銀座,1977







70年代の東京の様子がこれらしい この時代に生きたい

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初期の銀ブラの空気が、フランス好みを中心にしていた事は確かである。
プランタン、ライオンなどのカフェはフランスのそれを模したものだし、
資生堂は、今日にいたるまで、その化粧品部といい、ソーダファウンテンといい、
もっとも濃厚に仏蘭西風の趣味をみせているのである。
銀座を闊歩する人間は仏蘭西帰りが多かった。
最もハイカラな洋服はパリスタイルといわれた。
換言すれば、昨日までの銀座は、フランス文化、すなわち欧羅巴文化の光被の下にあったのである。
ところが、今日の銀座はそれと面目を異にしている。
今日の銀座に君臨しているものはアメリカ二ズムである。
モンマルトル、シャボテエ、ポントン、ムーラン・・・・
今日でも、銀座のカフェにはフランス語やフランス風の名前をつけている店が多いが、
それらは直接フランスからうけたものではない。
欧州大戦以降盛んになったアメリカのフランス好みを通しての模倣なのだ。
―中公文庫,銀座細見,安藤更生 1977.9.10初版,   

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1977年秋
例えば、利用者が最も多い経路「渋谷~銀座」まで行くとしよう。
全線を銀座線で乗った場合、両駅間は7.2kmなので120円になるはず。
しかし、実際は最短経路で算定して
渋谷~銀座:100円
となる。
なぜなら、最短距離で行くと、この金額になるから。
最短経路で行くとすると、
銀座線[渋谷~表参道]~千代田線[表参道~霞ヶ関]~丸の内線[霞ヶ関~銀座]
という経路になるが、なかなか乗換えは面倒なものだ。
それよりも座ったまま行ける銀座線一本で行く人がほとんどだろう。
―地下鉄 ただいまモグラ族1000万人(コーキ出版,1978年刊)

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