1930年代の浅草
若草、花埃、たまだれ、雛菊、甘納豆、湯の花、里みやげ。。。
私は読むともなくそれらを読んだ。
雛段へでも飾るにふさわしい、色とりどりの日本菓子の名前だ。
フルウツゼリイ、キャラメル、チゥインガム、チョコレートなぞと、ガラスの中にならんでいるのだ。
地下鉄食堂の一階の売店だ。
そのお土産売り場の左が料理の見本棚。
ご飯・パン・コォヒ・紅茶・・・5銭
レモンティ・ソォダ水・・・7銭
アイスクリィム・ケエキ・パインナップル・果物・・・10銭
エビフライ・ライスカレェ・お子様料理・・・25銭
ビフテキ・カツレツ・コロッケ・ハムサラダ・・・30銭
ロォルキャベツ・ビィフシチュウ・・・30銭
ランチ・・・35銭
「まあ、高いわ、およしになってよ。」
右のほうにエレヴェタァと並んで食券売り場だ。
「食べなければ、塔に登っちゃいけないってわけではないでしょう。
ほら御覧なさい。ちゃんと書いてある。
-地下鉄塔40メェトル、ご自由にお上りください」。
エレヴェタァの中は金梨地の蒔絵のようだ。
「いやだわ。定員13人だって。3年に250円で一日いくらにあたりますの?
上につくまでに暗算してよ。
これを買ったお菓子屋、年季奉公ですって。
3年250円だから、1年85円33銭3厘3毛、1月7円足らず。あら、もう6階なの?」。
-川端康成,浅草紅団
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みなさん、あなたは納豆売りの声をきいたことがありますか?
朝寝坊をしないで、朝早くからおきて耳をすませていると、
朝の6時か7時ごろ、冬ならばまだお日様がでていない暗い頃から
「なっとう、なっとう!」
とあわれっぽい節をつけて売りにくる声をきくでしょう。
もっとも納豆売りは田舎にはあまりいないようですから、
田舎に住んでいる方は、まだお聴きになった事がないかもしれませんが、
東京の町々では、毎朝納豆売が1人2人はかならずやってきます。
わたしはどちらかといえば寝坊ですが、
それでも、朝まだ暗いうちに床の中で目をさましていると、
「なっとう、なっとう!」
というあわれっぽい女の人の声をよく聞きます。
―赤い鳥,1925
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わたしがまだ11才~12さ才の時、わたしの家は小石川の武島町にありました。
小石川の伝通院のちかくの礫川学校に通っていました。
礫川学校に通う途中で、毎朝盲目のお婆さんの納豆売に会いました。
もう60歳をこえるお婆さんでしたが、
貧乏なお婆さんと見え、冬もボロボロのあわせを重ねて、
足袋も履いていないような、かわいそうな身なりをしていました。
そして納豆の包みを20~30包み持ちながら、
「なっとう、なっとう!」
と呼びながら売り歩いているのです。
杖をついてヨボヨボ歩いているかわいそうな姿をみると、
たいていの家では買ってあげているようでした。
吉公はお婆さんのといころへつかつかと歩いていって
「納豆おくれ」
と言いました。
すると、お婆さんは口をもぐもぐさせながら、
「1銭の包みですか?2銭の包みですか?」
といいました。
―赤い鳥,1925
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