[東京新橋] 二代目新橋駅






汽笛一声新橋を…~五十三次走はしりきて…
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2012/8/1(水) 午後 11:57
駅舎建築を見る 鉄道、列車
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前回に書いたように、神戸駅を東京駅と吊り合わせるのは、理屈上成り立っても、現実的には無理がある。
ただ、新橋駅なら、先ず異論はないだろう。
現在の東京駅が誕生するまでは、鉄道の創業以来、新橋駅が東海道本線の起点であった。
で、神戸駅が終点であることは、開業以来、現在まで一度も変っていない。
東海道線は、明治5年(1872)、新橋・横浜間が開通し、日本の鉄道起源となった。
関西側は、明治7年(1874)に大阪・神戸間が開通した。
その後、東海道線は急ピッチで延伸され、明治22年(1889)には全通した。
その開業時の初代新橋駅は、上から見るとH型をした二階建て洋館で、終点の横浜駅もこれと同じ
スタイルの駅舎が建っていた。設計は、アメリカ人のリチャード・ブリジェンスによるもので、彼は他に築地ホテル館や、第一銀行(三井組ハウス)も手掛けている。
この新橋駅は、その後、汐留駅(貨物駅)となる。現在は、汐留シオサイト内のシンボルとして、初代駅舎が在った同じ場所に、駅舎が厳密に復元されており、鉄道歴史展示室になっている。
で、現在の新橋駅は、初代の新橋駅とは全く別の、電車線の「烏森駅」として誕生した。それが東京駅の開業に合わせて、新橋駅(初代)⇒汐留駅(貨物)、烏森駅⇒新橋駅(現在)と改変した。
烏森駅から新装なった新橋駅舎も、やはり東京駅開業に併せて、大正3年(1914)12月に完成した。
その後、関東大震災の被害に遭いながらも、昭和45年(1970)まで使用され続けた。
この二代目新橋駅舎は、レンガを用いたルネサンス様式の駅舎で、いかにも辰野式に似ている。
しかし、万世橋駅(辰野葛西建築事務所設計)を参考にして、鉄道院の建築技師達によって建てられたものである。
駅舎は、線路の東側に建てられていた。つまり東の築地側を正面としていて、東京駅とは反対向きであった。
さて、写真を見ていると幾つか、違和感を覚える点がある。
先ず左右シンメトリーな印象があるが、実はそうではない。本屋と翼との折れ角にあたる小塔が、右側が四角形で左側が円形である。実は、万世橋駅も道路の交差点との関係で、同じようにコーナーの小塔の大きさや向きが異なっている。新橋駅もこれを真似たのかもしれない。
ただ、円形か四角形かは、どちらかに統一しておいたほうがいいと感じる。
また、地面と接する柱の基礎石が袴状に裾が広がっている。これも万世橋駅と同様のものだが、数が多く目立つ。さらに、両端の翼にある丸い入口は、アラビア風で、全体の様式と不釣合いに思える。
屋根の装飾も大振りでうるさく、バランスがいまいち。これらの要素が幾分、稚拙な印象を受けさせる。
当時の鉄道院に所属の建築士は、土木と構造が主で、建築意匠の上では、まだまだ不完全な面があり、辰野などの専門家に学んでいたところだったらしい。
辰野の万世橋駅を教科書として、何とか自前で手掛けてみた、と言ったレベルだろうか。
なんとなく不釣合いな印象を受けるのも、そのためかもしれない。

若葉マークの都市建築研究所
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