都市を圧倒的に引き離した完全な未来都市だったんだ。
でもいいことは長くは続かない。この後いわゆるシカゴに住んでいる富裕層とかにとってよくあったんだけども,貧富の差っていうのがどんどんどんどん拡がっていった。そこにとどめを出したのが黒人大移動。半年ぐらい前にミシシッピ川大洪水って話したの憶えてるかな,1926年〜27年に8ヶ月連続で豪雨があって,アメリカのミシシッピ川を中心として大雨が降ったんだ。それによって100万人が死んだっていう史上最大の大災害が起こったんだ。ミシシッピ川流域だから,本当にミシガン湖のあたりから南部に至るまでのだいたい14%が水没したっていう風に言われてる。14%ってすごいよね。水害で100万人が死んだんだよ。その結果500万人ぐらいが家を失って,同時に黒人の自由化も進んじゃったもんだから,もう農地がない。農業がこれ以上できないで水浸しだ。あと1年かそこらは農業ができない。どうなるのかっていうと,南部の黒人たちがもう1回ご飯が食べれるような場所を探して,北部の工業地帯を目指して大移動を開始したんだ。これがたった6ヶ月ぐらいのことで行われたもんで,シカゴの黒人人口っていうのは1年で20倍になって,その後数百倍にまで膨らんでしまったんだ。で,そのおかげでシカゴの中でスラム化がすごく進んだ。電気の力で明るくなったはずの街なのにスラム化が急激に進んでしまって犯罪が徐々に徐々に増えだした。つまりそれまでの時代って,さっき言った犯罪っていうのは山賊であったり盗賊っていう,街の外にいたものが,街の中にいる奴らが犯罪を起こすようになった。これがシカゴが崩壊していく始まりだったんだよな。
■ 禁酒法とアル・カポネの支配
じゃあこっから先の話はもうこんなめんどくさい話は裏放送でするぞ。ということで,ミシシッピ川の大洪水,黒人大移動の後でイタリア系の移民がどういう風なことになっていったか。なぜギャングっていうのが,マフィアって言っても何と言ってもいいんだけども,シカゴの街ですごいことが起きてしまったのか,という流れの話は裏放送でしようと思います。じゃあ裏放送の方へ切り替えてください。
数百万人,一説には500万人とも言われるんだけど,それだけの数の黒人が農地を奪われた。だってそれまで奴隷制だろ?南部なんて本当にプランテーションの中で奴隷として暮らしてて,自分の農地もなかったのが奴隷解放政策で,ようやっと地主さんから土地借りて細々と耕して食うや食わずの黒人の家族が,何千万人という風にいたわけだ。1000万人ぐらいがいたわけだ。そのうちの500万人ぐらい移動することになった。半年ぐらい前にも話したんだけど,それまではアメリカの国内で黒人を見るって言うのは南部に行かないと見れなかったんだ。北部のいわゆる都市部のところでは黒人っていうのはいることはいるんだけども,「黒人,今日見たわ」ぐらいの頻度ぐらいだったんだよね。ところが南部の黒人が大同して北部の方の町に来て,仕事を求めて労働力として工場とかで働くようになってから人種問題というのは出るようになってきた。実はそれまで隔離政策でもないんだけども,農地にしか黒人がいなかったから,アメリカ人っていうのは都市で住んだらアメリカ人だから黒人を見る機会自体が,僕らが思ってるよりもずっと少なかったんだよね。
その結果シカゴにも黒人が大量に押し寄せて,暴動がどんどん増えるようになってきたと。で,1919年の暴動って,どんな本でも載ってるぐらいすごいようなことになった。具体的にどうなのかっていうと,シカゴとかデトロイトってのは,黒人人口が20倍ぐらい増えちゃったんだけども…あんまり細かい話をしてもしょうがないんだけどね。黒人の話あんまりすると,ここから先イタリア人の話までできなくなってしまうから,ちょっと置いとくね。
で,そんな街にやってきたのがアル・カポネだったんだ。アル・カポネ自体は最初はニューヨークのサウスブロックスっていうあたりで小僧とか使い走りみたいなことやってたんだけども,ニューヨークではギャングとして一流になれなかったんだ。で,その結果シカゴにやってきたんだけども,シカゴという町はさっきも言ったようにもともとは大火災で何もなくなったところに未来都市ができてすごい豊かな土壌が出てきた。ところで黒人が急激に入ってきて,街が一気にスラム化するけど,それでもやっぱり相変わらず高い給料を取る白人たちはいたんだ。その結果どうなったかっていうと,どんどんどんどん裕福な白人達はSuburbと言われる郊外へ住むようになってきたんだ。で公共交通機関,いわゆる電車とかがどんどんどんどん整備されて,シカゴで有名な高架鉄道ってやつですね。地下鉄とかも作れるようになって,金持ちっていうのは町の外の田舎に住んで,昼間仕事がある時だけシカゴの市内に出勤して,帰りは田舎に行くっていうなんか不思議な逆転現象がおきた。それまでは街の中が安全で街の外が危険だった。中世の町とかも全部そう。パリにしてもヨーロッパの街にしても,全部城塞都市だから,街の中は安全圏であり,街の中心の一番高いところに教会の鐘があって,教会の鐘がカーンと鳴って,この教会の鐘が聞こえる範囲がキリスト教のいう正義が守られる範囲,教会の鐘ってはそういう意味でもあるんだよね。時間を告げるって言うのは何かって言うと,規則を人間に強いる。人間というのは本来は獣みたいなもんなんだけど,キリスト教による教導化によって…教導化つまり教えて導くことによって,30分後と1時間ごとにカンカンと鐘の音が鳴ることによって理性を保つ。だから,教会の鐘の音が聞こえる範囲,つまり,都市の城壁の中が文明の世界であって,その外は悪夢のような獣たちの世界だというのは中世の世界観だったんだ。それはアメリカをでも同じで,アメリカの中でも保安官とかがちゃんとルールを守ってくれる街があって,その外側には盗賊とか山賊とかがいた。それが黒人が都市に一気に入ってくることによって消しちゃうんだよね。街の中は暴動があって犯罪がいつも起きていて,安全なのは郊外であって,そこに対して馬車で,あるいはその頃ようやっと出てきた自動車というツールを使って毎日移動することが可能になってきた。ここら辺がアメリカのこの都市の出来方のちょっと逆転現象が面白いところだよね。
で,結局シカゴは黒人の暴動とかが原因の一つなんだけども,荒れに荒れて,1927年ではさっき言った蒸気機関の宇宙船でノアの箱舟で作ってるSFと全く同じ時代の1927年のシカゴの市長選挙では,ウィリアム・トンプソンというヤツが勝利したんだけど,ウィリアム・トンプソンというのは完全にアル・カポネの部下だったヤツなんだよ。これが市長になったぐらいで,でアル・カポネがこの時が頂点としてシカゴの街を支配したと。
で,この辺がシカゴ暗黒史の概略。1931年にシカゴ市長選でトンプソンが落選するんだけど,それまでだいたい4年間アル・カポネの天下が続いたんだ。だからカポネっていうのは「 犯罪の帝王」とか「夜の帝王」とか「生きてる悪夢」とか,色んな名前で呼ばれたんだけども,「暗黒街の顔役」とか色々言われたんだけど,実は黄金期っていうのは4年間しかないんだよ。で,それもほとんどが20代前半から半ばぐらいまでを一瞬にして,アメリカの犯罪史の中で駆け上っていって,自分のスタイル…服とか自分の価値観とか,あと自分がやりたい活動,急に金持ちになったから慈善活動とかいっぱいしたんだよな。もうスポーツのプロデューサーもやったし,シカゴの飢えてる人たちに対して無料の給食とか宿泊所とかをいっぱい作ったりして,実はいいこともいろいろやってるから,後になんかタイムの表紙とかにもなってるようなヤツなんだけども,そういう風な人が一瞬で力を持って一瞬で力を失っていくっていう,なんかそういう4年間だったんだ。
ここまでがざっとした歴史。カポネは今言ったように1930年にはタイムの表紙にまでなっちゃったんだけどさ。このタイム誌の号,だいぶ昔から俺これ買いたくて書いてなくてしょうがなくてebayとかで出るの待ってんだけど,なかなか出ないんだよね。すごかったらしいよ。全編よいしょ記事(笑) 1930年のタイムだからさ,この翌年に逮捕されるなんて誰も思ってないんだよ。なのでもう本当に「あなたがアメリカを変えてくれる」とか,なんでかそこまで過去の意思が集まったか?っていうと,時のクーリッジ大統領の事を,アメリカ国民が全員嫌いだったんだよね。クーリッジ大統領って,誰も守りたくない守れない法律の禁酒法というのをアメリカ中に敷いて,おまけに話す内容が暗くて,声もぼそぼそ小さくて演説が下手で人間嫌いっていう,なんか超変人大統領だったんだけども,その大統領がいわゆるアンチになっていて,なんかこうみんなが守れない法律を強要するクーリッジ大統領に対して,アル・カポネというのは自由で本音であって,一番僕たちが欲しいお酒っていうのを大量に持ってきてくれる,明るくて楽しいお兄さん。老けた顔してるんだけど若いんだっていう風なことで完全にヒーローになっちゃったんだよね。当時のアメリカではセレブだった。でもセレブだったんだけども,無料の食堂とか開いてたって言うけど,後でよくよく調べてみたら,俺が資料調べてみたところが,その無料の食堂の財源は何何だったかというと,町の食料品屋とか床屋から金を巻き上げて「無料の給食を作るから,お前たちもカンパしろ」と言って全部そいつらに出させて,実はアル・カポネは1円も出してなかったそうなんだけど(笑) なかなかエグい方法でセレブやってたわけだよね。
さっきも言ったように,アル・カポネってもともとニューヨークのサウスブロンクス出身で,当時のアメリカってとにかく圧倒的なイタリア人差別だった。これもちょっとだけ話したんだけども,今の日本人にはなかなか理解できないんだよ。何故かというとイタリア人っていうのは,ナポリからアメリカに行ってもさ,ナポリ出身とかシリア出身とかさミラノ出身とか出身地ごとで固まっちゃうんだよね。でおまけに食料品店があったりしても,ナポリのヤツはナポリ人がやってる店でしか買わない。シチリア人はシチリア人がやってる店でしか買わないというすごい排他的で,おまけに家でもイタリア語しか喋らないんだ。だからアル・カポネっていうのは小学校に入るまで英語で喋ったことがなかったんだ。小学校に上がった瞬間にみんなイタリア語じゃない言葉喋ってて,先生から「 英語喋れ」ってめちゃくちゃ怒られるんだ。でも家帰ったら「英語なんか憶えなくてもいい」という風に言われるんで,学校ではイタリア人っていうのはみんな低能だという風に思われたんだよ。何故かって言うと,いつまでたっても英語が覚えられない。彼らはもともと喧嘩っ早いし低能で英語も覚えられなくて,何かというと女をナンパばっかりしているろくでなしの民族だという風に本当に思われてたんだよ。このイタリア人差別の理由の一つは日本人にも原因があってさ。何故かって言うと,日露戦争で日本はロシアにバカ勝ちしちゃったじゃん。あれって,俺らが思ってる以上に西洋世界に大変なショックを与えたんだよ。で日露戦争で日本勝ったって。もちろんそれはイギリスの意地悪な戦略もあって,例えばロシアには粗悪な石炭を売って日本には高性能な石炭を売ってるから,バルチック艦隊なんかもう来る途中から負けが分かってたとかいろんな事情があるんだけども。ところが世界の人たちから見たら「え?アジア人が白人に勝つの?よくよく考えたらアジア人の方が西洋人より人数多いじゃん,しかもあいつらすごい熱心じゃん」っていうようなことで,チンギス・ハンがアジア大陸からヨーロッパに近いところまで全部征服して,で皆殺しにしたようにあんなことが起こるんじゃないのか?っていうのがあったので,白人対非白人っていう対立が明らかになっちゃったんだ。じゃあイタリア人は白人じゃないかって思うよね。違うんだって。イタリア人は偽白人だそうだよ。理由はいくつもあるんだけど,何故イタリア人はニセ白人なのかというと理由3つあって,一つ目はカソリックだから。
アメリカって,プロテスタント,もしくはピューリタンが中心になってるじゃん。なのでカソリックだというだけでもう差別されるんだよ。で,プロテスタントがアメリカには当時多かったから,もちろんそれだけ差別される。で,それで2番目の理由は,早口でやかましくて,ルールを守らない。ルールを守らないというよりはどちらかというと論争好きで人懐っこいもんだからさ。例えば保安官がこうしろって言ったら一応逆らってみちゃう。イタリア人って,それがイタリアの男だから男だから保安官こうしろとか市長こうしろって言ったら,一応大きな声で逆らっちゃうんだって。それを見たら,みんなやっぱりみんなイタリア人はやりにくいという風に思っちゃうわけだよね。で,あの同じカソリックのアイルランド人ですらイタリア人と結婚は許さないんだ。当時娘がイタリア人と結婚したり,息子がイタリア人の娘を嫁にもらったりしたら,もうおばあちゃんは「これでうちの家系は落ちた」っていう風に言った。1960年代ぐらいまで,まだイタリア人差別って続いてたんだよ。ヨーロッパですら,このヨーロッパの中ですらイタリアっていうのは差別の対象になっている。『トーマの心臓』という萩尾元の漫画があるんだけども,その中でもやっぱりそう描かれてる。ドイツのギムナジウムっていう寄宿舎製の中学校を舞台とした話なんだけど,その中に出てくるおばあちゃんが「あの子は金髪だからいい子,でもユーリ(主人公の男の子)は黒い髪を持っててラテンの血が流れていて,多分イタリア人に違いない,イタリア人っていうのは白人の血を汚す人だ」っていう風に言われてるんです。ヨーロッパの中でもそれぐらいの差別っていうのがあった。これが2つ目の理由ね。3つ目は帰化しない。いつまでたっても帰化してアメリカ国籍にならずに本国に仕送りしちゃう。『母を訪ねて三千里』っていうアニメで,ああいう風になりやすいっていうのは,本人が貧乏だから,どんどんどんどん出稼ぎに行って,絶対その国の国民にならずに,本国に自分のお金を全部仕送りしちゃう。自分はギリギリで生活しちゃう。そうするとどうなるのかっていうと,その国のお金がどんどんどんどんイタリアに持っていかれてしまうんだ。この3つの理由…カソリックである,早口でやかましくてすぐに逆らう,帰化しないで本国に仕送りする。さっき言ったイタリア人同士でしかお金を回さないというふうなこと,この3つでまぁだいたいイタリア人っていうのが差別された理由って判るよね。でもこれ,論理的な理由なんだよ。もっと感情的にイタリア人信じにくいっていうのがあったらしいんだよね。去年のニコ生でも言ったんだけどさ,マサチューセッツ州の知事が20世紀に入ってからの知事の演説で,「マサチューセッツ州にはまだイタリア人が一人もいないことを私は誇りに思います」っていう風に演説で言ってしまうぐらいのひどい差別がアメリカの中にあった。ニューオーリンズと言ったらさ,僕らが考えるのは黒人差別とかがあったところなんだけども,19世紀の終わりぐらいにニューオーリンズで,警官が怪我を負わされた事件というのがあった。で,その中で怪我をされて,後に病院で死んじゃったんだよね。その時にその警官がベッドで「イタリア野郎」みたいな悪口を言ったんだって。悪口の一つとしてモップ(イタリア野郎)って言ったらしいんだけど,モップっていう風に言っただけなんだけども,それでイタリア人が犯人に違いないというふうなことで手近にいたイタリア人を捕まえたんだよ。でも当然そんなもう証拠も何もないから証拠不十分で釈放されたんだよね。そしたら証拠不十分で釈放されたというのを抗議するために,その町の中心に抗議でもっていうのがあって,ニューオーリンズの町の中心で抗議デモというのがどんどんどんどん膨らんで,ウィリアム・パーカーソンという弁護士が寄付を募って150丁のタービン銃という集めて…無茶苦茶だよ,それを来たヤツにとにかく順番にハイハイって渡して,そのイタリア人は釈放され無罪になったんだけど,このタービン銃でまだ釈放されていないイタリア人たちを懲らしめに行こうということで,市民がガーッとデモ隊が暴徒になって警察署を襲って,結局その場にいた無抵抗のイタリア人を撃ち殺して,近くにいたイタリアっぽい顔のやつをどんどん首を吊るすという事件があったんだよ。それもなんか,そのパーカーソンっていう弁護士も無罪だったし罪に問われなかったんだよな。
アル・カポネが生まれた時代っていうのはそういう時代だったんだ。ニューヨークのサウスブロンクスに生まれたアル・カポネっていうのは,さっきも言ったように,子供の頃から家でイタリア語しか話さない。それは何故かって言うと,イタリア人差別があまりに圧倒的だから,英語をしゃべるんじゃなくて,イタリア語喋ってイタリア人同士を助け合わなきゃいけないという環境で育ってしまったんだ。で,14歳で地元ブルックリンでギャングの世界に入る。サウスブロンクスからちょっと移動してブルックリンまで行った。で,そこでギャングの世界に入った。そこで現金テストっていうのをされたんだって。現金テストって何かって言うと,当時のブルックリンのギャングで,子供がギャングの仲間に入ってきたら,全員がさせられたそうなんだけども,若いのは基本的にお使いとか伝言とか,そういうのは仕事しかさせてもらえないんだよ。テーブルの上に現金が置いてあるんだって。でこれがさすがイタリア人なんだけど,全員盗むんだってさ。だけどアル・カポネだけが,何百人ものイタリア少年の中でただ一人,現金を盗まなかったんだって。だから当時のイタリア差別ってある種正当性があるよ。だって俺は思っちゃうんだけど,アル・カポネはここで小銭盗んだら舐められると思って舐められるのが嫌で盗まなかったんだ。でもそれ以外の少年って,全員,「なんか俺偉くなって,なんか俺の尊敬してる人たちも全員ちょろ回してるから,俺もそういう風な立場になれたんだ」ってチョロまかすわけだよね。カポネだけが机の上の現金を盗まず,現金テストをパスしたおかげで,集金役を任されたんだ。集金役というのは何かっていうと,例えば都市には靴磨きの子どもたちがいるわけ。じゃあ,その子供たちに靴磨きをさせる時に一番最初に靴磨きをするために頭金15ドル払えと。で毎月毎月2ドル上納金を払う。これ実際の金額なんだ。当時1ドルあったら3日ぐらい暮らせたから,1ドルっていうのはなかなかの金額で,15ドルの頭金っていうのは本当になかなか集めにくかったと思うんだけども。靴磨きするためには頭金15ドルで,15ドル払わずに靴磨きやってるヤツは殴って仕事辞めさせる。で靴磨きさせたら毎月毎月2ドル。でこういう風な集金っていうのをカポネがずーっとやってたんだって。
で,本来なんかこういうヤツだともっと出世できる。特に第一次大戦が1919年に終わったので,アメリカってには膨大な数の兵隊が返ってくるわけだよね。で,人口がニューヨークでも増えて,でそれまでヨーロッパに対してすごいコンプレックスがあった。アメリカ合衆国という国は,もうどうしようもなくなってるヨーロッパに必要もないのに派兵して,助けに行って大戦で勝って,工業先進国であり,未来の国になるはずのドイツを徹底的に打ち砕いて,アメリカのお金で勝てたっていう鼻高々の状態なんだよね。だからニューヨークというのはさ,1919年第一次大戦が終わって兵隊が帰ってきた時って,すごい好景気に浮かれてたんだけども,アル・カポネだけはそういう恩恵が全然回ってこない。何故かって言うと,ナポリ出身だったんだよね。ナポリ出身でシチリアでもコルシカでもないんだ。つまりマフィアでもカモンらにも入れないわけだ。ここら辺はマーティンスコセッシの『グッドフェローズ』って映画の中に描かれたそのまんまなんだけども,同じイタリア人の中でも差別っていうのがあるんだよな。ナポリ出身だから信用できないとかさ。そういう風なものがあるので,ナポリ系だからダメだということで,カポネの友達でカポネよりダメなヤツがシチリア島出身だからということで,どんどんどんどん幹部に登用されていって,カポネに命令するようになってしまう。こんななんか理不尽な状態になってったんだ。でもうこれで,同じイタリアの出身地で差別されるんだということで,アル・カポネっていうのはニューヨーク諦めるんだ。ここら辺はアル・カポネの研究者いっぱいいるんだけど,何故アル・カポネがニューヨーク諦めたってことになったのかの決定的な理由っていうのはどこにも書いてないから,多分まあここら辺が原因だろうと。一つ分かってるのが,シカゴっていう街はまだニューヨーク系のマフィアも支配してない。ユダヤ系のマフィアも支配していない。で,黒人も暴動起こしてるんだけど,統一勢力みたいなものがない。イタリア人がもう1回あそこで事を起こすんだったらシカゴしかないぞということで,シカゴにいわゆるコルシカ,シチリア以外のイタリア人の犯罪予備軍っていうのがどんどんどんどん吸い寄せられていった。
もちろん,それは黒人が暴動を起こしていって街全体の景気は圧倒的にいいんだよ。売り上げがすごく高いから犯罪というのが起こるようになってきた。そこに出てきたのが禁酒法だよな。1920年,ちょうどカポネがシカゴ行った時に禁酒法というのができてしまった。禁酒法っていうのはもう本当に悪いことだらけな‥何が悪いかって言ったら,まあ酒飲んじゃいけないっていうのもそうなんだけども,そんな法律を守るはずがないんだけど。なので,実はアメリカというのも,さっき言ったようにピューリタンの国でありプロテスタントの国家だから,実は法律っていうのを守るんだよね。それまで禁酒法ができるまでのアメリカ人というのは,実はバカみたいに法律を守る,かなり真面目な民族だったんだよ。ところが禁酒法ができたおかげで,法律を守らないことが当たり前になってしまった。何故かって言うと,明るく毎日生活するためにお酒ぐらいいるわけだ。それを見逃すことが正しいことになる。つまり法律っていうのはあるはあるんだけども,それの裏をかいて生きることが人間らしいことだ,法律を守らないことが当たり前のことだ,いい警官っていうのはお酒を取り締まるんじゃなくお酒を見逃してあげることが人情のある警官がやることだっていう,こういうコモンセンス一般常識っていうのがアメリカの中にわずか1年か2年の間に出来る。真面目で法律を守るアメリカ人が一斉になんかダメになってしまった。ちょうどその中学校・高校時代は朝8時半に毎日毎日学校に行ってた学生が,大学生になった瞬間に,いかに授業をサボったら自分が得なのかってダメになってしまうと,全く同じように,アメリカ人を本当にまるまるダメにしてしまったのが禁酒法だったという風に言われてる。前回も話した…これだね,俺の大好きな…1920年代にシカゴにやって来たアル・カポネが最初にやったのがフォアデューセズ(Four Deuces)でビルを作ったという話をしたよね。
1階 酒場
2階 飲み屋(軽食堂)
3階 カジノ
4階 売春
地下1階 拷問場
というとんでもない夢の犯罪宮殿。このフォアデューセズというのが悪の巣窟だっていうのは,シカゴ市警から市長から全員知ってたんだけども,「いやいや,そこは酒場です」とか,「いやいや4階は売春宿ではないです,中古家具屋です」っていう風にみんな嘘ぶいてた。だって市長が毎日通ってんだからさ,警察署長が毎日通ってんだからさ(笑) そこの地下で拷問が行われてんのみんな知ってんだけど…すごいよね,年がら年中悲鳴があったんだけど,誰も通報しないというところだったんだよな。で,カポネはシカゴの中では一応市長を自分の部下から出して,ほとんどシカゴ市を支配してたもんなんだけども。ところがシカゴを支配するようになったら,アル・カポネだけというわけにいかなくなったんだよ。結局,アルカポネと対立勢力の他のイタリア人のギャングたちもどんどんどんどんシカゴの甘い餌に向かってくるようになってきて。だって何が甘い餌なのかって言ったらさ,アメリカ人がその時に一番飲んだ酒ってビールなんだよね。で,ウイスキーとかワインと違って,ビールっていうのは醸造所っていうのがいるんだよね。つまり工業製品なんだよ。言い方悪いんだけど,半ばビールっていうのは,ビールを作るためには工業設備が必要だ。そういう工業設備っていうのは,焼酎とか日本酒みたいなものをこっそり作るんだったら,部屋一つでできるんだけど,ビールっていうのは膨大な工業製品であって,電力なり何なりが必要なもんだからさ,あのそんなものを運営してたらバレないはずがないんだよ。匂いもするしなので,本当に警察署ごとまるまる買収することが必要で,当時そのシカゴの警官っていうのは本来もらう給料よりアル・カポネからもらう給料の方が高かったっていう位みんなに金配ってないとビール工場なんて運営できなかったんだよね。他の酒とは本当に作る規模が違うんだよ。そういう風な形で酒とかがどんどんどんどん,もうほとんどオープンに売られてるのは禁酒法の時代なんだけど,誰でも飲めるようにしちゃったおかげでニューヨークから追い出されて,アル・カポネがシカゴに来たようにアメリカ中から追い出されてきたチンピラたちがやっぱりアル・カポネの座を狙うようになってきたということで,シカゴの中がすごい不安になってきた。アル・カポネを年がら年中命を狙うになったと。だからカポネはレキシントン・ホテルっていうホテルのスイートに住んで,周りガードマンでいっぱい固めてたんだけど,それは映画『 アンタッチャブル』の中でアル・カポネの栄光を象徴してるように描いてるんだけど,実際はカポネは当時ガードマンに本当にマジで20人ぐらい周りを回らせないと,命が1日でも生きてられないという風に言われたぐらい,お互いに命を狙い合ってるような状態だったんだ。で警官たちを買収してるから,やっぱ警官たちも買収次第でどっちにも動くという状態だったので,本当になんかギャングたちはギャングで自分たちで身を守るしかないような状態だったんで,シカゴ危険すぎるということで,シカゴからだいたい車で20分のシセロっていう町,俺がホットドック食いに行った町なんだけども,シセロという町はもうゼロから犯罪都市として作り直して,それまで本当に家具屋しかなかったところに完全にビール工場とか,酒瓶のラベルを印刷する工場も作って犯罪都市として完全に作っていって運営していたと。
さっき言ったようにカポネの頂点って,多分1927年にトンプソンていうシカゴ市長を自分のところから出したことなんだけどさ,その前の年の1926年ぐらいからギャング戦争が激化していたと。で,ギャング抗争選手は激化していって,新兵器が投入されたんだよね。これがトンプソン機関銃(トミーガン, Tommy Gun)ってやつ。ウィリアム・マクスウィギンっていうヤツを殺す時に,新兵器のトンプソン機関銃というのを作った。これはちょっとおもちゃで買いたかったんだけど。アメリカの陸軍大佐のジョン・トンプソンてヤツが開発した,トンプソンさんが作ったから,トンプソン式機関銃/別名トミーガンという風に言われてるんだよね。まあ,ザクマシンガンと全く同じデザインだ。で,もともとこれって言うのはトンプソン大佐が何故こんなの作りたかったかっていうと,大戦で必要だったから。第一次大戦で悪夢の新兵器って言われたものが3つあった。それ何かというと
1 鉄条網
2 機関銃
3 戦車
鉄条網って実にシンプルにハリガネにトゲトゲがついてるというだけで,人間が向こうに行けないんだよ。で,この鉄条網を戦場に張り巡らされて兵隊を動けなくしたところに,1分間に700発とも1000発とも言われる弾丸を発射する機関銃のおかげで西部戦線っていうのは50センチとか30センチっていうのを動くために数十万人の人間が死んだ。人類史上最悪の戦争という風に言われたんだよね。この鉄条網と機関銃のおかげで本当にヨーロッパの人たちがボンボンものすごい殺された。3つ目の新兵器っていうのはその鉄条も超えるために発明された戦車っていう兵器。この3つが第一次大戦の3つの悪夢なんだけども。この当時の機関銃って実はものすごい重いんだよ。4人か5人がかりで運んで,セッティングも大変なんだよ。さて,ジョン・トンプソン陸軍元陸軍大佐がアメリカに帰ってきた時に,これを個人用の運べる銃にできないかって考えた。いわゆる戦艦戦艦に乗せるビーム兵器をモビルスーツが持つというのかみたいなもんだよね。つまり戦場で何人がかりで,車で運ばなきゃいけないような機関銃を個人で持てるようにするっていうえげつないことを考えたのが,トンプソン大佐で,結果できたのがトミーガンなんだ。このトミーガンっていうのは1分間に1000発銃弾をばらまくことができたんだけども。ところが完成した時にはもう大戦が終わっちゃってるんだ。なので,軍隊がまずこれいらないと言った。次に警察に納品しようとしたら,トミーガンは威力が強すぎて狙いがつけられないと。狙いがつかなくて,バーンと玉をぶちまけるだけになるから。これ,警察はこんな誰に当たるかわからない兵器はいらないと言ったと。さあ,どうしようと。1分間に1000発の銃弾をばらまいて,おまけに売ったら誰に当たるかわからない…これ誰が買うんだ‥っていったらアメリカ中のギャングが「僕が買います」って。これを最初に目をつけて正式採用したのがアル・カポネだった。で,アルカポネが,さっきも話したウィリアム・マックスウィギンっていうヤツを殺す時にトミーガンを持った5人組で襲って,車の中からそれまでの銃だったら車から引きずりをして打たなきゃいけなかったのが,車に乗ってるヤツにトミーガンでブワーッと撃ったから,あっという間に車のドアの鉄板なんかベコベコに凹んで穴だらけになって,ガラスは粉々。車の中にいるマックスギンは本当にひき肉のような状態になった。そりゃそうだよね。5人がかりで1分間に1000発出るトミーガンで弾無くなるまで撃ったんだからさ。そんなことになるに決まってんだけども。でこの威力を見て後にアメリカ陸軍と警察がトミーガンを採用するようになったっていうので,もう何考えてんだよこれっていう状態になっちゃった。ので,シカゴのあるイリノイ州ではこのトミーガンが販売規制ゼロで,ドラッグストアとかスポーツ用品店で売ってたんだって。酒より入手が簡単と言われて,みんなガンガン買った。以後映画の中でもこのトミーガンというのがすごい使われるようになって,別名,シカゴタイプライターと呼ばれた。シカゴでタイプライターの音がしたら,それはタイプライターではなく,トミーガンだという風に言われるようになったんだけども。
■ カポネの凋落
さて1926年っていうと,もう一つ変化があったよね。それは何かって言うと映画に音がついた。それまでの映画のサイレント映画で名作文芸作というのがどんどん出てきて,ジョンググリフィス監督とかも名作とかを出してたんだけども。ところが映画に音がつくようになった。最初は舞台とかジャズシンガーとかそういう風な映画で音楽映画みたいなものがメインだった。ところがこういう高級なものでは,客というのは喜ばないんです。トーキーの時代になって映画が聞こえるようになったら,みんなが何に興奮するのかと。実は,ヌードが出せない,女の裸はヘイズコードって厳しい規制で出せない。でもみんな興奮したいじゃん。そうなるともうバイオレンスなんだよ。セックスとバイオレンスのバイオレンス,そしてスピードなんだよ。で,トーキーの映画でギャング映画が後に大流行りにすることになるんだけど,なんでそんなギャング映画が何故流行ったかっていうと,このトミーガンの音のおかげなんだ。映画館の中でみんなバラバラとかっていうような機関銃の音を聞いてすごい興奮して,映画の中で血まみれになってギャングが倒れるのを見て女の人キャーって悲鳴あげるんだけど,男たちは大興奮するんだよね。このトミーガンの音ともう一つギャング映画を成功させたのがストックカーなんだ。ストックカーっていうのは今ではストックカーレースっていう名前で知られてるんだけど,ストックというのは在庫のことなんだけども,工場の在庫のままで無改造の市販車のままでレースをやることをストックカーレースって言うんだけども。もう一つ,実は裏の意味があるんです。ストックカーっていうのは実は酒場のお酒の闇で売ってる,闇の酒場の在庫を運ぶ車のことなんだ。で,これが早く届けたもん勝ちでお店が買うもんだから,シカゴのギャングたちは。車っていうのの性能を最大限にチューニングして,で酒の在庫を乗せて車をぐーっと走らせて爆音を上げて,シカゴの街を酒の在庫を積んだ。車がレースしながら公道レースやったんだって。その風景とトミーガンの爆音っていうのをトーキー映画の中でやったもんだから,爆発的にヒットした。未だにアメリカ人が好きないわゆる銃撃戦ものとカーチェイスものというのはアメリカのエンターテインメントになってるでしょ?それは何故かって言うと,1926〜1927年あたりのシカゴの状況っていうのが当時その『暗黒街の顔役』とかで忠実に再現したおかげで,もうみんな燃える燃える燃えるていうような状態になっちゃったんだよ。9時半だ終わらなきゃ。で,さっき話した『暗黒街の顔役』っていうのは,これが1930年か31年の映画なんだけど,この前に『犯罪王リコ』とか『民衆の敵』っていうのが映画化されたんです。これがさっき言ったギャング映画の走りみたいな大名作みたいなヤツなんだけど,これはこういう名前ついてんだけどもさ,もう完全にヒーロー扱いなんだよね。だってさかっこいいじゃん。どう考えてもこんなお揃いの帽子で背広着た奴が,花束の中にマシンガン隠してバリバリ撃ってさ。女の人はキャーキャー叫んでさ。男はみんなうわーっていう風に思っちゃったんだから,もう完全にギャングっていうのがヒーローになっちゃった。アンチヒーローという風に言われるんだけども,ヒーローになっちゃったんでね。
で,このタイムの表紙にもなったのが,アル・カポネの栄光の頂点だったんだけどもね。慈善家としてとか,ジョン・デンプシーというアメリカを最も熱狂させたボクサーがいたんだけど,そのボクサーとも親友で,ベーブルースとも友達でっていうのが本当にスポーツ界の大館物でもあったし,実業家とも紹介されたんだけども,これがまああたりがこの頂点で,翌1931年に逮捕されちゃうんだ。で,この『暗黒街の顔役』がやっと32年公開されたんだけど,公開された時にはもうその時にはアル・カポネっていうのは刑務所に入ってしまっていたという風な状態でした。逮捕されてからのカポネは割とめちゃくちゃ真面目な囚人だったそうで,一番最初逮捕されて1年目,イリノイ州の刑務所時代はカポネの声が届くようになってるっていうか,顔は効くから個室与えられて,ほぼホテルにいるのと同じ暮らししてたという風に言われるんだけど,その1年後にいわゆる脱出不可能と言われるサンフランシスコ沖にあるアルカトラズ刑務所に移送されて,そっからは結構いじめも受けてたらしいんだけども,「そこのイタ公」と言われたり「おい太ったヤツ」っていう風に言われたりしたんだけども,一応なんかカポネに昔世話になったやつがボディーガードみたいなのになってたんだけども,まあ結構毛布かぶって泣いたりとか,いろんな辛いことがあったらしいよ。と同時にアル・カポネはニューヨークで若い頃にもらった梅毒っていう性病があったんだけども,その性病がだんだんだんだん頭の方に回ってきて,で35歳超えたあたりからはもう半分意識がない時もあったような状態だったらしい。ペニシリンっていうさ抗生物質が梅毒に効くっていうので,大学で人体実験で最初に民間人の治療に使われたのが疲れたのがアル・カポネだったっていわれてるけど,もうその時に40歳近くになってきたんで,症状が進みすぎたんで効かなかったんだってことで,なんか最期は,一応アルカトラズ刑務所で10何年の刑に服して,満期で釈放されて,家族のところにその後梅毒の治療して戻ったんだけども。当時懐かしんで昔の仲間が来たんだけども,あんま話通じなかったらしい。本当に今コメント流れたんだけど,太くて短い人生だよね。
何だろう?アル・カポネが好かれて,その代わりに嫌われたクーリッジ大統領っていうのが大統領を辞めて禁酒法が撤廃されて,ルーズベルト大統領になってニューディール政策っていうのが始まってさ。で禁酒法がなくなって,代わりにネバダ州でカジノが合法化される。でギャングたちはああ禁酒法自体が終わりだ…つまり,もう俺たちは街の中に根を張って生きることができないと。犯罪というのは別のビジネスにしなきゃいけないというふうなことで,ラスベガスへ向かうようになって,ゴッドファーザーの時代へ流れていくっていうのが,このあるカポネの話の最後のところであります。長い話だったけど最後まで聞いてくれてありがとうございます。

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The Four Deuces
 (2222 South Wabash)
The 2200 Wabash block was in the heart of Chicago's South side Levee. Gamblers and roughnecks would drink, gamble and whore away their hard earned wages for moments of fleeting pleasure. Many establishments could be found in this immediate area, but none would become as infamous as the Four Deuces.

My Al Capone Museum   
https://www.myalcaponemuseum.com/id152.htm
https://www.myalcaponemuseum.com/id79.htm





[動画][資料] 岡田斗司夫公式チャンネル
https://youtube.com/@toshiookada0701

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