吉原遊郭

















1750
江戸の遊郭
江戸時代,幕府容認の遊郭と言えばまず「元吉原」,吉原から移った浅草田圃の「新吉原」が挙げられる。
その他,品川,新宿,板橋,千住のいわゆる「江戸四宿の遊郭」をはじめ,音羽,根津などもぐりの遊び場もあり,こちらは「江戸岡場所」と呼ばれていた。
「岡場所」の「丘」は「他」のことである。
「岡目八目」と言えば「他人がよく見ればよく気づく」と言う意味であり,「岡惚れ」は惚れてはいけない他人の女房に惚れること。
また「岡っぴき」と言えば公では無い私立刑事みたいなものである。
「岡場所」はしたがって官公庁の許可のない潜りの場所であった。
江戸の歴史を見ると,火事の多さには到底かなわないが,岡場所の弾圧や禁令もかなりの数になる。
例えば享保8年(1723年)5月3日には,音羽の護国寺門前/根津宮永町の娼婦が検察を受け,
享保3年(1746年)2月6日にも根津宮永町から50人の娼婦が捉えられて浅草の吉原に移されている。
ことに有名な水野忠邦による天保12年(1841年)の改革で,日本橋堺町と葺屋町にあった芝居小屋を浅草観音裏の猿若町に移し,府内25ヶ所の岡場所の壊滅を図った。
しかし叩かれても叩かれても遊里は不死身であった。
おそらく江戸に単身赴任の男性が多くいたためである。
参勤交代で江戸詰に来た若侍や江戸店[えどだな]と称する上方商店の江戸支店に奉公にやってきていた店員などの精力のはけ口として手ごろな遊び場は不可欠だったと考えられる。
岡場所・隠れ里は音羽とか根津とか深川にあった。
いずれも門前町で,四季の物見や参詣に人々が集中する土地柄であった。
根津の通りを挟んで惣門内の盛んだった事は,「花散る里」に
「根津権現様・惣門前,左右前後建ち並ぶことひつひつなり。
金ニ朱500文,寝屋間座敷にして客多く有る節割床になし,ずいぶんよろしく何事によらず女風俗も格別によろしく,茶屋杯より送りたくもあり,芸者女男共金ニ朱」。
とあるほどであった。
ちなみに25ヶ所をあげれば,
三田新地,
麻布薮下,
麻布兵衛町,
赤坂田町,
鮫ヶ橋,
市ヶ谷,
音羽,
谷中,
根津,
堂前,
本町入江町,
一ッ目駅弁天,
松井町,
おたび,
常盤町,
新石場,
古石場,
網打場,
あはる,
大新地,
小新地,
表櫓下,
横櫓下,
据継,
仲町
である。
ー東京路上細見,林順信,初版1987年

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1889
祭日の状況
昨日16日は地獄の東門を押し開いて,娑婆に遊びに出た亡者どもがのんのんと立ち戻り,引き換えに閻魔大王は娑婆へ出掛けて一稼ぎと言う「盂蘭盆[うらぼん]」のお仕舞日。
市中一般の丁稚小憎どもは太陽より先に起きて「薮入」をするよりも第一にめざましく賃銭を取り上げしは,人力車馬車さて薮入連の遊技場は浅草・上野・芝の公園,芝居は吾妻座を始め,常盤座,ちょっと離れて柳盛座,浄瑠璃座,ずっと離れて麻布の開盛座,高砂座,盛元座,いずれも小僧連相応のお芝居ゆえ,各純座[ほいざ]とも午前の内客留め。
浅草寺仁王門楼上は,大人1銭,子供5厘にて,登楼を許せしゆえ,午後2時ごろまでに1万余人登楼人ありと,同公園内の写真屋は如何様と言う。
硝子取の客すこぶる多く,氷屋の店は約27軒もできたり,楊弓場,大弓場は大小僧・中小憎連がアヤメの前に引きずり込まれて,いよいよ隊長の声を嬉しがる。
いずれの飲食店も5・6日の不漁に品払底を告げながら,来客は去年に2倍なり。
ちょっと離れて王子辺には大小僧・中小憎連が随分出かけ,海老屋・扇屋なども明間のなき景気なりと。
閻魔大王の景気と言うに,
小伝馬上町の見世,
茅場町の見世,
深川亀住町法乗院の見世,
下谷常楽寺の見世,
浅草蔵前の見世,
浅草正智院の見世,
千住勝専寺の見世,
両国回向院の見世,
をはじめ,四ツ谷太宗寺の本店まで,あたかも好天気ゆえ,いずれも出商人おびただしく,参拝も群集したり。
またちょっと離れて新吉原廓は中小の貸座敷に大小憎・中小憎の浮かれ込み多く,日中より脂汗を流して騒いでいるものもあり。
洲崎郭も今年は殊の外景気好く,一昨年よりも昨夜にかけては,なかなかの賑わいなり。
その他興行場は,
回向院のウオジャーの曲馬,
弁天山の大象,
浅草花やしきのジオラマ館
なども大入,諸処の昼寄席も総じて去年より景気好き方なると言う。
ー朝日新聞,1889.7.17号

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1890
廻れば大門の見返り柳いと長けれど,
お歯黒溝に燈火映る三階の騒ぎも手に取るごとく,
明け暮れなしの車の往来にはかりしれぬ全盛を占いて,
「大音寺前」と名は仏くさけれど,さりとは陽気の町と知りたる人の申しき
―樋口一葉,たけくらべ,

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1928
吉原
萩原朔太郎
高い板塀の中に囲まれている
薄暗い陰気な区域だ
それでも空き地に溝が流れて
木が生え
白き石灰酸の匂いはぷんぷんたり
吉原!
土手に死んでいる蛙のやうに
白く腹を出している遊郭地帯だ
かなしい板塀の中の囲ひの中で
おれの色女が泣いている声をきいた
夜つびとへだ
それから消化不良のうどんを食って
煤けた電気の下に寝そべっていた
「また来てくんろよう!」
曇った絶望の天気の日でも
女郎屋の看板に写真がでている
―萩原朔太郎詩集,1928年初刊,
―日本の詩歌11-萩原朔太郎,中公文庫,1978年刊,

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1955