[東京池袋] 雑記











1952年の東京・池袋東口


1952年の東京・池袋東口。巣鴨プリズンがよく見えた。
池袋の西武百貨店屋上から北東方向を撮った。
当時は都電の17番線がここを始発として、水道橋や神田を通って(上の1-1)
東京駅八重洲口、さらに数寄屋橋まで行っていた。その都電が写真中央部(黒煙を吐き出している煙突の少し右)に小さく写っている。
その煙突の先に見える、白くて横に大きく拡がっている建物は巣鴨プリズンである。
第二次世界大戦が1945年に終わり、戦犯とされた旧軍人や政治家が収容されていたところだ。
いまは、高層ビル、池袋サンシャインになっている。
(撮影機材はSamoca 35。レンズはトリプレットのEzmar 50mmf3.5。
当時の最高峰レンズ、ライカのelmarに似た名前を付けているのが哀しい。フィルムはフジ・ネオパンSS) 

島村英紀が撮っていた歴史的な写真











2010年12月25日18:18 
昭和30年代池袋西武デパート屋上のカルピス広告塔
昭和33年から35年までを含む年代に、池袋西武デパート屋上にカルピスのネオン広告塔があったのを覚えておいでの方はいらっしゃいませんか。その写真を探しています。
ネット検索では、カルピス㈱の社史にも出ていませんでした。
黒人がストローでカルピスを飲んでいる絵柄だったと思います。
昭和33年の3月から、35年の7月まで住んだのが、東京・豊島区雑司が谷7丁目1066番地(現在は西池袋2丁目)にあった「さわら荘」でした。
4畳半の部屋が廊下をはさんで左右に並ぶ2階建てで、全部で30室ほどあり、造り付けの小さな調理・流し台と食器棚に3尺の洋服箪笥と1間の押入れがあり、4畳半にしては設備がよかったのですが、山手線のすぐ線路わきで、電車の騒音が難点でした。
このアパートを選んだのは、不動産屋を通さずに空き部屋があって、周旋料をとられなくて済んだからでした。
線路に面した2階の部屋に入居したので、電車の騒音はすさまじいものでした。
会話はもちろん、テレビの音声も通過中は聞こえなくなるほどで、夜間に気にしないで眠れるようになるまでには、かなり時間が必要でした。
東に面する窓を開けると、線路をはさんで西武デパート屋上のカルピスのネオンがよく見えました。
このネオンが二人の生活のシンボルのようになり、新婚1ヶ月半ほどの5月5日に「カルピス」の詩ができました。
後に南こうせつの「神田川」が流行したとき、この詩のBGMのような気がしたものです。
昔の写真にカルピスのネオンの写真が添えられたら、53年前を復活させる記念物が一つ出来そうな気がしています。
お心当りのある方にご協力いただけましたら幸いです。

志村建世のブログ