[東京日本橋]丸善百貨店








1922
丸善階上喫茶室小景
ほとんど初期の春信みたいな彩りで
またわざと古びた青磁の色の窓かけと
ごく落ち着いた陰影を飾ったこの室内に
私は1つの疑問を持つ
壁をめぐってソファーと椅子は巡らされ
そいつはみんな共色で
大変品よくできてはいるが
どういうわけかどの壁も
ちょうどそれらの椅子やソファーのすぐ上で
椅子では1つ,ソファーは4つ,
団子のようににじんでいる
  …高い椅子には高いところで
  低いソファーは低いところで
  壁が不思議ににじんでいる…!
    空には浮かぶ鯖の雲
    築地の上には光ってかかる雲の峯
たちまちひとり
青白い眼とこけた頬との持ち主が
奇跡のようにソファーに座る
それから頭が機械のように
後ろの壁に寄りかかる
    なるほどこういうわけだ
    20世紀の日本では
    学校と言う特殊な機関がたくさんあって
    その高級な種類の中の青年たちは
    あんまり自分の勉強が
    永くかかってどうやら
    若さもなくなりそうで
    とてもこられてこらえていられないので
    大抵,椿か鯖の油を頭につける
    そして十分,女や酒や登山のことを考えた上で
    ドイツあるいは英語の本を読まなければならぬ
    それが明日この壁に残って,次の世紀へ送られる
       向こうはちょうど建築中
       ゴツシン・フウと湯気を吹き出す蒸気槌  
       のぼってザァとコンクリートを注ぐ函
そこで隅にはどこかの沼か
陰気な街の植木店から
伐り取ってきた東洋趣味の蘆もそよぐというわけだ
    風が吹き
    電車のきしり
    煙突の先はまはるまはる
またはいってくる
仕立の服の見本をつけた
まだうら若いひとりの紳士
その人は,ごく慎ましくタバコを出して
   電車がきしり
   自動車が鳴り
   自動車が鳴り
ごく慎ましくマッチをすれば
   コンクリートの函館はのぼって
   青空青空,光る鯖雲
ほう,何たる脅威
マッチがみんな爆発して
人は慌てて白金製の指輪をはめた手をこする
  …その白金が大爆発の原因ですよ…
    ビルディングの黄色いレンガ
    波のように光り
    昼の銀杏も
    ボロボロになった電線も揺れて
    コッカの色のドームの上で
    避雷針の先も凄く光
ー宮沢賢治詩集,岩波文庫

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1922
浮世絵
膠とわずかの明暮が
  …おお,その超絶顕微鏡的に微細精巧の億兆の網…  
真っ白な楮[こうぞ]私の性質を連結して
湿気によってごく敏感に増減し
気温によっていみじくいみじく呼吸する
長方形のごく頼りない1つの薄い屑を作る
  今そこに
  あやしく刻み出される
  雪肉乃格象牙色の半彫像    
愛染される
一乃至九の単色調  
それは光波のたびごとに
もろくも崩れて色褪せる
見たまへ,これら古い時代の数十の頬は
あるひは解き得ぬ笑ひを堪え    
あるひは解き得て,あまりに熱い情熱は
その細やかな眼にも移して
褐色タイルの方室内の中
茶色なラックの壁上に
巨きな四次の軌跡を覗く  
窓でもあるかとかかっている
高雅優美な信教と
諷刺性の遺学を持った  
王國・日本の洗練された紳士淑女は
慎ましく,慎ましくその一々の
12平方デシにも満たぬ
小さな紙片をめぐって
あるいはその愛欲のあまりにも優しい模型から
胸の中に燃えて出る入れようとする炎を
はるかに遠い時空の彼方に浄化して
足音軽く,眉も気高く行きつくし
あるひはこれらの遠い時空の隔りを
直ちに紙片の中に移して
その古い欲情の香りを呼吸して
こころもそらに,足も洞に行き過ぎる
そこには苹果青の豊かな草地や
曇りの薄い空を映して称える水や  
はるかに光る小さな赤い鳥居から
幾列飾る珪孔雀石の杉の木や
   永久的な「神仙國」の創設者
   形によれる最偉大な童話の作家
どんよりと淀んだ大気の中では
風も大変ものうくて
あまりにも生易しいその人は
丘に立ってその陶製品の杯の
一つ二つ三つを投げれば
わづかに波立つその膠質の黄色の上
  その一々の波こそは
  ここでは巨きな事跡である
それに答へて現れるのは
はじめてまばゆい白の雲
それは小松木を点々乗せた
黄色な丘をめぐってこっちへ動いてくる
    1つの違ったアトモスフェアと
    無邪気な地物の設計者
人はやっぱり秋には
稲穂を叩いたり
鳴子をひいたりするけれども
氷点は摂氏10度であって
雪はあたかも風の積もった綿であり
柳の波に積む時も
全く違った重力法に寄らねばならぬ
夏には雨が
黒い空から降るけれども
笹舟を動かすものは
風よりもむしろ,好奇の意思であり
蓮はすべてロータスといふ種類で
開くときには鼓のように
暮れの空気を震わせる
しかもこれらの童期はやがて
熱く眩い青春になり
豊かな愛憫の瞳もをどり
またその静かな筋骨も軋る
赤い花と,はるかに光る水の色
例えばマグロの刺身のように
妖治な紅い唇や
青々として剃り落とされた淫蕩な眉
鋭い2日の月もかかれば
疲れて潤む瞳に映る
町並みの屋根の灰色した正反射
    その目の周りに
    ああ,風の影とも見え
    また紙がにじみ出したとも見える
    この恥じらいの薄い白色
黒い空から風が通れば
柳も揺れて
風の後からすぎる情炎
ー宮沢賢治詩集,岩波文庫

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