[東京銀座] 三河屋糸店




[東京銀座] 三河屋糸店
店舗の歴史 
ガラス・ショーウインドー
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2014/1/30(木) 午前 9:58 流通 練習用
昨日は久しぶりに今どきのコンサルの話を聞きまして、こういう話をしないと商売として厳しいのだろうと思いまして、地べたを這いずりまうようなコンサルばかりをしてきましたので、反省する事、大でありました。まぁ、そんな高級というか、グローバルを相手にした話も、いつか書こうと思います。
さてウインドー・ショッピングが始まろうとする時代の話からです。
勧工場なり百貨店が登場してきても、不特定の客が店に入ってくるような状況でも、今日のショッピングセンターや百貨店と同じく閉鎖的で大きな空間に客を呼び入れただけで本当の意味では、ウインドウショッピングは始まっておりません。肝心のガラスが高価で普及していないからです。
しかも勧工場では通路こそ靴のまま入れますが、商品を展示してるスペースには、どうやら入れなかったようで、百貨店にしても、展示スペースにも靴を脱がずに入れるようになるのは、関東大震災以降のようですから、座売りスタイルからの脱皮というのは、昭和に入ってからなのかもしれません。
 店の前面にショウウインドウが登場するのは昭和に入ってからと思われます。
これは「失われた帝都」という本に掲載されていた三河屋糸店(銀座)です。
古い町屋にショウウインドウが取り付けられただけのものです。
ガラスの日本における歴史をみると、いわゆる西洋ガラスが我が国で生産されるようになるのは1920年代、
第一次大戦以降のことです。
板ガラス、それも人が吹くのではなく、機械式、アメリカで発明されたものを旭硝子が導入したのが昭和6年、1931年ですから、戦争まぢかということにもなります。
人が吹くタイプは皆さんも見たことがあるかもしれませんが、微妙に波打ってたりします。
今よりも厚いでしょう。
多分、このショウウインドウは人が吹くタイプでしょう。
非常に高価であったろうと思いますが、お客を引寄せる効果は大きかったでしょう。
素朴な疑問としてショーケースは何時だろうというのがありますが、多分、ショーケースは後ではないかと思います。

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