万惣フルーツパーラー








万惣の創業は弘化3年(1846年)。
孝明天皇が即位したのがこの年で、
鎖国政策を取る日本の沿岸にちょろちょろと外国船が現れ、
幕末の動乱へ向けて世相がだんだんときな臭くなってくる頃です。
江戸期の神田には大衆割烹「大越」の紹介の時に幕府御用市場だった神田市場があったということをふれましたが、
新潟から出てきてこの市場で修行していた初代は、この年に独立する何らかのチャンスが訪れ万惣を創業したようです。
想像ですが、この年の始めに小石川から築地にかけての火事があったようなので、
それで市場に空きが出来たといった辺りなのかもしれません。というわけで当時の地図を見てみましょう。

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昭和始め頃の万惣
震災後、街は復興事業の変化と共に火災に強い鉄筋コンクリート造りのモダンな建物が並ぶこととなり、
それに合わせる形で人々の消費の方向も変化していきます。
当時の万惣の経営者はその空気を鋭く感じて果物屋という商売を生かしたフルーツパーラーを始めることにしたのでしょう。
万惣がフルーツパーラーを始めたのは昭和2年。
このことから復興事業終了前の昭和5年前に須田町交差点の移動は終わっていたと思われます。
上の写真がその頃の外観。池波正太郎が父と来てその後通ったのはこの店舗の頃ですね。
一階は果物店、上がフルーツパーラーになっているのはこの頃からなのが分かります。
入り口にランチ「¥60」とありますが、これは“円”でなく“銭”です。
ちなみに日本でフルーツパーラーという形式の店舗を始めたのは同じく老舗果物屋である千疋屋。
外国人に果物を売るとそのまま店頭で立ち食いをするので、
座って食べられるスペースを作ったのがフルーツパーラーの始まりだそうです。

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