銀座








夜の銀座
ビルの影が長く歩道へおちるころになると、
ラッシュアワーがはじまる。
流し円タクが通らなくなる。
脚、脚、脚。
バーの扉がそろそろひらく。
日本橋、丸の内、芝、
ほうぼうから若い社員があるいてくる。
18時をピークにして人出も減る。
歩く速度もおちる。
これと前後して、夜店がはじまる。
と、また次第に人出が増す。
今度は純粋の散歩人種だ。
家に帰って食事を済ませた連中の歩度は極めて緩い。
20時、カフェの扉がせわしくきしる。
20時、演舞場と東劇のハネだ。
自動車が四丁目の交差点をうるさく通る。
23時、交通整理やめ。
夜店しだいに片付け。
街路樹に引っかかる酔っ払い。
飾窓がしまる。
23時半。カフェ看板。
女給の帰りを待つやつが、周りも気にしながらぶらぶらしている。
カタンカタン、女給が駒下駄をはいて帰る。
赤と青の電車が灯篭ながしのようにうごく。
1時、街で目立つのは自動車ばかり。
ネオンサインが笑っている。喧嘩。
2時。電車が完全にとまる。
まだ用がありそうにブラブラしている人。
3時。異様な静けさ。
松坂屋屋上のライオンのうなり声。
裏通りをモソモソ歩く浮浪者。
あくびをしたような形の砂利電車。
省線の始発電車。
(中公文庫,銀座細見,安藤更生 1977.9.10初版,)

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不二家
菓子とコーヒーは不二家という事になっている。
実質はどうでも、とにかくそうなっている。
また、コーヒーは実質うまい。
ここもモボ・モガのメッカみたいなところ。
どういうものか、ここの前はペーブメントがちがう。
地震前もそうだった。
ここの前に市松のタイルを敷く敷かないの議論をしているうちに地震があった。
この店で気に入らない事がひとつある。
ボーイが鈍感なのと、服の不潔なことだ。
敢えて苦言を呈す。
二階の窓から松坂屋を前にしてみる銀座の通りは壮観だ。
松屋前、新橋から見た銀座などと並んで近代都市美の最高潮だ。
(中公文庫,銀座細見,安藤更生 1977.9.10初版,)

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《日本電報通信社社屋》(起工:昭和7年9月1日、竣工:昭和8年12月15日)、
『電通社史』(日本電報通信社、昭和13年10月11日)より。
左端に交詢社が見える。
この通りは銀座6丁目と7丁目の境、ここを直進して銀座通りにゆきあたると、左手にエッフェル塔のネオンのコロンバン。
その十字路の右向こうには、今もサッポロライオン銀座七丁目店として健在の菅原栄蔵設計の大日本麦酒株式会社(1階はライオンビアホール)の建物(竣工:昭和9年4月)がそびえたっている*5。
数寄屋橋・日比谷界隈で威容を誇っていた日劇も朝日新聞社もマツダビルも旧東京宝塚劇場も三信ビルも有楽座も当時の建物は消えてしまったけれども、
昭和8年12月に出来たてのほやほやだった建物では、外堀通り沿いのこの電通ビルが今もひっそりと健在であり、前を通りかかるといつもちょっと嬉しい。

日用帳