ハウスマヌカン,コム・デ・ギャルソン,カラス族




1987
ところで、ジャケット姿のレオ・セイヤーって、ここのところ流行りのコム・デ・ギャルソン・オムのスーツ風だと思いません?
やたらと批評家受けの良いコム・デ・ギャルソンやワイズですけれど、
はっきり言って、そんなにすごいのかなあ、と思っちゃいます。
だって、川久保玲女史率いるコム・デ・ギャルソンの方って、
お葬式にでも行くのかしらって服でしょ。
といって、ボロ布を貼り合わせたような代物だから本チャンのお葬式には着ていけないし、
これなら、東京ソワールをデパートで買っていったほうが、まだ、マシだよね。になります。
川久保玲女史と一緒に、朝までルンルン、ビンビンしていたらしき時に、
デザインに関するアイデアを、全部盗み取ってしまったのではなしかしら、
と、ついつい、下衆な勘繰りをしちゃいたいくらいに、似た雰囲気のお洋服をお作りあそばされている山本耀司先生の場合は、もっとすごくて、
その辺の無名メーカーが倒産した時に放出された真っ黒なシャツとかを、横町町の現金問屋に行っては、
バンサカと買ってきて、
で、なんと、驚き、桃の木、山椒の木なことには、
タッグだけつけかえて(もちろん、あの、Y'sのタッグでありますよ)、お高い値段で売ってるなんて、
にわかには信じがたい、けれども、今や業界の公然の秘密みたいなウワサがあるんですよね。
もっとも、僕は、山本先生の良心というものを信じたいと思っております。
思うんですけれど、あれは、一種の文学的要素を持っているから、やたらと評価されているんじゃないかな、かな?です。
つまり、"既成の概念を打ち破った乞食ルック""黒こそ哲学の基本"
なんてキャッチフレーズがついちゃうと、精神的ブランドに弱い「知識人」の人たちって、
もう、それだけで、まいちゃう感じって、あるでしょ。
どこか、日本って、そういう、わかったような、わからないような理屈をこねくりまわす人は偉い、
という風潮があるみたいであります。
純文学なんていうのは、まったく、その象徴であります。
純文学という非生産的な家内工業をしている、物書き、評論家、編集者の人たちだって、
銀座のクラブの女の子たちと、お店がはねた後に、西麻布の焼肉屋「十々」でデートして、
それから、近所のホテル「ホテル霞」、「ホテル六本木」、「六本木プラザホテル」、
はたまた会員制のホテル「AYTC会館」あたりにおでかけしちゃう時に、いちいちそんな性に関する問いかけをしているわけ、
ないはずですよね。
でも、なぜか、陰では、女子大生や、二・三流モデル、女優、歌手とハデに遊んでいるのに、
表向きは清潔チックな表情で
「僕、一生懸命に頑張ります」
なんて、しゃあしゃあと行っちゃう原辰徳クンがうけるのですから、
やっぱり、日本という土壌は、努力とか、苦悩、反抗といった青臭い気分が似合っているのかもしれません。
―僕だけの東京ドライブ,田中康夫著(中公文庫,1987年刊)

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渋谷・ストリートに新潮流 自立したセクシー
2012.3
拡大「チューン」誌(2012年4月号)の表紙
写真:全身黒ずくめの「カラス族」。
この2人は「ハウスマヌカン」と呼ばれたDCブランドの販売員風=1981年、渋谷、アクロス編集部提供
写真:DCブランドブーム期によくみられた正統派スーツを崩すスタイル=1985年、新宿、アクロス編集部提供
日焼けした肌と特徴的なアイメークのコギャル=1999年、渋谷、アクロス編集部提供
 東京・渋谷の街角から、最新のおしゃれ人種が生まれ、雑誌やブログがそれを追う。
今年1月にも、新たなストリートスナップ誌が創刊された。
コギャル、ロリータ、「裏原」など様々な流行を生んできた東京のストリートファッション。
街を観察してきた2人の編集者に話を聞いた。
さながら狩りだった。2月初めの平日夕、渋谷の街で、今年1月創刊のストリートスナップ誌「ルビー」の撮影を見た。
109ビルの前で、撮影者の藤田佳祐さん(28)が人波に目を走らせる。「あの子、いいですね」。素早く走って先回りし、正面から眺めて戻って来た。「脚細くてバランスいいけど、今日はノーメークみたい。ちょっと惜しい」
撮影したのは1時間半で1回。「獲物」を見つけるのは簡単ではない。
「ファッションは着る人の作品だと考えている。完成度が高く、見て感動したら撮る。感覚的ですが」
と、青木正一編集長(56)はいう。
青木さんはストリートスナップの草分け的存在だ。
1985年、ロンドンやパリなどの街角で自分流の着こなしを楽しむ人を紹介する写真雑誌「ストリート」を創刊。
以来、新しいスタイルを見つけるごとに雑誌を作ってきた。
97年、原宿の若い女性を撮る「フルーツ」を創刊。
04年には、カジュアルな裏原系がはやる原宿で、新種族のアート系男子を見つけて「チューン」を作った。
新雑誌「ルビー」の被写体は、2010年末ごろから見るようになったという20代の女性たちだ。
長く形のよい脚を大胆に露出。格好良さとセクシーさが共存し、男にこびない。
「日本では露骨なセクシーはよしとされなかった」
と青木さん。コムデギャルソンに象徴される、知的でアート寄りのデザインの影響も強かった。
「ルビーの子たちは自信があって自立したセクシー。日本で初めて出てきたスタイルだと思う」
    ◇
同じ渋谷の街を、マーケティングの立場から、定点観測してきた人がいる。
パルコのウェブ雑誌「アクロス」編集長の高野公三子さんだ。
アクロスは80年から月1回、若者のストリートファッションを観測・分析してきた。
スタジャン、布バッグといった流行品を選び、通行人に占める割合を数え、撮影し、インタビューする。
そのルーツは、大正から昭和にかけて都市生活者の風俗を研究した今和次郎(こん・わじろう)の「考現学」だという。
アクロスのデータベースには、80年代にみられた黒ずくめの「カラス族」やDCブランドブーム、
90年代のコギャルといった流行が足跡を残す。
「80年代はデザイナーの言いなりになって『服に着られる』時代。
90年代は80年代を否定する傾向が強かった。
主体は着る人に移り、『着こなす』時代が来た」
ここ数年顕著なのは、流行の変化が遅くなる「トレンド2年越し現象」だ。
「企業がCRM(顧客関係管理)をやり過ぎているから」
と高野さんはみる。
客のほしがる売れ筋を調査し過ぎた結果、同じ流行がグルグルと巡り、新しい物が生まれにくくなった。
「客の方も、周りから浮きたくない気持ちが先行し、ファッションは単なる衣服になってしまった」
高野さんは今、トレンドに敏感な買い物客が集う渋谷よりも、若手クリエーターが集まる高円寺に、
新たなファッションの息吹を感じている。
「ファッションは人間のエモーショナルな部分をまとうもの。
前と違う動きがある時、目的や変化が一人一人のディテールに現れている時、調査の楽しさを感じます」
(安部美香子)

asahi.com
http://www.asahi.com/fashion/beauty/TKY201203040098.html







1980年代後半の日本で、株価、地価など資産価格の大幅な上昇が始まった。
本来の価格はその資産を利用することで生まれてくる収益などを基に決まるものだが、この時はそうした実力からかけ離れた異常な伸びを示した。
この時期を「バブル景気」(86年12月~91年2月、51カ月)という。
日経平均株価は89年の大納会で3万8915円の史上最高値をつけた。
東京圏のマンションの価格はサラリーマンの世帯年収の8倍にまで高騰した。
三菱地所による米ニューヨークのロックフェラーセンター買収など、海外の資産・企業を次々に買いあさるジャパンマネーに世界が注目した。
高級車が飛ぶように売れる「シーマ現象」。ゴルフ、スキー場と行楽地は人であふれ、リゾート開発が進む。
若者たちは東京・麻布十番のマハラジャなど高級ディスコで夜通し遊んだ。
好景気はどこまでも続くという思い込みや、「世界一の経済大国になった」というユーフォリア(陶酔感)が国全体を覆っていた。
だが、90年以降、年明けにまず株、その後地価も下落に転じる。
「バブル」ははじけ、しぼみ始めた。借金をして買った土地は売れなくなり、金融機関は巨額の不良債権を抱え、
日本は「失われた20年」の長期停滞に陥っていく。
90年3月27日、大蔵省(現 財務省)が金融機関に不動産融資の総量規制を通達した。
行き過ぎた不動産取引を抑え込む狙いだったが、これが地価バブルを崩壊させるきっかけとなり、
その後の日本に想定を超える深刻な打撃を与えることになった。
あれから25年――。
私たちはどこで酔い、間違い、傷み、懲りたのか。バブルにいったい何を学んだだろう。
日銀の「異次元の金融緩和」、海外投資家のマネー流入、公的年金資金の株式買い支えで、株価は今またバブルの状況に向かっているではないか。だからこそ、バブルとその崩壊の記憶を呼び戻してみたい。
「株や土地はもっと上がる」神話信じて過熱
1985年9月のプラザ合意後、ドルが急落。
11月には一時1ドル=200円台を割るなど急激な円高に見舞われた。
大都市部の地価高騰に目を付け、転売を狙った「地上げ」が大きな社会問題になった。
札束を積み上げて強引に転居や売却を迫る悪徳業者も。
東京都中央区入船の土地は地上げされて隙間(すきま)だらけに。
だが、90年以降、地価は下落していく=88年1月
ゴッホの名作「ひまわり」がロンドンで絵画としては当時最高の約53億円で落札。
落札主が安田火災海上保険と判明した。作品は同年秋、東京で公開された=87年3月。
90年に大昭和製紙の斉藤了英名誉会長が落札したゴッホの「医師ガシェの肖像」の値段は実に125億円だった
株や土地の値段は「もっと上がる」と、ほとんどの人が思い込んだために発生したのがバブル。
個人の財テクブームが過熱、サラリーマンの給料は上がった。銀行の定期預金の金利も最高で年率6%まで上昇した。「お金が増えたから」と言って、人々はお金を使い始めた。
週休2日制の社会に移行する一方で、帰宅は遅くなっていく。会社の残業時間は増え、仕事後の夜遊びも派手に。
夜のタクシー乗り場には長蛇の列。
恋人へのプレゼントは高額になり、クリスマスの時期はレストランの予約がなかなかとれなかった。
女性の活躍が取りざたされ、なかでも「女子大生」が目立った時代だった。
誰が買うのかデパートでは高額な絵画や宝飾品が売れに売れ、マイホームはどんどん高根の花になっていく。
米誌「フォーチュン」90年1月1日号は「今年の最も魅力的な経済人25人」に米コロンビア映画を買収したソニーの盛田昭夫会長を選んだ。
米国の企業や資産を買いあさるジャパンマネーが注目され、
ブルース・ウィリス主演で89年に日本でもヒットした映画「ダイ・ハード」も、ロサンゼルスで日本企業の本社ビルを占拠した犯行グループの狙いは金庫にある巨額なカネ――というストーリーだった。
株価は90年1月から急落していくが、楽観する人も多く、世の中の「バブル的」なムードは92年ごろまで続いた。

mainichi.jp
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/since1945/vol4.html?inb=ys