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[長崎] 軍艦島(端島)
#工場
私の友達二人は幼少の頃、長崎県の軍艦島で育ち、生活を鮮明に覚えていると言ってます😅
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ひとつの炭鉱で1000人の坑夫とその他従業員と 家族で約八千人、軍艦島はそれ以上いたんじゃないですかねー。
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最盛期は480m×160mの島に5200人です。台風では9階建てのアパートを波が越えていきました‼️
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機関車 キュウポラ 製鉄、火力発電 暖房。江戸時代から石炭はありましたが 流通の範囲がままならずなかなか日本全体には届きませんでしたね。
鉄道の建設により 全国に行き渡るようになりました。貨物船も走りました。終戦後は引き上げ船にて帰国した方々の雇用先とあれば炭鉱でした。採炭夫は全国あちこちに流れて行きましたね。三白景気もありました。汗水流して高度成長出来たのは 陰で真っ黒になって働いた人が本当に沢山いたんです。それだけ貧乏だったかも知れませんが、炭鉱は金になり、優遇も並ならぬものでした。
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閉山前は一日9往復ほどの船がありました。途中高島まではそれほどでもありませんが、端島までの15分ほどは時化ると船が転覆するかと思うぐらいのローリングと激しいピッチングで、慣れない人は間違いなく酔います。桟橋に接岸できるかどうかという状態もありましたし、接岸できても船との間に渡す木の橋が折れたりすることもありました。私は端島に引っ越すその日が大時化で、まずはふなよいの洗礼を受け、端島には近づいたものの何度か接岸しようとチャレンジしてくれましたが結局引き返すことになり、翌日も波はありましたが何とか上陸できた経験があります。
長崎から端島までは当時で75分が基本ですが、時化ると波に直角に進路をとるので余計に時間がかかります。今のクルーズ船は高速にはなりましたが、お客様の安全第一で決して無理はしません。そのため上陸できないこともあります。
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炭鉱という過酷な労働環境の中で、差別を受けている人と、普通の人が同じ仕事をしていると、仕事の効率が悪くなるだけでなく、仕事の連携が上手くいかず、自身の命も危険に晒される事になると思います。運命共同体として、団結して平等にならないと成り立たない仕事ですよね。多分、そこで働いていた人は、皆さん仲が良かったと思います。もしも 意見が合わず仲間の一員になれなったら、多分 他の炭鉱に移るか、違う仕事を探す事になってしまう世界だったと思います。
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そんな人は多かったですよ。子供ながら いい兄ちゃんやお姉ちゃんが 急に引っ越しして居なくなるとか。過酷な環境で過酷なまでの重労働、過酷なまでの精神的圧力。落盤もあったし、水が出る騒ぎもあったし、粉塵 ガス爆発があったり、事故が起きるとサイレンが鳴り、女どもは幼い子供の手を引いて 着の身着のままに 坑道入り口に走って向かう。そんなハラハラの場面もありました。上がって来れば、風呂と酒と刺身が定番。弁当は白飯と卵焼きとほうれん草と焼き魚。梅干しは欠かせませんでした。男は上がって来ると笑顔だけど、行く前はとっても機嫌が悪いのが当たり前で ピリピリしてました。男が命懸けで仕事に向かうに、送り出す女がたは、全て用意して着替えまで手伝う有様。最後にちかたびを履いて、肩から水筒、背負い袋に弁当を入れ 道具を入れて立ちが上がる。熱い炊き立ての飯を出したら 怒られていた母を思い出します。
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うちの母は、父が仕事に出かけるときは「ご安全に」と声をかける日常でした。採炭の頃は、どんなに喧嘩をしていても、それは欠かしませんでした。端島の場合は更衣室とロッカーがあったので、自宅からは普段通りの服装でした。時々更衣室まで弁当を持って行ったりしていたので、真っ黒になって上がってくる人たちが風呂場に行ってさっぱりした格好で帰って行くのもよく見ました。父は必ず売店でコーヒー牛乳を買ってくれました。
弁当を持って行くのは連勤の時ですから、上がってきても弁当を持ってすぐに竪坑から地下へ戻っていきます。排水ポンプの監視をしていましたから、盆も正月もありません。長期休暇はなかなか取れず、遠くへ旅行にいくこともままなりませんでした。ストを構えても、父は保安要員ということで会社・組合の合意のもと、ストには参加できない仕事をしていました。
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山下 太郎 さん
そんな人は多かったですよ。子供ながら いい兄ちゃんやお姉ちゃんが 急に引っ越しして居なくなるとか。
過酷な環境で過酷なまでの重労働、過酷なまでの精神的圧力。
落盤もあったし、水が出る騒ぎもあったし、粉塵 ガス爆発があったり、事故が起きるとサイレンが鳴り、女どもは幼い子供の手を引いて 着の身着のままに 坑道入り口に走って向かう。そんなハラハラの場面もありました。上がって来れば、風呂と酒と刺身が定番。弁当は白飯と卵焼きとほうれん草と焼き魚。梅干しは欠かせませんでした。男は上がって来ると笑顔だけど、行く前はとっても機嫌が悪いのが当たり前で ピリピリしてました。男が命懸けで仕事に向かうに、送り出す女がたは、全て用意して着替えまで手伝う有様。最後にちかたびを履いて、肩から水筒、背負い袋に弁当を入れ 道具を入れて立ちが上がる。熱い炊き立ての飯を出したら 怒られていた母を思い出します。
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