[東京神田]神田古書店街

1915


御茶ノ水駅から駿河台下までの通りと,駿河台下から下にかけての都電通り(靖国通り)は商店街である。
特に都電通りの南側に多く,古本屋は存続的に続いている。
ここは世界的にも有名な古書店の集中地区であって,ここに内外各種の古本が取り扱われていて,通り全体が古本デパートの観がある。
神保町を中心とした新古商店の数は約160で,中には明治時代からの店がある。
店内はそれぞれ部門別に整理されているが,店によっては取り扱う部門に特色を持っている。
これらの古書店では,店頭で売るだけでなく全国に通信販売している店もあって,古書会館があって毎日古書の市が立って,古書の全国的な集散が行われているという。
新刊書取扱店は断続して古本店の中にあるが,神田地区全部で110件あって,その中には
>三省堂,
東京堂
などのように広い売場を持っているものもある。
出版社を探すと
駿河台の主婦の友,
錦町の誠文堂新光社,
神保町の三省堂,富山房,東京堂,
一橋の岩波書店,小学館
など皆この界隈にあって,小さい業者まで数えるとキリがない。
こうした出版社,商店の多いのは神田が学校の街である事に由来している。
駿河台の各学校のほかに,
神保町の専修大学,
三崎町の日本大学,東京歯科大学,
一橋の共立女子大学
があって,その他予備校や各種を数えると実に膨大な数の学校がこの一帯にあるわけである。
都電通りの裏通りのすずらん通りなどはきれいな歩道もできて感じが良くなった。
その他の通りも皆真学生の街であって,書店の外は学生服,運動靴,文房具,カメラの店があって,裏通りに僅かな喫茶店が並んでいる。
しかし昭和のはじめ,神田小唄に
「肩で風切る学生さんに,ジャズが音頭とる神田,神田,神田」
と謳われたころの景気はないという。
それは昔の学生は裕福でのんびりしていて,学費や生活費を稼ぐことがなかったこと,大学の規模が拡張したことや大手町方面からのビルラッシュで地価が上がって下宿屋営業が成り立たなくなったからだと言う。
大半の学生は下宿代の安い郊外から通い,夜はアルバイトの方が忙しいので,夜の街を下駄を引きずりながら飲み歩くことがないらしい。
ー東京風土記/城西・城南編,サンケイ新聞社編,現代教養文庫,1967年

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1987
神田古書街
駿河台下の交差点に立つ。お茶の水橋から降りてきた明大前通りと,東西に走る靖国通りとが交わる他に,南西斜めに入るすずらん通りがあって車の往来が激しい。
駿河台下から神保町にかけての一体は新刊屋古本を扱う書店が立ち並ぶ本屋街である。
特に古本を扱う店は都内800軒のうち100軒以上がこの街に集まっている。
古本屋街で最も古いのは,明治8年(1875)創業の
高山本店
と明治15年創業の
大屋書房
である。
古本屋街の総本山と言うべきは創業明治36年の
一誠堂
である。
一誠堂の初代は越後長岡の人で代々酒井宇吉を名乗っている。
一誠堂をはじめ神保町には新潟県出身者が多いが,それはここで何年か修行した人が独立して,近くに次々と古本屋を開業していったからである。
一誠堂出身の店をあげると
東洋堂書店,
一心堂書店,
悠久堂諏訪書店,
山田書店,
小宮川書店,
崇文荘書店
などがある。
「書泉グランデ」は一誠堂の酒井宇吉の弟が始めた新刊書の店である。
また「岩波書店」も「三省堂」も元は古本屋から始まった。
しかし100年以上の歴史を持つ古本屋街も駿河台下交差点あたりでは徐々に姿を変えつつある。
靖国通りの北側に面して多くのスポーツ店が新しく立ち並び,春も終わろうというのにスキーを担いだ若い男女が楽しげに歩道を行き交っている。
東京路上細見一,林順信著,1987

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