地下プロムナード(東京~日比谷)




1977年秋
地下プロムナード
1971年3月、千代田線の「大手町~霞ヶ関」区間が開通、
翌1972年6月には都営三田線の「巣鴨~日比谷」区間が開通、
ところが、「大手町~日比谷」区間はこの2線が平行して走っており、
両線の駅はスペースの関係で道路の下に交互に配置され、結局この区画1.2kmは計5駅のコンコースでつながってしまった。
そして、すでに完成していた丸の内線・東西線の両線の「大手町駅」とあわせて大プロムナードができあがった。
「おかげで昼休みには気軽に有楽町に行けてありがたい」(丸の内企業の近藤さん)
しかし、夜になると、「二重橋~都営日比谷」区間の140mはシャッターで閉じられ、地下空間は二分される。
地下のオフィス街の人通りが消えると、地下の利用者がぱったり消えるからだ。
シャッターは素早く開閉する必要があり、都営日比谷駅には専用の自転車が配置され、これで地下を走りぬける。
プロムナードの出入り口は計141ヶ所、地下でつながるビルは51ある。
―地下鉄 ただいまモグラ族1000万人(コーキ出版,1978年刊)

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