[東京多摩] 多摩川の渡し






渡し場の名称 現在 旧道の名称 その他
沢井の渡し
楓橋    廃止年不明 
軍畑渡し 軍畑大橋 鎌倉街道山の道
秩父鎌倉道
徒渉地
昭和14年奥多摩橋の架設で廃止
竹の下の渡し
奥多摩橋  
昭和14年奥多摩橋の架設で廃止
日向和田の渡し
神代の渡し
神代橋 御嶽神社への参詣路 万年橋の渡し
大柳の渡し
駒木野の渡し
万年橋  
明治30年木製の万年橋の架設で廃止
千ヶ瀬の渡し
調布橋
 二ツ塚峠を経て五日市と青梅を結ぶ道
千ヶ瀬村と河辺村を結ぶ渡船場
大正10年調布橋の架設で廃止
河辺の渡し
下奥多摩橋  
昭和8年下奥多摩橋の架橋で廃止
友田の渡し
小作の渡し
多摩川橋   大正元年1912 友田の渡しに横断索道が架設される。
大正9年多摩川橋ができ廃止
川崎の渡し 羽村大橋 鎌倉街道 大正末頃まで存続。 
福生の渡し 永田橋  
昭和36年永田橋の架設で廃止
牛浜の渡し
(石浜の渡し)
森山の渡し
多摩橋 五日市街道 太平記に出ている石浜の戦いの古戦場の説がある。
多摩橋ができた大正14年廃止
明治8年(1875 )牛浜渡し官許。毎年11~3・4月土橋、常備船1艘、後森山渡しとなる。
小川の渡し
熊川の渡し
南の渡し
睦橋 古い五日市街道
伊那道
小川村と熊川村を結ぶ
明治年間に廃止?
滝の渡し      廃止年不明
拝島の渡し 拝島橋 日光道 八王子千人同心が日光警護のため通った道
拝島橋の架設で昭和24年に廃止されている
平の渡し
大神の渡し
     平村と大神村を結ぶ
拝島の渡しが開設される前からあった古い渡し
福島の渡し
築地の渡し
多摩大橋 大山道、八王子道 江戸期は築地村の管理で「築地の渡し」と呼ばれ、明治になり福島村の管理となり「福島の渡し」となる
昭和15年ごろ廃止
柴崎の渡し 立日橋 古鎌倉道
日野の渡しの立川での呼び名でもある。
日野の渡し 日野橋 甲州道中 大正15年日野橋の完成で廃止
満願寺の渡し
(谷保の渡し)
中央自動車道 古甲州道 江戸初期の古い甲州街道の渡し場ともいわれている
大正15年日野橋の完成で廃止
石田の渡し 石田大橋
古甲州道
石田村と三屋(府中)結んでいたという
一宮の渡し 府中四谷橋   明治14年の迅速測図に記載あり
明治13年1880 南多摩郡一の宮村(多摩市)の渡場新設により中河原渡しの通行は減ずる。
昭和12年の関戸橋の開通まで
関戸の渡し
(中河原の渡し)
関戸橋 鎌倉街道上ノ道 関戸村と中川原村を結ぶ、古往還
昭和12年関戸橋開通により廃止
是政の渡し
(大丸の渡し)
是政橋 鎌倉街道中ノ道と上ノ道を結ぶ支道 大丸村と是政村を結ぶ
昭和16年木橋が出来るまで続く
常久河原の渡し    作場渡    農作業用の渡し
押立の渡し 稲城大橋    押立村と南岸の向押立村を結ぶ渡船
昭和17年廃止
上石原の渡し
矢野口の渡し
多摩川原橋 矢之口渡道 大正7年(1918) 矢野口の渡し開通
昭和10年には多摩川原橋が開通で廃止
菅の渡し     昭和10年矢野口の渡しと下菅の渡しが統合 菅の渡しとして昭和48年まで存続
下菅の渡し
上布田の渡し
  新渡道 昭和10年には多摩川原橋が開通で廃止
中ノ島の渡し 多摩水道橋  作場渡  廃止年不明 
登戸の渡し 多摩水道橋 津久井往還
鎌倉道中道
古い時代の大山道
昭和28年多摩水道橋の開通で廃止
宇奈根の渡し    作場渡 宇奈根村(世田谷区)と対岸の宇奈根を結ぶ
二子の渡し
瀬田の渡し
新二子橋 鎌倉街道中ノ道
矢倉沢往還
大山道、相州街道とも呼ばれた
大正14年に二子橋ができて 渡しは廃止
野毛の渡し
下野毛の渡し
多摩川橋 鎌倉道中道 下野毛村(東京)と対岸の下野毛(川崎)を結ぶ
昭和30年代頃まで利用されてきた
等々力の渡し
宮内の渡し
第三京浜
多摩川橋
   江戸時代から明治、大正にかけて利用された
宮内の渡し 大正5,6年頃出来る
昭和10年丸子橋の開通で客は激減
丸子の渡し 丸子橋 中原往還 上丸子村と下沼部村を結ぶ
昭和10年丸子橋が完成で廃止
平間の渡し
下丸子の渡し
ガス橋 古い東海道である池上道
相州鎌倉道、平間街道
1766年(明和3)より始まった
上平間村と下丸子村を結ぶ
昭和初期頃まで存続
矢口の渡し
古市場の渡し
多摩川大橋 古代の東海道
鎌倉街道下ノ道
昭和24年、多摩川大橋の完成で廃止
太田区内最後の渡船場として 昭和24年(1949)まで存続
小向の渡し   作場渡 小向村(川崎)の対岸への渡し
大正10年ごろ廃止された
六郷の渡し 六郷橋 東海道 江戸時代初期には橋が有ったという。1688年流出以後渡し船となる。
明治6年廃止。
大師の渡し   中瀬と本羽田を結ぶ 明治29年に開業
昭和14年(1939年)に大師橋が出来廃止。
羽田の渡し
六左衛門の渡し
大師橋 羽田と殿町を結ぶ 江戸後期には川崎大師への参詣客に利用される
昭和14年に大師橋が出来るまで続く。