[東京浅草]光月町

明治3年(1870年)
日本最小の町 光月町
藪ノ内の前の大通りをまっすぐ西に進むと下谷坂本1丁目の停留場に交差して,上根岸をかすり,上野の桜木町を貫いて動坂線の藍染橋まででてしまうが,ここではそんなに先走る必要はない。
藪ノ内から浅草観音の裏手,すなわち宮古座横町の前から,ものの3丁ほど進んで須賀町と三ノ輪町とをつなぐ電車予定線に交差する右角に,はなはだ小さく,はなはだ愛すべき町がある。
その町は約1町四方あるかないかの面積の町で「光月町」と呼び,1番地はあれども2番地も3番地もない,おそらく日本中で一番小さな町なのだ。
西の一片は下谷区入谷町に接し,南北の三辺は浅草千束町につつまれ,それで入谷町にも千束町にも属さぬ事は,あたかもモナコ公国が欧州列強のあいだに屋台骨をはっている格好に似る。
この一帯は昔はもちろん田んぼと池沼であったが,正保2年(1645年) に新鳥越町の商店をここに移して「新鳥越町4丁目飛び地」とするも,容易に田圃はうまらず,立花左近将監の下屋敷がチョンボリ田の中にあるくらいものであった。
明治3年(1870年)11月に「光月町」に改名,俗には北寺町と称し,
明治5年(1872年) に立花邸が引けて後はひさしく「左近原」の名をとどめ,昼も寂しいところであった。
ただ,邸内の太郎稲荷だけは名高い霊狐の由緒で,昔からの信仰をつないでいた。
-矢田挿雲,江戸から東京へ,中央公論社

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