[東京新宿] 新宿座





1939
■東京ブルース
作詞:西條八十、作曲:服部良一、唄:淡谷のり子 
   雨が降る降る アパートの 窓の娘よ なに想う 
   ・・・
   ああ 青い灯 赤い灯 フィルムは歌うよ 
   更けゆく新宿 小田急の窓で 君が別れに 投げる花 
同名の東宝映画の主題歌として、昭和14年(1939)に作られたもの。 
昭和12年(1937)の『別れのブルース』、
同13年(1938)の『雨のブルース』と『思い出のブルース』
に続いて発表された服部良一のブルースです。
いずれも淡谷のり子が歌いました。 
戦後派には、昭和39年(1964)にヒットした西田佐知子の『東京ブルース』のほうがなじみがありますが、ブルースの特徴は淡谷版のほうがよく出ていると思います。 
銀座・浅草・新宿と、『東京行進曲』と同じ盛り場を、新感覚のメロディー、ブルースで歌ったもの。 
歌詞にも、ネオン、エレベーター、プラネタリウム、喫茶店、紅茶、フランス人形といった、当時としては都会的なアイテムがちりばめられています。 
1番の三味線堀は、寛永年間から大正初めまで、今日の台東区小島町にあった堀割。
不忍池から流れ出た忍川が鳥越川につながるところに舟溜まりとして掘られたもので、形が三味線に似ていたところからこの名がついたといわれます。 
三味線堀を出た流れは鳥越川を経て隅田川に注ぎました。 
大正の半ばごろにはほとんど埋めたれられて、この歌のころには地名としてしか残っていなかったはずです。 
2番のプラネタリウムについて天文家の小川誠治さんから、有楽町駅前にあった
「東日天文館」
かもしれない、という示唆をいただきました。 
東日天文館は、日本で2番目のプラネタリウムとして、昭和13年(1938)11月に開館。
同20年(1945)5月25日の空襲でプラネタリウムのあった階などが被弾しましたが、建物やドームは残って、戦後東京放送のスタジオとして使用されたそうです。 
昭和42年(1967)、新有楽町ビル建設に伴い解体されました。 
この歌がリリースされる1年前のオープンで、場所も有楽町というデート(当時はランデブーでしょうか)の名所でしたから、作詞に当たって西條八十が着目した可能性は高いといってよいでしょう。 
3番の絽刺には「ししゅう」とルビが振ってありますが、通常は「ろざし」と呼ばれたようです。絽は透けて見えるような薄い絹織物で、夏の羽織や単衣(ひとえ)、袴などに使われました。この絽に色糸で模様を作ったのが絽刺で、要するに日本刺繍ですね。 
4番「武蔵野の……映画街」といえば、新宿 駅中央東口を出たところに武蔵野館という映画館があります。
もうなくなったかもと思って調べてみたら、健在でした。
学生時代(昭和30年代後半)に私が通った新宿の映画館で今もあるのは、この武蔵野館とミラノ座ぐらいかもしれません。 
ミラノ座と向かい合わせに建っていたコマ劇場はなくなってしまいました。 
『東京行進曲』の4番に「変わる新宿 あの武蔵野の」というフレーズがありますが、今は変貌がさらに加速されているように思われます。
盛り場としての新宿はとうの昔に「私の新宿」ではなくなってしまいました。 
#映画館

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