[東京日本橋]白木屋百貨店
















1955,昭和期の白木屋













1920,大正期の白木屋











1923, 関東大震災








1603
日本橋
武州江戸日本橋の架橋は慶長8(1603)年と言われる。
徳川家康が征夷大将軍となり,江戸に幕府を開いた年である。
その時は橋の長さ37間4尺5寸,幅4間3尺5寸。
翌年,36町を1里として日本橋を中心に一里塚を作り,榎を植えて目印とした。
ここを起点として,東海道・中山道・奥州街道・千葉街道・甲州街道が4本に伸びていた。
それから何回か改築され明治40余年に石橋になった。
これが今の日本橋である。
そしてこの7ツだちの頃から,

お江戸 日本橋 財布が空で
橋の上から どちらを見ても
どこ行こうか 行く手がみえぬ
やれさぁ お江戸の 思案橋

と昭和初期の流行歌にも歌われ,わたる人,たたずむ人は変わっても,また時勢は江戸から東京へ,明治・大正・昭和と変わっても,橋は300年の風雪に耐えてきた。
江戸時代,日本橋のたもとには旅の具,荷馬の装束を商う店が多かった。
この付近は魚河岸・米川岸・芝河岸・塩河岸などがあり,問屋や倉庫が軒を連ねていた。
この界隈には江戸市中で屈指の商店が暖簾を掲げていた。
これは家康が今で言えば都市計画に従って,京阪・堺・近江の商店を招いたことによる。
鰹節の「にんべん」,佃煮の「鮒佐」,甘納豆・梅干の「榮太楼」,布団の「西川」,塗り物の「木屋」,ポマードでなじみの深い「柳屋」など皆江戸時代の創業である。
ー東京歴史散歩,河出新書,高橋真一

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1907
大名御用の「白木屋」,「越後屋(後の三越屋)」,「松坂屋」はその後百貨店になったが,
「米国に行われるデパートメントストアの一部を実現可能いたし候事」
と先鞭をつき,三越が百貨店経営に乗り出したのは明治40年のことである。
株式の街・兜町は隅田川に寄ったところにあり,東京証券取引は明治11年に創立され,資本主義の浮き沈みを象徴している。
ー東京歴史散歩,河出新書,高橋真一

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