2013年03月05日 22:04:59
昭和47年、閉館直前の新宿日活オスカー(いまマルイ)。
イマヘイ【神々】【昆虫記】の二本立てやってる。
ついっぷる
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1969
■新宿の女(昭和44年9月)
澤ノ井は「石坂まさお」として再出発することを心に誓い旅に出た。
さて、自分で作ろうと思ったものの、なかなか思うような詞が作れない。
いわゆる生みの苦しみである。
そんな折り、名古屋で旧友でもある作詞家みずの稔と会う。そこで見せられた一遍の詞が、まさに求めていた言葉だった。
「バカだな バカだな だまされちゃって・・」
みずのにこの詞を使用することを承諾してもらうと、後は一気呵成に出来上った。
「新宿の女」の誕生である。(クレジットの作詞者にみずの稔氏の名前があるのはこういう事情から)
思えば「新宿は俺の故郷ではないか・・」
新宿は人間の吹き溜りのような街。
純子の持つドラマ性を引出すインスピレーションには事欠かない。
まさに原点に返ったところからはっきりと進むべき道が見えてきた。
だが、デビュー曲だけではだめだ。2曲目、3曲目と続かなくては・・、
石坂は新宿の雑踏の中を歩きながら案を練った。そして「女のブルース」「生命ぎりぎり」が出来上った。
あとはレコード会社だ。
実は、石坂まさおは「コロムビアデノン」の話が消えかかった頃に「日本ビクター」の事業部のひとつである「RCA」に挨拶をすませていた。
「RCA」はクラシックや洋楽ポップス中心のレーベルであるが、昭和43年頃からは邦楽にも進出していた。
ここで応対に出たディレクターの榎本襄が、その後の純子のデビューの大きな推進力となっていく。
ついにデビューが決る。
石坂に純子を紹介された榎本もまた「何か」を感じた。
出来上ったばかりの「新宿の女」はまさに純子の生き様そのものが歌になったようなものだ。
端正な顔立ちの17歳の少女はギターを抱え、思いも寄らぬハスキーで凄味のある声で歌った。
「これはスゴイ!」
まさに新宿の街の呻きが迫ってくるような「情念」がある。
それに「美少女の流し」というキャラクターも新鮮だ。
「RCA」からのレコード・デビューが決まった。
となると次は芸名だ。石坂は純子を本格的にプロモートするために
「日本音楽放送(有線)」
などの資金協力を得て自ら「藤プロダクション」を設立した。
(社長は日本音楽放送の工藤宏氏)そこで工藤氏の「藤」と、工藤氏の妹である桂子にちなんで「藤圭子」に決まった。
「これからはテレビを始めとするマスメディア的なイメージ戦略が必要だ。」
石坂と榎本は協議を重ね、藤圭子の端正な顔立ちのわりに、痩せすぎの体型と大人の歌を歌うには色気が足りないことを補う為に、黒のベルベットのパンタロンスーツと対照的なコントラストの真っ白なギターを持たせて売り出すことにした。キャッチ・フレーズは「演歌の星を背負った宿命の少女」。こうして、藤圭子のデビュー曲「新宿の女」の発売日は9月25日に決まった。昭和44年の夏のことである。 だが、「RCA」は新興のレーベル。思うような宣伝予算が確保できない。「それなら自分でやるだけさ」「野良犬には野良犬のやり方がある」。
●新宿の女(昭和44年9月)作詞 みずの稔・石坂まさを 作曲 石坂まさを
B面/「生命ぎりぎり」
●女のブルース(昭和45年2月)作詞 石坂まさを 作曲 猪俣公章
B面/「あなた任せのブルース」
圭子の夢は夜ひらく(昭和45年4月)作詞 石坂まさを 作曲 曽根幸明
B面/「東京流れ者」
圭子の夢は夜ひらく
作詞:石坂まさを、作曲:曽根幸明、唄:藤圭子
赤く咲くのは けしの花
・・・
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく
昭和45年(1970)4月25日にリリース。 10週連続オリコン1位にランクされ、77万枚を売り上げました。
昭和41年(1966)に園まり、緑川アコなどにより競作された
『夢は夜ひらく』
のカヴァーですが、恋の歌だったこれらのヴァージョンとはまったく違う怨み節系のトーンになっています。
陶器の日本人形のような整った顔立ちで、アングラっぽいスロー・バラードをかすれ声で歌うというミスマッチな感じが、人びとを惹きつけました。
藤圭子が
『新宿の女』
でデビューしたのは昭和44年(1969)ですが、その前年あたりから数年間は"学生反乱の時代"と重なります。
1968年5月には、フランス・ナンテール大学の学生"赤毛のダニー"ことダニエル・コーン=ベンディットらが大学民主化やベトナム反戦を叫び、全国の労働者も巻き込んでゼネスト行い、ド=ゴール大統領の第五共和政を崩壊寸前まで追い詰めました(五月革命)。
この運動はイタリア、ドイツ、アメリカなど先進各国の大学に飛び火しました。
わが国では、昭和40年代初め頃から、早稲田、慶応、中央、明治、法政などで学費値上げ反対や大学民主化をテーマとした学園闘争が頻発、それらは昭和43年(1968)の日大全共闘(議長=秋田明大)と東大全共闘(議長=山本義隆)による大学建物のバリケード封鎖と大学当局との大衆団交(大学管理者側にとってはつるし上げ)によって頂点に達しました。
両方とも翌昭和44年(1969)春には、機動隊によるバリケード封鎖の強行解除によって収束しました。
この年、東大入試が中止されたことは多くの人の記憶に残っていると思います。
学園紛争以外では、安保条約延長反対をめぐって、昭和43年以降、羽田闘争、新宿騒乱事件、国際反戦デー闘争、佐藤首相訪米阻止闘争など、相次いで紛争が起こりました。
この「70年安保闘争」は、ベトナム反戦運動や成田空港反対運動、沖縄返還運動と結びつきましたが、佐藤政権による徹底的な取り締まりと学生運動の内部分裂や内ゲバによって、次第に力を失っていきました。
こうした流れのなかで挫折感や敗北感に襲われた学生たちの胸に沁みたのが、
「赤く咲くのはけしの花/白く咲くのは百合の花/どう咲きゃいいのさ/この私」
と歌う『圭子の夢は夜ひらく』でした。
第一次安保闘争(60年安保)のとき、同じような状況に追い込まれた学生・青年たちが愛唱した
『アカシアの雨がやむとき』
と同じような役割を果たしたわけです。
この時期に学生生活ないし青春期を送った人たちには、忘れられない歌の1つでしょう。
藤圭子は、娘・宇多田ヒカルがまだ子どもの時代に心の病を発症したようで、奇矯な言動がいくつか伝えられています。
平成25年(2013)8月22日、西新宿で自死。62歳。
多くの人たちの胸に響いた歌をいくつも遺したこと、天才的な歌唱力が娘に受け継がれたことをもって瞑すべし、でしょう。
雑学の世界
cine
想い出の映画館
投稿者:13号倉庫
投稿日:2005年 5月30日(月)17時33分22秒
この度、新しい掲示板を作成しました。今回も映画関連の掲示板ですが、ここでは、今はもう閉館してしまった映画館についての想い出話、記憶の中の疑問点、そして、映画館跡地の現在の状況などレトロ気分満載で展開して行きたいと思っています。
想い出の映画館 先ずは74年の「ぴあ」より、当時の映画館名(都内)を羅列しておきます。
◆ロードショー館
スカラ座
有楽座
丸の内ピカデリー
みゆき座
日比谷映画
新宿スカラ座(現存)
有楽町スバル座(現存)
ニュー東宝シネマ1(現存)
ニュー東宝シネマ2
テアトル東京
新宿プラザ(現存)
新宿武蔵野館
テアトル銀座
新宿ピカデリー(現存)
丸の内松竹
渋谷東急
新宿ミラノ座(現存)
松竹セントラル
渋谷パンテオン
銀座東急
新宿ロマン劇場
東急レックス
池袋劇場
丸の内東宝
江東リッツ
渋谷宝塚
新宿ビレッジ1、2(現存)
新宿東急(現存)
丸の内東映パラス
新宿地球座(現存)
渋谷地球座(現存)
銀座ロキシー
新宿文化
日劇文化
◆TYチェーン
新宿京王(?)
渋谷スカラ座
池袋スカラ座
上野パーク劇場
吉祥寺スカラ座
◆STチェーン
池袋東急
蒲田スカラ座
吉祥寺ムサシノ映画劇場(現存)
上野東急(?)
浅草ロキシー
新宿東映パラス
江東花月
目黒スカラ座
王子スカラ座
◆オデヲン・チェーン
新宿オデヲン座(現存)
新宿グランドオデヲン座(現存)
中野オデヲン座
吉祥寺オデヲン座(現存)
下北沢オデヲン座
阿佐ヶ谷オデヲン座
荻窪オデヲン座
赤羽オデヲン座
十条オデヲン座
荏原オデヲン座
◆日活封切
高円寺平和劇場
江東文化劇場(?)
上野映画劇場(現存)
池袋日活名画座
板橋日活名画座
大井川オリオン座
王子銀線座
◆東映封切
新宿東映
渋谷東映
池袋東映
丸の内東映(現存)
浅草東映
五反田東映
蒲田東映
大井東映
新小岩東映
小岩東映
文京東映
中野東映
三軒茶屋東映(現存)
吉祥寺東映(現存)
赤羽東映
浅草東映電気館(?)
王子自由劇場
早稲田松竹劇場(現存)
神楽坂武蔵野館
高円寺東映
長崎東映
武蔵山バラ座
亀有東映
江東東映劇場
歌舞伎町東映(現存)
上野宝塚劇場
東映立川南座
荻窪東映劇場
◆東宝封切
千代田劇場
新宿コマ東宝劇場(現存)
渋谷東宝(現存)
上野東宝
江東劇場
浅草東宝劇場(現存)
テアトル池袋
目黒京王東宝
吉祥寺東宝(現存)
赤羽東宝劇場
蒲田プラザ
立川東宝
千住東宝
笹塚京王
中野武蔵野館
新宿ビレッジ1(現存)
◆松竹封切
銀座松竹
浅草松竹劇場
新宿松竹劇場(現存)
上野松竹劇場(現存)
渋谷松竹
錦糸町映画劇場
池袋松竹劇場
◆独立館、名画座
新宿京王名画座
名画座ミラノ(現存)
テアトル新宿(現存)
新宿名画座(現存)
新宿西口パレス
新宿昭和館
昭和館地下
新宿座(現存)
新宿ローヤル
有楽シネマ
銀座並木座
銀座文化(現存)
銀座地球座(現存)
渋谷文化(現存)
東急名画座
渋谷全線座
池袋地球座
池袋地球座
日勝文化
日勝映画劇場
日勝地下
文芸坐
文芸地下
高田馬場パール座
飯田橋佳作座
ギンレイホール(現存)
後楽園シネマ
中野名画座
西荻名画座
三鷹文化
立川名画座
立川中央
立川セントラル
国立スカラ座
東京クラブ
浅草花月劇場
浅草中映劇場(現存)
浅草新劇場(現存)
蒲田パレス
蒲田アポロ
カマタ宝塚(現存)
テアトル蒲田(現存)
三軒茶屋劇場(?)
三軒茶屋中央劇場(現存)
大塚名画座
鈴本キネマ
江東名画座(楽天地シネマ1)(?)
江東地下(楽天地シネマ2)
大森みずほ
大森みずほ劇場
大森エイトン劇場
大森ヒカリ座
京成名画座
小岩スカラ座
亀戸日勝
亀戸スカラ座
南千住文化劇場
南千住文化ミニ劇場
三の輪文化映画劇場
神田ニュース劇場
三越名作劇場
観光文化ホール
ヤエス松竹
自由が丘劇場
武蔵野推理劇場
◆「ぴあ」掲載以外の映画館
ニュー八王子(現存)
テアトルダイヤ(現存)
新橋文化(現存)
新橋ロマン(現存)
新橋第三劇場
王子トーコー
下高井戸東映(現存)
二子東急
世界傑作劇場(現存)
浅草キャピタル
浅草トキワ座
小岩名画座
深川東宝
金町映画
五反田東映シネマ
大井武蔵野館
目黒シネマ(現存)
鈴なり壱番館(?)
江古田文化
中野武蔵野館
三鷹オスカー
立川松竹
府中国際劇場
町田ロマン
町田ローズ
上板東映
練馬映画
牛込文化
十条銀杏座
野方名画座
清水映劇
成増東映
成増国際
板橋劇場
大山東映
板橋日活名画座
亀有名画座
*映画館名変更、建て替えの上現存の場合もありますが、いかんせん資料不足のため、かなり曖昧です。現存、閉館情報等ございましたら、書き込み、ご連絡いただければ幸いです。また、当時の「ぴあ」は、まだ創刊して間もないため、抜け落ちている映画館もたくさんあります。出来ればその辺の情報もありましたら宜しくお願いします。とりあえずは東京中心ですが、関東を初め各地の映画館の想い出も書き込んでいただけたら、幸いです。
http://www.geocities.jp/bokurasouko/
想い出の映画館
https://8930.teacup.com/bokurasouko/bbs?page=11&