浅草ルナパーク
ルナパアクにて (1915)
遊園地の午後なりき
楽隊は空に轟き
回転木馬の目まぐるしく
艶めく紅のごむ風船
群集の上を飛びゆけり
今日の日曜をここに来りて
われらの模擬飛行機の座席に座れど
側へに思惟するものは寂しきなり
なになれば君が瞳孔に
やさしき憂愁をたたへ給うか
座席に肩を寄りそひて
接吻するみ手を借したまへや
見よこの飛翔する空の向かふに
一つの地平は高く揚ぼり また傾き 低く沈みゆかんとす
暮春に迫る落日の前
われら既にこれを見たり
いかんぞ人生を展開せざらむ
今日の果敢なき憂愁を捨て
飛べよかし!飛べよかし!
明るき4月の外光の中
嬉々たる群衆の中に混じりて
ふたり模擬飛行機の座席に座れど
君のワルツは遠くして
側へに思惟するものは寂しきなり
-萩原朔太郎詩集,新潮社,1950年刊,
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珈琲店酔月 (1922)
坂をのぼらんとして 渇きに堪えず
朦朧として酔月の扉を開けば
狼籍たる店内より
敗れししレコードは鳴り響き
場末の煤ぼけたる電気の影に
貧して酒瓶の列を立てたり
ああ、この暗愁も久しいかな!
我まさに年老いて家郷なく
妻子離散して孤独なり
いかんぞまた漂白の悔を知らむ
女等群がりて草を囲み
我の酔態をみて哀れみしが
たちまち罵りて財布を奪ひ
残りなく銭を変へて盗み去れり
-萩原朔太郎詩集,新潮社,1950年刊,
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#遊園地
「月に吠える」が大正4年~6年にいたる時期で終わった後をうけて、
大正6年~11年にいたる時期に生まれたものが詩集「青猫」だ。
「青猫」の刊行は昭和2年であったが、このころから氏の詩作はかなり疎になり、
詩集はその後の最後の「氷島」を昭和9年に刊行している。
朔太郎の酒と盛り場の歓楽は、
「月に吠える」以前の時代には、白秋-西條八十的銀座情緒を多分にまじえた
この詩「銀座の菊」に代表される。
しかし彼にとって盛り場とは、
実は「夜の酒場」に開いたひとつの暗い穴の凄惨に他ならず、
「氷島」の時期に至れば、「珈琲店酔月」の現実に汚れ去るのだ。
-萩原朔太郎詩集,新潮社,1950年刊,
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