☆新宿 角筈にあった美空ひばりと吉永小百合の母校
記事をクリップするクリップ追加
2017/1/25(水) 午前 3:56
新宿 東京都
現在のJR新宿駅西口から奥は「角筈」と呼ばれていました。
そして淀橋浄水場の近くに5校、学校がありました。
昔の地図(日本中学の説明ですが、他の学校も記載されています。)
出典:http://nuhongakuen.jp/about/history/html
小田急ハルクからそう遠くない場所です。
コクーンタワーの隣のエルタワー辺りにありました
新宿エルタワー
以前、数校の学校が存在した方向
新宿の高層ビル群
以前、西新宿に「精華女子高等学校」と言う私立高校がありました。
昔、私が西新宿の少人数制の外人講師による英会話スクールに通っていた頃、道路を挟んだ向こう側にあったのを覚えています。
小田急ハルクの斜め前の三角形の土地にあったように思います。
精華女子高等学校は少しだけ小高くなっっていた部分にあったように記憶しています。
その学校は「淀橋上水場」のすぐそばにありました。
精華女子高等学校は歌手や女優など10代の芸能人やモデルが多く通う学校として有名な女子校でした。
特にあの吉永小百合さんが通っていたという事はあまりにも有名でした。(吉永小百合さんは、名門「都立駒場
高校から編入されましたが、女優業が忙しく中退されています。その後、大学能力検定試験を受け早稲田大学の2部歴史部西洋史科に進学され、女優業と両立されていたという頭脳明晰で努力家の方です。)
その後、数年経ってからその学校は忽然と消え去っていて、高層ビル群になっていたので、その後どうなったのだろうと気にかけていました。
今回、「角筈」という地名を調べているうちに、この学校のその後が判りました。
そして明治時代からの歴史も判明しました。
「精華女子高等学校」の歩み
明治16年(1883年)
新潟出身のキリスト教主義の教育者の加藤敏子さんという女性が「女子独立校」という名の学校を
新宿の角筈に開校。2階建ての別荘風の洋館のような校舎だった。
(学校の名前を聞いただけでも女子の独立を願う気持が伝わってきます。)
明治18年(1885年)
甲武線、新宿駅開業
明治31年(1898年)
「精華学園」と学校名改称
明治32年(1899年)
内村鑑三が校長に就任
明治43年(1910年)
精華高等女子校に改称
その後、「精華学園女子高等学校」に改称。
昭和43年(1968年)
新宿副都心計画のため新宿区柏木(北新宿1丁目)に移転
昭和48年(1973年)
千葉県市原市に移転、精華女子高等学校に改称。
昭和49年(1974年)
東海大学と提携、東海精華女子高等学校に改称
1986年
男女共学になり、校名が「東海大付属望洋高校に改称、野球強豪校になる
☆精華女子高校に通っていた、卒業した芸能人
美空ひばり、吉永小百合、星由里子、小川知子、中尾ミエ、落合恵子などが有名です。
美空ひばりさんの事は知らなかったので、びっくりしました。ひばりさんは精華を卒業されています。
ジャニーズ系は初代グループ「ジャニーズ」から現在に至るまで、中野の「堀越」が多いです。
もう一つ驚いたのは「女子独立校」がいつの間にか「東海大付属望洋学園」という野球の強豪校になっていたことです。
このことは最近まで全く知りませんでした。
☆精華女子高等学校の近くにあった学校
日本中学校(移転し現・日本学園中学・高校に)
東京女子大学(杉並区に移転)
明治学院神学部(移転)
工学院(旧・工手校)、工学院大学として現在も新宿にある。
以上の4校に加えて精華女子校の合わせて5校が、角筈の淀橋浄水場のすぐそばにあったのです。
そしてもっと、驚くべきことは、この辺りには大王クラスの”巨大古墳”がかつて存在していた事です。
JR新宿駅前の小田急ハルク辺りから、これらの学校が在った辺りまで古墳だったらしいのですが、
古墳は何の調査もされず削られてしまったようです。
今記憶をたどると、精華女子校は少し小高い所にあったように 思うので、やはり古墳の跡だったのかも知れません。
東京都内には、このように大王クラスの巨大古墳が幾つもあったらしいのですが、歴史から抹殺されてしまったようです。
「角筈」や新宿界隈のミステリーのような話は中々面白いものがあります。
今後も調べてみたいと思っています。
☆夢織人の街TOKYO散歩&思い出の場所Ⅱ
https://blogs.yahoo.co.jp/seven7271214/