[韓国ソウル] 京城駅







京城駅~もし落選案を採用していたら?
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2012/8/7(火) 午後 11:40
駅舎建築を見る 建築デザイン
■京城駅
今回は、海外(外地)に移り、京城駅。
見事な駅舎は、東京駅と同じネオ・ルネサンス様式の赤レンガ駅舎である。
また、竣工した年も同じ、大正14年(1925)である。駅としては東京駅が新設による開業だったの比べ、京城駅は少し早く、
1900年に開業している。
戦後は「ソウル駅」となるが、2003年、駅舎としての長年の役目を終え、現在は、韓国の史跡に指定され文化財として復元され、大切に保存されている。
中央に塔屋を持つシンメトリー構成で、窓、屋根と各パーツが絶妙なバランスで配置されている。
実に安定感のある見事な建築である。アーチを描く弧が、随所に近すぎず離れすぎず配されいる。
特に、1階からドームまでのアーチの軽快な連続性は、見ていて心地よいものがある。
東京駅丸の内駅舎と似ていることから、よく辰野金吾の設計と誤って紹介されていることもあるが、
全く異なるので要注意だ。
当時、辰野は東京駅に忙殺されていて、とても外地の設計など出来るはずがない。
その設計(建築意匠)を担ったのは、塚本靖とラランデでである。
塚本靖は、建築学会会長も勤めた、建築学・工芸のオーソリティである。
もう一人は、ゲオルグ・デ・ラランデ。
ドイツ人建築家で、明治期に来日し、日本で活躍した建築家である。“風見鶏の館”で知られる
旧トーマス邸(1909)や、旧オリエンタルホテルを設計しており、神戸にも所縁がある。
また、当時の朝鮮で総督府の建築家として携わっており、総督府庁舎の基本設計(1925)でも有名である。
この京城駅の設計も手掛けていたが、ここ朝鮮で倒れ、いずれも完成を見ることなく亡くなってしまった。
■中之島公会堂
さて、東京駅ともうひとつ似ている建築に、大阪の中之島公会堂(大阪市立中央公会堂)がある。
大阪市立中央公会堂(中之島公会堂)
こちらは、非常によく似通っている。
中之島公会堂は、大正7年(1918)に竣工しているので、むしろ似ているのは、京城駅の方である。
今からちょうど100年前の大正元年(1912)に、この中之島公会堂の設計競技(コンペ)が行われ、
13のプランの中から、当時まだ新進気鋭の岡田信一郎の案が選ばれた。
面白いことに、このコンペに、当の塚本靖も参加していたのである。
これが 塚本案のパース図。ドイツ風だろうか、お手本どおりの様式で、他の案に比べても些かインパクトに欠ける。
中之島公会堂と京城駅の竣工した時間差に、7年の開きがあるので、穿った見方をすると京城駅は岡田の公会堂の盗作とも取れなくない。
しかし、そうではないだろう。先ず、負かされてしまった案を模倣するほど間抜けなことはしないだろう。
逆に、落選した自分のプランを実現してみせて、世に己の力量を問う機会と捉える方が妥当だ。
まあ、このことは“建築様式”(ここではネオ・ルネサンス様式)が、ある程度固定化された中で、意図せずに似通ってしまうジレンマと言えなくない。
お遊びで、面白く考えてみると、ラランデが先に没しているので、塚本がゴリ押しに自分の公会堂落選案を捻じ込んで、京城駅で実現させていたならば、その後の京城駅(ソウル駅)は、全く異なっていたかもしれない。なんてね。

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