[東京本郷] 本郷館






2011


1970





本郷館
文京区本郷に築106年、木造3階建ての下宿がある。「本郷館」がそれだ。
延べ面積1,440㎡、和室・洋室の多様な間取りの部屋が70室余りあるという。
レンガ造りの基礎の上に乗っかっているだけのような、素人が見るとびっくりするような簡単な作りだが、先日の大地震でも何処も壊れなかったという。
でも、「老朽化のため」建て替え計画があり、取り壊されることになりそうだ。
本郷にはかって、このような大規模な高等下宿が多数あったようだ。

漫(そぞろ)あるき
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1989
本郷館
行く手にはコンクリート造りの頑丈な足が見えてくる。
「泉橋」というのがこの橋の正式な名称であるが,その名前よりも「空橋」と言う名前でとおっている。
言問通りを少し歩くと右手に急な坂がある。「新坂」である。
上りきった所の左手が「太栄館」である。
ここには昭和27年まで「蓋平館」館と言う名前の下宿屋があって,石川啄木や金田一京介が住んでいた。
今は太栄館の玄関脇に啄木の歌碑がある。
太栄館の先の角を右に曲がって,今度は左へ曲がる。
修学旅行の団体の泊まっている旅館の前を通る。
私が歩いていた時も大きな荷物を下げた制服姿の学生たちがたくさんやってきた。
笹の生え揃った塀越しに明治の山手の住居を垣間見ることができる。
徳田秋声の旧居から左に折れて少し歩くと旧森川町の五叉路に出る。
この五叉路の真ん中はちょうど二等辺三角形をした空間になっている。
頂点にあたるところから1本,両端の角からは2本ずつ道が出ている。
頂点から出た1本の道は東大正門前に至る道であり,その北側には文部省の本郷会館がある。
その反対側の格子戸のハマったしっかりした作りの家が今は質屋をやめてしまった「大西質店」である。
底辺にあたる所には「宮前青果」と言う大きな看板のかかった平屋建ての八百屋があり,その並びには「カカシヤベーカリー」と言うパン屋がある。
宮前青果の迎えには瓦ぶきで白い下見板張りの小さな西洋風の建物がある。
玄関脇の丸い窓にステンドグラスがはめ込んであるのが目につく。
ここは小学校の時私と同じクラスだった海老原くんの家である。
外から見ただけではわからないが,中に入ると壁が二重になっていることに驚いたことを覚えている。
海老原家の横の道を北に歩くと左手にコンクリート造りのがっしりした「求道会館」がある。建て直す予定でもあるのだろうか,建物の周囲を鉄パイプで囲っている。
求道会館の先の角を左に曲がると,そこに建っている木造3階建ての下宿屋が「本郷館」である。
入り口のところはかつての門柱の名残であろう,御影石の門の柱が2本,しかも1本は折れてたっている。
私は今までこの本郷館の前を通る事はあっても中に入る事はなかった。
先日管理人の中静さんに申し出て,中を見せてもらうことができた。
本郷館の建ったのは明治38年(1905年)であるからもう80年を越していることになる。
建て方にも特色があって,20センチはある太い柱が1階から3階まで通っていて,床下にも太い鉄の棒が組み込んであるという。
しかも桜の木を使っているので丈夫だと言う。
なるほど玄関の柱といい,階段といい,まるで城の天守閣の内側を見ているようだ。
その上,本郷館は鍵の手に立っているので,地震にも強いという。
裏側は崖になっていて,地固めした石垣の上に本郷館は建っている。
周りに青桐を植えているので伊勢湾台風の時にも崖崩れしなかったと言う。
先人の知恵が生きているわけだ。
東大の助手や研究生が借りていて,今も70室全部が満室である。
皆5〜6年以上住む人ばかりで,出て行く時は自分の友人や後輩に部屋を譲るため,不動産屋を通さないのだと言う。
たとえ古くともこれだけ頑丈ならまだまだ残り続けるに違いない。
ー東京路上細見,林順信,初版1989年

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