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[東京多摩] 高橋是清邸













[東京多摩] 高橋是清邸
そろそろ、2.26事件も近いのですが、その日は仕事のため、訪問できないので、本日、高橋是清邸を訪問。
建物は、現在では再現不可と言われる総栂普請。この建物は、2.26事件以降尾は、多磨霊園に食堂部分と母屋等が寄贈され休憩所として使用。1993年に江戸東京たてもの園に移築のうえ、保存。
高橋是清邸のほかの部分は、赤坂に遺されたものの空襲で焼失、高橋是清の息遣いを感じられるのは、この部分のみとなりました。
邸宅は1902年に竣工、食堂部分は和洋折衷となっており、ほかの部分は和の禅寺を基調とした佇まいとなっています。

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[東京銀座] 日本劇場,日劇~劇場/映画館,銀座名所













1940s




1940
昌治は楽しそうな笑いを湛えて
「実は,井の頭へでもと思ったんだが,この人出では電車が大変だから,月並みではあるが,銀座へ出てキネマでも見ようと思って,地下鉄の切符を買っちゃったんだよ」。
「結構ですわよ」。
2人は改札口から肩を並べて階段を上った。
銀座で下車して松屋の地下室へ出たが,
「ね,お雪さん。僕は昼休みは大抵この屋上で過ごすんだが,今日は君に僕の安息所を見ておいてもらおかな」。
昌治はずんずんエレベーターの前で歩いて行ったが, 屋上へ出ると
「こっちだよ,こっちだよ」
先に立って屋上の西側へ歩いていった。そこからは,晴れた青空の遥か向こうに知らない遠い山々がくっきり眺められた。
「あれは丹沢山塊で,ずっと右のほうへ引いているのは秩父の連山だよ」。
昌治は説明しながらベンチに腰を下ろして
「僕はこうしてまで山々を眺めていると次第に雑念が去って,心が澄んでくるんだよ。つまりお雪ちゃんのことだけを考えたいばかりに,毎日この屋上へ通ってくるわけだよ」。
「まぁ」。
お雪の美しい瞳は感動に燃えて
「私,本当に幸福ですわ」。
「僕だって」。
しばらく, 2人の間はうっとりした沈黙が続いたが,
「ね,雪ちゃん,僕この頃ね」
突然昌治が思い立ったように口を切った。
「君にこの辺で女中奉公をよしてもらったらと思うんだが,どうだろう」。
「あら,そんなことですの?」
お雪ははっとした風で,昌治を見た。
「私が奉公しているのは,あなたと幸福な結婚生活がしたいためですのよ」。
「僕だって女中奉公が賤しいとか,そんな卑俗な考えは持っていないつもりだが,君は女学校も出ているし」。
「そのお気持ちはよくわかりますけれど」。。
お雪は考えをまとめるように口ごもって,
「私は世間の流行や外見よりも,まずあなたのいい奥さんになりたいと一生懸命勉強し
ているつもりですが」
「いや君もそこまで考えていてくれるのなら,もちろん僕としても感謝に耐えないわけだが」。
「ね,当分はお互いに不自由は不自由ですけれど,しばらくこのままで前途を楽しんでいましょうよ」。
「もちろん,僕だって甘い恋愛なんて望んでいる時代じゃないとはよくわかっているよ。。。どこかでお茶でも飲もうかね」。。
昌治は曖昧にして立ち上がると,うっとり連山に目をやったが,その瞳には寂しげな感じがあった。
しばらくして2人はオリンピックのボックスに向かい合っていたが,
「あら,佐藤さんではありませんか」
突然慌ただしく昌治の肩を叩いた女があった。一目でオフィスガールとみえる洋服の断髪だった。
「おや,君か」。
昌治は女に微笑みかけ
「君は朝昼晩と銀ブラしないといられないという噂があるが,本当だね」。
「まぁひどい」。
女は目を見張ってみせた。
「あなただって,こんなよい日曜日にやっぱり銀座で歩いていらっしゃるくせに」。
「いや郊外に出たいと思ったんだが,殺人電車を見るとうんざりしちゃってね」。
「そうね,お連れ様があっちゃぁなおさらね」。
女はからかうように言って, 悪戯らしい目を雪の方へ微笑ませた。昌治は苦笑して
「そんなに憎まれ口を聞くと明日は腕が折れるほどタイプを叩かせてやるから,覚えていろ」。
「あら失礼しちゃうわ。では」。
女はニヤリとして背を向けた。お雪は大股に去っていく女の後ろ姿に見送りながら,
「あの方会社の方?」
「タイピスト嬢さ。驚いた?」
商事は,お雪の目を覗いて
「あれも時代の産物だ。男を男とも思わない。そして,勝手気ままに羽を伸ばして歩いているのさ」。
「そんなのが案外,今の若い方に好かれるんじゃないこと?」
「そんなことはないさ。今のは少し極端だよ」。
お雪は昌治の顔を見上げたが,ふと 
「私の工場は,朝のラジオ体操,工場歌の合唱,放たれた小鳥のようですの」。
と,お濱の友達がお濱に宛てた手紙の1節を思い浮かべて,何か侘しく眉を曇らせた。
庄司と小雪が日劇を出たのは夕方近くだった。
2人は日比谷のほうへ歩き出した。
「今のようなのもモダンで悪くないね」。
まだ劇場の興奮にあおられているような昌治の顔だった。
お雪ははっとして,今見てきた映画「アパートの恋人」の話をもう一度心の中で繰り返してみた。
映画の筋は,同じアパートに住んで同じ会社に勤めている恋人同士が,こんなに毎日顔を合わせていて,そのため心を踊らす新鮮な感情をうしなって恋の色が褪せては大変だ,と言うので,お互いにランデブーの費用取り決めて,その日以外は訪ねた方から,罰金を取り立てるという協定を取り結ぶ。ところが男の方では2〜3日すると,我慢しきれなくなって女を訪ねて,毎度毎度罰金を取られる。今は支払う罰金もなくなって,空っぽのがまぐち財布を眺めてため息をついていると,ノックの音がする,今度は女の方で協定を破って訪ねてきたのだった。
「私,断然罰金を払いますわよ」
と女は男の胸に飛びついてくると言う甘い物語であった。
この甘いストーリーが,それほどこの人の心を打つのだろうか
「女中奉公なんかもうやめたらどうだね」
と言った,あれがやっぱり,この人の本心なんだわーお雪はデパートの屋上でささやいた昌治の言葉を思い出すと,何か男の甘さに反発した寂しい苦笑が沸き上がって
「でもあんなの映画だからいいけれど,この頃の男女は,いくら恋人同士でももっと真剣に生活を考えているんじゃないでしょうか」
「しかし青春らしい甘い夢も欲しいね。僕は男で罰金を払いたいよ」
昌治は笑い声を立てた。
「ほんとに僕はもっとお雪ちゃんと一緒の時間が欲しいんだよ。夕方一緒に散歩したいと思えばいつでもできるようなね」。
愛情込めた昌治の声が,ふと暖かいお湯のようにお雪の胸に染みた。
「それは私だって」。
お雪も思わずにっこり昌治の顔を見上げた。
日比谷の交差点だった。
2人はお堀のほうへ横切ってまっすぐ桜田門のほうへ歩いて行った。
お雪は鈴懸の街路樹を見上げた瞳を突然昌治のほうに向けた。
「私もオフイスで働いて働いてみようかしら?」
「オフィス?」
ちょっと驚いたようだったが
「オフィスガールは感心しないね」。
「どうして?」
お雪は怪訝に目を見張った。
「さっきのタイピストのようなのが感染したら,それこそ困りもんだからね」。それで,これから「お雪ちゃんはどうする?」
と腕時計を覗いた。
「あなたは?」
「僕はこれから北支で転任する友達の送別会があるんだよ」。
2人は桜田門で別れた。
お雪は急ぎ足で日比谷のほうへ引き返していく少女の後ろ姿を見送っていたが
「そうだ,今夜にでもお暇を取ろうかしら」
とつぶやいた。
「でも」
合わせて心で打ち消した。家に待つお浜の顔が浮かんだのであった。女中奉公の人間修行を説いて,あの娘の工場行をつなぎとめた自分ではなかったか。そんなに弱い心でどうしよう。お雪は心の混乱を紛らわすように歩き出したが,警視庁前のバスの停車場に近づいた時だ。
「あッ」
突然近づいたヘッドライトを浴びて,合わせて身を泳がせたが,自動車は4〜5間走って,急停車したと思うと,運転手が出てきて
「お雪さんじゃないか」。
見ると槙家の運転手だった。
お雪が車のそばに駆け寄ると
「もう帰り?」
と,窓の中から節子夫人が笑いかけた。
「今からバスで帰ろうかと思っていたところでございますよ」。
「じゃあよかったわ。さぁお乗り」。
夫人は遠慮するお雪を引き上げるようにして乗せた。
ー赤い手の娘たち第一回,武田俊彦,田代光え,婦人朝日1940年7月号

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1960s





























1970s










日劇/丸の内東宝
日劇/丸の内東宝

日劇/丸の内東宝


[東京銀座] 日劇
日劇/丸の内東宝
日劇は、いわゆる映画館ではなかったので掲載するかどうか迷ったのですが
閉館時短期間ですが映画館としての役割をしていたことで載せることにしました。
昭和9年に開場したときは映画館でした。
独立した会社が運営し東洋最大の集容力を持つ4千人劇場でした。
日比谷映画劇場が50銭均一料金だったのに対し最高5円という高額な料金設定だったそうです。
結局経営が成り立たなくなり、日活直営、東宝・松竹共同経営を経て一年少々で東宝傘下になります。
このころの動きは有閑階級を対象とした旧来興行勢力松竹に対する大衆のための興行を目指す新興勢力東宝の攻撃という図式で大変興味深いものがあります
(田中純一郎「日本映画発達史」II)。
戦前は映画館であったようですが(最後までそうだったかは確認できていません)、
戦後はレビューや歌謡ショウに映画を併映する形の興行だったようです。
具体的にいつからいつまでどういう興行だったのか今のところ詳しい資料が見つかっていません。
昭和52年にレビューは終了します。
昭和53年の「スターウォーズ」(第一作、エピソード4)の日本公開時にはメイン劇場となります。
劇場規模に対し、画面の大きさも、音響も共に物足りなく、テアトル東京での上映と比較し著しく見劣りした記憶があります。
これで上映設備を入れたからでしょうか。東宝の資料ではその後昭和56年2月の閉館までに9本の映画が上映されたようです。
私は
「ジミ・ヘンドリックス フィルムコンサート」
「サウンドオブミュージック(70mm版)」
を見ました。座席の写真はそのどちらかの時の物です。
地下には映画館”丸の内東宝”と”日劇文化”がありました。

音楽・映画・生活雑筆
http://www7b.biglobe.ne.jp/~mymisc/index.html





日劇文化劇場

日劇文化劇場


日劇文化劇場
新宿文化と共にATG専門館でした。

音楽・映画・生活雑筆
http://www7b.biglobe.ne.jp/~mymisc/shiryou/shiryou2.html
http://www7b.biglobe.ne.jp/~mymisc/index.html


[東京秋葉原][鉄道] 秋葉原駅,1930年





[東京秋葉原] 秋葉原駅,1930年
写真で見る「アキバ系」秋葉原駅の歴史(昭和通り方面)
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2006/2/1(水) 午後 0:12
秋葉原周辺 練習用
確かにエスカレーターが写ってます。
現在は高架の向こうはヨドバシカメラが開店してます。
二枚目は浅草橋方面です。

外神田探検隊「一路」写真館
https://blogs.yahoo.co.jp/kanda_ichirono1




日比谷公会堂



東京市日比谷公会堂市政会館(麹町区日比谷公園)
設計/佐藤功一
施工/清水組
工期/大正14年10月−昭和4年10月

復興建築の世界
http://fukkokentiku.hatenablog.com/entry/2013/05/17/033115








帝都四大公園の一たる日比谷公園は総面積五万四千八百坪、
南部の運動場を前にして音楽堂、市政会館、公会堂、市立日比谷図書館等大建築櫛比し
東部の心字池、花壇、テニスコート、林泉池、中央の雲形池、藤棚、児童遊園等とよき対照をなして居る。
タイトル: 大東京五十景
請求記号: ST290.9-5322-X

都市・東京の記憶 
https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/tokyo/chapter1/32_023.html

[東京銀座] 三河屋糸店




[東京銀座] 三河屋糸店
店舗の歴史 
ガラス・ショーウインドー
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2014/1/30(木) 午前 9:58 流通 練習用
昨日は久しぶりに今どきのコンサルの話を聞きまして、こういう話をしないと商売として厳しいのだろうと思いまして、地べたを這いずりまうようなコンサルばかりをしてきましたので、反省する事、大でありました。まぁ、そんな高級というか、グローバルを相手にした話も、いつか書こうと思います。
さてウインドー・ショッピングが始まろうとする時代の話からです。
勧工場なり百貨店が登場してきても、不特定の客が店に入ってくるような状況でも、今日のショッピングセンターや百貨店と同じく閉鎖的で大きな空間に客を呼び入れただけで本当の意味では、ウインドウショッピングは始まっておりません。肝心のガラスが高価で普及していないからです。
しかも勧工場では通路こそ靴のまま入れますが、商品を展示してるスペースには、どうやら入れなかったようで、百貨店にしても、展示スペースにも靴を脱がずに入れるようになるのは、関東大震災以降のようですから、座売りスタイルからの脱皮というのは、昭和に入ってからなのかもしれません。
 店の前面にショウウインドウが登場するのは昭和に入ってからと思われます。
これは「失われた帝都」という本に掲載されていた三河屋糸店(銀座)です。
古い町屋にショウウインドウが取り付けられただけのものです。
ガラスの日本における歴史をみると、いわゆる西洋ガラスが我が国で生産されるようになるのは1920年代、
第一次大戦以降のことです。
板ガラス、それも人が吹くのではなく、機械式、アメリカで発明されたものを旭硝子が導入したのが昭和6年、1931年ですから、戦争まぢかということにもなります。
人が吹くタイプは皆さんも見たことがあるかもしれませんが、微妙に波打ってたりします。
今よりも厚いでしょう。
多分、このショウウインドウは人が吹くタイプでしょう。
非常に高価であったろうと思いますが、お客を引寄せる効果は大きかったでしょう。
素朴な疑問としてショーケースは何時だろうというのがありますが、多分、ショーケースは後ではないかと思います。

流通の歴史と未来のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/jiigiijiigii