[東京市谷]招魂社(靖国神社)

孟斎 東京名所 招魂社馬かけ 明治11年(1878年)


三代歌川国輝 東京招魂社競馬之図 明治24年(1891年)

招魂社(靖国神社)
【靖国神社】明治、招魂社時代の競馬と日本の競馬
話を「靖国神社と明治の日本の競馬」に移しましょう。
昨年暮れには安倍首相の靖国参拝があり、また今年に入ってから、正月三が日の靖国神社の初詣もかなり盛況だった。
その靖国神社では、明治の中頃までは“競馬”が催されていました。
年三回の例大祭の際に。
(当時は「靖国神社」というより、まだ「招魂社」と呼ばれていた時代ですが)
それは日本で古くから神社などで伝統行事として行われてきた“くらべうま”(鶴岡八幡宮や上賀茂神社など)とは違って、
完全に「洋式競馬」として行われていた“競馬”でした。
『なぜに神社で「洋式競馬」を?』
と思われるかも知れません。
ちなみにこの競馬を主催していたのは兵部省(のちの陸軍省)です。
そうなんです。
明治に入ってからの“競馬”というのは、日本陸軍の課題でもあった「馬匹改良」と深く関わっているのです。
要するに騎馬隊の「馬の強化」の為という事ですね。
(この辺の話は「坂の上の雲」の秋山好古とも少し関連がある話ではあります)
また競馬は軍人への馬術奨励という意味合いもありました。
まあ「洋式競馬」と言いましても、今のJRAのように「三連単」とか「ワイド」とか、馬券発売をして資金を集めていた訳ではありませんw
と言うか当時は「賭け事」自体が御法度でした。
それでもまあ、「奉納競馬」という形で年に三回、例大祭に合わせて開催されたこの靖国神社(招魂社)の競馬は、東京の風物詩として活況を呈していたようです。
周辺は大いに賑わっていて、さながら昨日までの初詣並に、多くの人が楽しみにして神社まで出かけてきた事でしょう。
この靖国神社(招魂社)競馬は明治3年(1870年)から明治31年(1898年)まで続いたようです。
ちなみにこの明治の頃は、上野不忍池でも“競馬”が開催されていました。
作者不詳 東京名所 上野公園競馬の図 明治24年(1891年)
幾英 上野乃満花 不忍競馬之図 明治22年(1889年)
当時の競馬は「馬匹改良」や「馬術奨励」という側面が大きかった訳ですが、そうは言ってもやはり「明治の欧化政策」というもう一つの側面もかなり大きく、鹿鳴館とならんで競馬も欧化政策として利用されました。
上野不忍池の競馬は明治天皇や皇室の方々もしばしばご観覧されていたようです。
また、空に描かれているのは、花火とともに打ち上げられた人形などの品々のようです。
上野不忍池の競馬は明治17年(1884年)から明治25年(1892年)まで行われました。
靖国神社(招魂社)の競馬も、上野不忍池の競馬も、ともに明治の中頃で終了となりました。
それはなぜか?と言いますと、馬券を発売できなかったからです。
資金が続かないのです。馬券を発売できないと。
当時は「賭け事」自体が御法度でしたので馬券を発売できませんでした。唯一の例外を除いては。
実は現在の「日本競馬」に続く、その原点となった“競馬”というのは東京にはありません。
それは横浜にあったのです。
永林 横浜名所之内 大日本横浜根岸万国人競馬興業ノ図 明治5年(1872年)
この横浜の根岸競馬場が、今の日本中央競馬会(JRA)の前身とも言うべき存在です。
横浜には開港以来、イギリスの勢力を中心とした居留地が存続していました。
(余談ですが、チャンネル桜の水島社長が時折
『日本は過去に一度も、現在の(米軍の)ように外国の軍隊が居留した事はない』
と発言していますが、厳密に言うと、幕末から明治の数年まではイギリスの軍隊が横浜に駐留していたし、
「明治の条約改正」までは居留地も存在していた)
この横浜・根岸の「日本レースクラブ」はイギリス人が主要の会員であり、「賭け(馬券)」も事実上公認されていた。
(ちなみに「日本レースクラブ」の会頭はイギリス大使が兼務するのが通例だったので、私のブログでも重要な人物である「アーネスト・サトウ」も一時期就任していたようです)
明治32年(1899年)に条約改正が発効し、根岸競馬場も日本政府の施政下におかれる事となった。それと同時に「賭け(馬券)」も禁止になるはずだったが、「黙許」という形でしばらくは
「賭け(馬券)」は黙認されていた。
だけんども、しかし(かなざわいっせい調)、それも後に完全に「賭け(馬券)禁止」となり、“競馬”は一旦は下火になるが、それでもなお競馬場は全国各地に作られていき、現在の(戦後の)
日本競馬界へと続く礎(いしずえ)になった、という訳です。
年頭なので、ちょっと変わった話などをしてみましたが、今年こそは『NHKを解体できるように』(=『ちゃんとした国営放送が作られるように』)、そのきっかけが作られるように、
しかしまあ、のんびりとやっていこうかなあ、などと考えている次第です。

処士策論
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