[東京新宿] 純喫茶スカラ座
















 

[東京新宿]  純喫茶スカラ座
#喫茶食堂
純喫茶の原点,新宿「スカラ座」の厚み
正統派喫茶店探訪
田沢竜次
1970年代,学生たちにとって欠かせなかったのが『マンモス喫茶』であり,24時間営業の深夜喫茶だ。
当時,両方の要素を備えた店が多かったが,特によく利用したのが,新宿は東口の国際名画座(ピンク映画専門館でおなじみ)と昭和館(やくざ映画専門館でおなじみ)との中間あたりにあった「穂高」である。
僕は大学入学後,早速,映画好きが集まって合評したり同人誌をつくるサークルに入ったが,まともな部室もなかったので,しばしばこの「穂高」が集合場所となった。30も40もずらりと並んだ席では,僕たちのようにサークルやゼミの学生たちが議論をしたり,営業マンのミーティングや社会人のサークルの集合場所ともなっていて大変な賑わいであった。
わがサークルの部室代わりの「穂高」であるが,終夜営業でもあったので飲み会で終電車に乗り損なった時,オールナイトの特集上映明け(池袋の文芸座や新宿ロマン劇場では懐かしの日本映画を監督別・俳優別にオールナイト5本立てを試みいつも満員の盛況ぶりであった)に何かと世話になった。
徹夜明けだというのに気は高ぶり,映画論をたたかわせているうちに,ついでに朝食というわけで食べ放題のトーストに手がのびる。いくら食べ放題とはいえ,しつこくお代わりをして嫌な顔をされることもしばしばだった。
それにしても、モーニングサービス・食べ放題の文句はどれだけ当時の金欠青年たちを魅了したことだろう。少々ひなびた風味のトーストやサンドイッチは喫茶店特有のスパゲティ・ナポリタンやドライカレーなどの味わいと同様,決して美味とはいえないがどこか青春の光と影を思わせて忘れがたい。
新宿の喫茶店といえば、フーテンから前衛アーチストまで1960年代という時代を丸ごと飲み込んだ「風月堂」,モダンジャズの「木馬」,木造で階段がギシギシ鳴った「青城」など名物店は枚挙にいとまがない。
1970年代後半あたりからだったろうか,こうした個性的な店々は次々に姿を消していった。そんな様変わりの頃,新宿に行く度に必ずといっていいほど立ち寄った店がある。歌舞伎町はコマ劇場近くという騒然とした環境にもかかわらず,純喫茶の原点ここにありの風格で屹立していた「スカラ座」で,うれしいことにまだ健在(1992年)だ。靖国通りからコマ劇場に向かうストリートから右手の小路を折れるとすぐにツタのからまる古色蒼然とした建物が目に飛びこんでくる。
中は一階から三階まで各フロアーがあたかも往年の日本映画のセットのように構成され,上から下の階の客席の様子が観察できる。さらに同じフロアーでも天井や柱の様子が変化し,天窓のある明るい空間があるかと思えば,三階の奥には隠し部屋のような広いスペースが出現したり,昔使われていたカウンターがそのまま残っていたりと,まことにドラマ性豊かな造りなのだ。さらに天井からはシャンデリア,階段の脇には各国の調度品,そして中央には暖炉と,正統派喫茶店にふさわしい無駄な発想に貫かれている。
オープンはそんな無駄を盛り込むことが新たしい流行だった昭和29年。まだコマ劇場前の道が未舗装だった時代である。不況で物のない時代,喫茶店でクラシック音楽に耳を傾けながらコーヒーを飲むという過ごし方は,贅沢で貴重なものだった。終夜営業のため,客が通路に新聞紙を敷いて座り,朝まで席の空くのを待つといった光景も珍しくなかったという。
ウエイターやウエイトレスの競争率も高く,難関を突破して入った人のなかにはメニューのデザインやコピーの文案を手がけたりした人もいた。その当時のメニューを見ると、ジュースの文字ひとつとっても工夫が凝らされていて楽しい。
オレンジミルク,
ポートワインパンチ,
ミルクパンチ,
梅酒入緑茶........
独特なメニューが並んでいる。メニューのみならず,まるで往年のドイツ表現主義もかくやと思わせる大胆な設計もすごい。
「柱や梁をよくご覧ください。統一されてないでしょう。実は親父が自ら木場まで行って材木を購入して図面もなしで無手勝流で設計したんですよ。暖炉はど真ん中にあるし,飾り物も各国から集めてきたものです。道楽が喫茶店に通用した良い時代だったのかも知れませんね」
こう語る長谷川岱山さんは「スカラ座」にまつわる数々のエピソードを披露してくれた。
姉妹店としてオープンした「カチューシャ」が歌声喫茶として一世を風靡したこと,後のコーヒー専門店に受け継がれてゆくコーヒー豆の銘柄別紹介の試み,カジュアルな立ち飲みコーヒー店の試み.....新宿の喫茶史を語る上でスカラ座は無視できない
ー雑誌東京人,1993年9月号,p84,

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昭和29年創業の新宿にあった 名曲喫茶「スカラ座」は コロナには勝てず 今年2020年8月に 歴史の幕を下ろしました😫💦
何とも寂しい限りですね😫💦
グループ名に反した投稿で すみません😢⤵️⤵️
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1960年代 東京の街にはたくさんのジャズ喫茶があったけど びざーる、DIG. ヴィレッジゲートは新宿 音楽館、は渋谷 水道橋にSWINGがあった 京都のブルーノートに夜行列車で行ったことがあったっけ そして 下北沢にはマサコがあった 毎日通ってた もうみんななくなった
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マサコ行ってみたかった!
確かに好きだった国立邪宗門や吉祥寺モカなんかも久しぶりに行くと随分前に閉店しててがっかりしました!😭
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下北沢にも邪宗門はあります 多分まだあると思いますが…
何が悲しいって マサコがないのが一番悲しいです 世田谷の猿騒動の時福島さんがテレビ出てました
朝行くと必ずElla in Berlinがかかってました

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