関東大震火災

1923


関東大震火災
大正12年9月1日正午2分前、東京・伊豆・千葉一帯を襲った関東大地震は、一瞬にしかも広範囲にわたる災禍をもたらし、関東一円を混乱におとし入れた。
4・1地震の惨害
早朝に二百十日の暴風、それに続いて大地震、大火災高潮の来襲と相つぎ、
2日間の火災で東京市内の59パ-セントが焼け、横浜市と横須賀市は全焼、その他の小都市には全壊・全埋没などが多数あった。
東海道線生麦付近乗越線京浜電車線の破壊状況 小粥敏広
 破壊的地震は最初の12時間内に114回、次の12時間に88回、翌日の24時間が107回、
地震計にのみ感じたものを加えると3日間で1,700 回、最大時の震幅12cm、波動18cmにおよび、次第に間隔は遠のいたが連日連夜揺れていた。
全く地震を感じなくなった日がはじめて訪れたのは40日の後である。
9月1日正午以降に交通杜絶した鉄道線路は数えあげるいとまもなく、横須賀駅において女学生200余名の修学旅行団が列車とともに埋没して2週間も放置され、
臭気甚だしく、蝿が群をなして蝟集するという惨状もあった。
4・2 施設の破損 
省線電車線は地震と同時に道床と架線を破壊され、瞬時にして全線不通となり、
立往生汽車48本182両を算し、さらに3日間にわたる沿線の火災によって架線・変電所・送電線・駅舎などの施設を焼損し、
車両8組成31両を失い、各電車庫において留置中の電車4両を破損している。
また城東地区本所在の汽車会社東京支店の類焼によって新製中の電車車体9両分も失われた。
電車線と電気施設の被害概要は以下の通りである。
京浜線は市内高架部分と横浜市高架に区間が特に甚だしく、
有楽町-新橋間高架橋台の傾斜、
有楽町-田町問の道床沈下とき電線架線焼失、
品川-蒲田間の堤崩壊道床沈下、
大井町-東神奈川間の断線、
横浜‐桜木町間高架線の道床沈下と架線焼失
などである。
中央線は東京-万世橋間高架橋台傾斜と架線焼損、
御茶ノ水-水道橋間切通し崩壊、
水道橋-牛込間の架線とマクラ木焼失、
牛込-四ツ谷間の崩壊
が主なものである。
山手線は品川-大崎間断線、
大崎-目黒間崩壊、
目黒-恵比寿間
代々木-新宿間橋脚破損、
新宿-新大久保間新専用線の道床沈下、
鶯谷-上野間の沿線類焼
などがある。
駅舎の焼失は、
有楽町・新橋・浜松町・神奈川・横浜・桜木町・神田・万世橋・御茶ノ水・水道橋・飯田町・鶯谷・上野、
また倒壊駅は牛込・荻窪、沈下破損駅は五反目・恵比寿・代々木の各駅だった。
焼失駅舎は当分の間機能を失い、中には万世橋のように焼死体仮収容所に充てられた所もある。
電車庫の被害は、
品川庫地盤沈下、
道床亀裂、
中野庫建物破損、
東神奈川庫建物傾斜、
蒲田分庫地盤沈下、建物折損、池袋分庫ピット全壊がかぞえられた。
電化施設の損害は、
矢口発電所大破、
永楽町変電所全焼、
川崎変電所倒壊、
大久保変電所大破
したが、大井町・田端・吉祥寺の各変電所は損害軽微だった。
4・3 地震当時の電車運用
地震発生の際に運用されていたために立往生、運行不能となった電車は次の通りである。
○京浜線下り線
桜木町-東京間5両編成7本(823~835列車)、
823~831は東神奈川-品川同にあって無事。
833と835は東京駅にあったが同じく被害はなかった。

国鉄電車発達史(運輸と運転)
http://ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/a2.htm




上野駅周辺