マハラジャ






マハラジャ (MAHARAJA) は、1980年代 –1990年代にNOVA21グループが日本全国に展開した高級ディスコチェーン店の総称。
1980年代のバブル期を代表するディスコの1つでもある。1984年のブームの1つ。
マハラジャの歴史
バブルの全盛期は大阪にマハラジャの1号店がオープンして日本全国に店舗を展開していった。
遂にはハワイにも店舗をオープンさせるなど、その人気は凄まじいものだった。
しかし、バブルの終焉とともにその人気は廃れて行き、1988年に起こった照明落下事故を機に1998年には最後となる横浜の店舗も閉店し、15年に渡る歴史に幕を閉じた。
ドレスコードシステム
マハラジャはドレスコード(服装チェック)の文化を生み出した店舗である。
多くのディスコなどで取り入れられたこのシステムは、入店前に服装を事前に確認され、ジーンズ等のカジュアルな服装での入場を禁止するというもの。
今ではめっぽう少なくなりましたが、当時はディスコにおいで服装確認を行う店が多かったみたいです。

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【マハラジャ祇園】料金・アクセス・営業時間・定休日情報&山本部長って誰??
公開日:  2017/08/31
今回は祇園に復活したマハラジャ祇園の行き方や値段、営業時間についての情報を調査してご紹介させて頂きます。
バブル時代に流行った物なので、今は知らない方もいらっしゃると思いますので以前のマハラジャについてもおさらいしていきたいと思います。
マハラジャ (MAHARAJA) は、1980年代 –1990年代にNOVA21グループが日本全国に展開した高級ディスコチェーン店の総称。
1980年代のバブル期を代表するディスコの1つでもある。1984年のブームの1つ。
 2010年11月には六本木に「マハラジャ六本木」2014年4月には大阪に「マハラジャ大阪」、2016年11月には名古屋に「マハラジャ名古屋」、2017年3月には大阪に「マハラジャミナミ」が復活。
これらの店舗は現在も営業中であるが、旧NOVA21グループとは経営母体が異なる。
簡単に言うと、高級ディスコのチェーン店の名前がマハラジャという訳です。
マハラジャの歴史
バブルの全盛期は大阪にマハラジャの1号店がオープンして日本全国に店舗を展開していった。
遂にはハワイにも店舗をオープンさせるなど、その人気は凄まじいものだった。
しかし、バブルの終焉とともにその人気は廃れて行き、1988年に起こった照明落下事故を機に1998年には最後となる横浜の店舗も閉店し、15年に渡る歴史に幕を閉じた。
ドレスコードシステム
マハラジャはドレスコード(服装チェック)の文化を生み出した店舗である。
多くのディスコなどで取り入れられたこのシステムは、入店前に服装を事前に確認され、ジーンズ等のカジュアルな服装での入場を禁止するというもの。
今ではめっぽう少なくなりましたが、当時はディスコにおいで服装確認を行う店が多かったみたいです。
スーツでの参加が好ましいという情報もありました。
男性のタンクトップ、Tシャツ、襟無しの服の場合は、ジャケット着用。
サンダル、クロックス、スリッパ、ジャージ、スウエット等の軽装のお客様は基本ご入場をお断りしております。
マハラジャの復活
現在はその人気が再燃しており、六本木・名古屋・大阪に店舗を復活させてマハラジャ。
今回復活するマハラジャ祇園は当時に存在していた所と同じ場所の祇園会館でオープンする。
マハラジャ祇園
【営業時間】20:00~深夜
【料金】男性3000円/女性2500円
【定休日】日・月・火
※定休日はイベントで貸出可能
【アクセス】
京阪本線 祇園市場駅 徒歩5分
阪急京都線 河原町駅 徒歩10分

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1980年代後半の日本で、株価、地価など資産価格の大幅な上昇が始まった。
本来の価格はその資産を利用することで生まれてくる収益などを基に決まるものだが、この時はそうした実力からかけ離れた異常な伸びを示した。
この時期を「バブル景気」(86年12月~91年2月、51カ月)という。
日経平均株価は89年の大納会で3万8915円の史上最高値をつけた。
東京圏のマンションの価格はサラリーマンの世帯年収の8倍にまで高騰した。
三菱地所による米ニューヨークのロックフェラーセンター買収など、海外の資産・企業を次々に買いあさるジャパンマネーに世界が注目した。
高級車が飛ぶように売れる「シーマ現象」。ゴルフ、スキー場と行楽地は人であふれ、リゾート開発が進む。
若者たちは東京・麻布十番のマハラジャなど高級ディスコで夜通し遊んだ。
好景気はどこまでも続くという思い込みや、「世界一の経済大国になった」というユーフォリア(陶酔感)が国全体を覆っていた。
だが、90年以降、年明けにまず株、その後地価も下落に転じる。
「バブル」ははじけ、しぼみ始めた。借金をして買った土地は売れなくなり、金融機関は巨額の不良債権を抱え、
日本は「失われた20年」の長期停滞に陥っていく。
90年3月27日、大蔵省(現 財務省)が金融機関に不動産融資の総量規制を通達した。
行き過ぎた不動産取引を抑え込む狙いだったが、これが地価バブルを崩壊させるきっかけとなり、
その後の日本に想定を超える深刻な打撃を与えることになった。
あれから25年――。
私たちはどこで酔い、間違い、傷み、懲りたのか。バブルにいったい何を学んだだろう。
日銀の「異次元の金融緩和」、海外投資家のマネー流入、公的年金資金の株式買い支えで、株価は今またバブルの状況に向かっているではないか。だからこそ、バブルとその崩壊の記憶を呼び戻してみたい。
「株や土地はもっと上がる」神話信じて過熱
1985年9月のプラザ合意後、ドルが急落。
11月には一時1ドル=200円台を割るなど急激な円高に見舞われた。
大都市部の地価高騰に目を付け、転売を狙った「地上げ」が大きな社会問題になった。
札束を積み上げて強引に転居や売却を迫る悪徳業者も。
東京都中央区入船の土地は地上げされて隙間(すきま)だらけに。
だが、90年以降、地価は下落していく=88年1月
ゴッホの名作「ひまわり」がロンドンで絵画としては当時最高の約53億円で落札。
落札主が安田火災海上保険と判明した。作品は同年秋、東京で公開された=87年3月。
90年に大昭和製紙の斉藤了英名誉会長が落札したゴッホの「医師ガシェの肖像」の値段は実に125億円だった
株や土地の値段は「もっと上がる」と、ほとんどの人が思い込んだために発生したのがバブル。
個人の財テクブームが過熱、サラリーマンの給料は上がった。銀行の定期預金の金利も最高で年率6%まで上昇した。「お金が増えたから」と言って、人々はお金を使い始めた。
週休2日制の社会に移行する一方で、帰宅は遅くなっていく。会社の残業時間は増え、仕事後の夜遊びも派手に。
夜のタクシー乗り場には長蛇の列。
恋人へのプレゼントは高額になり、クリスマスの時期はレストランの予約がなかなかとれなかった。
女性の活躍が取りざたされ、なかでも「女子大生」が目立った時代だった。
誰が買うのかデパートでは高額な絵画や宝飾品が売れに売れ、マイホームはどんどん高根の花になっていく。
米誌「フォーチュン」90年1月1日号は「今年の最も魅力的な経済人25人」に米コロンビア映画を買収したソニーの盛田昭夫会長を選んだ。
米国の企業や資産を買いあさるジャパンマネーが注目され、
ブルース・ウィリス主演で89年に日本でもヒットした映画「ダイ・ハード」も、ロサンゼルスで日本企業の本社ビルを占拠した犯行グループの狙いは金庫にある巨額なカネ――というストーリーだった。
株価は90年1月から急落していくが、楽観する人も多く、世の中の「バブル的」なムードは92年ごろまで続いた。

mainichi.jp
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/since1945/vol4.html?inb=ys








<バブル世代>110万人を直撃「2035年問題」とは
12/16(土) 10:00配信
毎日新聞
<バブル世代>110万人を直撃「2035年問題」とは
働かないおじさん」「半沢直樹」「平野ノラ」など、さまざまなイメージをまとうバブル世代。
派手好きでマイペースといった表の顔とは裏腹に、自殺者数が多い年代にあたり、老後の不安からメンタル面の問題を抱える人も少なくない。「昇進適齢期」を過ぎた彼らはこれからどう生きていくのか。
メンタルヘルスや働き方をテーマに取材をしているフリーライター西川敦子さんが報告する。
【毎日新聞医療プレミア】
バブル世代とは1965年~70年ごろの生まれで、1987年~1992年ごろに大学を卒業し、社会人となった世代を指す。肩パッド・太眉の女芸人、平野ノラさんのネタで揶揄(やゆ)されるこの世代。かつて「花のバブル入社組」ともてはやされた彼らは今、深刻な問題に直面している。
 ◇「花の入社組」は見た!昭和ブラック職場の現実
「ご存じのように、バブル期の採用は超売り手市場。大学卒業者のじつに6割近くが大手企業への切符を手にしました」
と説明するのは、リクルートワークス研究所の機関誌「Works」編集長で、ミドル世代の人材活用に関心を持っている清瀬一善さんだ。
派手な消費性向を持ち、マイペースでお気楽などと言われてきた彼らだが、その足跡をたどってみると、意外にもシビアな一面が浮かび上がると、清瀬さんは話す。
「会社説明会に行ったら交通費として3万円を渡された」
「内定者フォローという名目で、豪華クルージングの旅に招待された」
など、たしかに就活のエピソードは華やかな伝説に彩られている。
とはいえ入社してみれば、職場は好景気ゆえの膨大な業務を抱えたブラック職場。
みんな終電まで働き、土日出勤もあたりまえという世界だった。
「朝、出勤すると職場に常備された寝袋にいつも誰かが寝ていた(出版社勤務)」
「月の残業時間はつねに120時間を超えていたが、申告すると『社会人の常識というものがあるだろう!』と上司にしかられ、定時退社していたことにさせられた(銀行勤務)」といった悲惨な逸話はいくらでも聞こえてくる。
総務省統計局「労働力調査」によれば、週49時間以上の労働者の割合は1988年にピークの39.2%に達した。
「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのCMソングが流れたのもこのころだ。
同期入社が多い分、競争も激烈だった。
「就職氷河期世代と同様、入社後は厳しい環境で育ってきた人たちではないか」
と清瀬さんは分析する。
◇お前も、俺も……2人に1人が役職に就けず
それでもがんばれたのは、「真面目に働けばいつか課長、部長になれる」という、暗黙のお約束があったからだ。彼らの父親世代は高度経済成長を支えたいわゆる「モーレツ社員」。会社のために粉骨砕身働き、年功序列のもとで昇進・昇給も約束されていた。
「92年当時も、40代前半では51%、40代後半では67%が課長以上の役職に就いていました。ところが、このパーセンテージは20年後の2012年には大きく下落し、40代前半は30%、40代後半では45%になってしまったのです」(清瀬さん)
若いうちはしゃにむに働き、中年期に達してムリがきかなくなれば、がんばっただけの収穫を手にする--はずだったのだが、待っていたのはなんと同期の半数以上が役職に就いていない、という現実だった。
20年の歳月の間にリストラの風が吹き荒れ、組織のフラット化は進んだ。役職そのものを減らす企業も増えているうえ、上のポストは団塊世代以下でひしめいている。こうして、父親の背中から学んだ「がんばれば報われる」という公式は見事にひっくり返されてしまった。
リクルートワークス研究所の調査によると、少なくとも大企業では役職に応じてモチベーションが維持されやすいことがわかっている。
「40代後半ともなれば先行きの見通しも見当がつく。仕事の意味を見失う人もいるでしょう。子どもの進学、親の介護が重なりやすい時期でもあり、精神的に不安定になるのも無理はありません」(清瀬さん)
そんな彼らを待ち受けるのが、110万人を襲うともいわれる「2035年問題」である。
◇バブル世代110万人が失業する「2035年」
昇進適齢期を過ぎ、教育や介護がなお重くのしかかるバブル世代をじわじわと追いつめるのが、老後の資金問題だ。
内閣府の調べ(2013年)では、老後の蓄えについて「かなり足りないと思う」と答えた人は、40代後半では58%にのぼる。
「人生100年時代」とも言われる現代、悠々自適の老後を迎えられるのは一部の恵まれた人だけ……と将来の生計に不安を抱くのは、若い層だけではない。華やかな過去と厳しい未来の板挟みになっているのが、今のバブル世代といえる。
リクルートワークス研究所は2014年、大企業に正規雇用されている30~60代男女3000を対象に、就労意識と経済状況に関する調査をした。
生活のために働き続ける必要がある期間を尋ねたところ、40代では「生涯現役にならざるをえない」が16%いた。
およそ6人に1人が“一生働き続けること”を覚悟していたことになる。
問題は働き口があるかどうかだが、やはり同研究所が実施したシミュレーションでは、
2035年、60代後半に突入したバブル世代のうち、なんと約110万人が失業する可能性がある、という結果がはじき出された。
あくまで調査時における就労意向、シニアの働き方をめぐるさまざまな問題が解決しなかった場合を想定した試算だが、ショッキングな数字である。
◇心の安定を取り戻すための“二つの問い”
仕事への意欲減退や経済状況への不安から、不眠や食欲不振、憂うつな気分に悩まされる人もいるだろう。心のモヤモヤを晴らすにはどうすればいいのだろうか。
清瀬さんは「会社名や役職名へのこだわりを捨てること」が解決の一つの糸口、という。価値観が変われば、同級生が偉くなっていようが、後輩の誰が昇進しようが気にする必要はなくなる。「これぞ自分の仕事だ」と思える役割を探そう。上のポジションをつかむことより、長い目で見た自分のキャリアを考えることがポイントという。
社内にライバルが多い場合は、転職活動をすることも一つの選択肢かもしれないが、うつを発症している場合は退職、転職は症状を悪化させる原因になるので避けたい。仕事のスキル、経験を生かし、社会貢献する「プロボノ」で、社会における自分の役割を模索する方法もある。
「キーワードは“CAN”です。幸せな働き方は、WILL(やりたいこと)、CAN(できること)、MUST(やるべきこと)が重なるところにある。このうち、若い世代はWILLを重視しますが、バブル世代には自分ができることを再発見してほしい」
そのために自分に投げかけるべき問いは二つある、と清瀬さんは話す。
「何が得意か」「何をしているとき、生き生きしているか」
答えを探す過程で心の晴れ間が少しずつ広がり、そこから活路が見えてくるはずだ。

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