[東京] 大東京市への移行



1922
大東京市への移行
東京35区の地図
東京旧15区・新20区対照表(東京都 1957)
旧15区
01赤坂区 02浅草区 03麻布区 04牛込区 05神田区 
06京橋区 07麹町区 08小石川区 09下谷区 10芝区 
11日本橋区 12深川区 13本郷区 14本所区 15四谷区
新20区
16足立区 17荒川区 18板橋区 19江戸川区 20荏原区 
21王子区 22大森区 23葛飾区 24蒲田区 25品川区 
26渋谷区 27城東区 28杉並区 29世田谷区 30滝野川区 
31豊島区 32中野区 33向島区 34目黒区 35淀橋区
1932年/昭和7年~1947年/昭和22年までは、上図の「板橋区・練馬区」をあわせた部分(18番)が「旧・板橋区」である。
1926年/昭和元年以降:練馬区独立まで
1932年/昭和7年
東京市が35区制となり、東京市板橋区および中野区が誕生。
練馬地区は板橋区に編入される。
面積からいけば、板橋は2区以上にわかれても当然だったが、人口が少なかったためひとつの区にまとめられた。
(旧・東京府15区と同じ面積であったが、人口は他のひとつの区より少なかった。)
この措置に対して、練馬地区住民の不満は高まり、「練馬独立案」が叫ばれるようになる。
広大な板橋区において、練馬地区はその60%に相当する部分を占めている。
練馬地区とは、「練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村、そして江古田・小竹地区(上板橋村の一部)」である。
だが、工業化が進み始めていた板橋側に対して、練馬地区は農村としての性格を維持していた。(練馬区 1997)
そうした、練馬地区と板橋地区の性格の違いが顕著となり、同一区では行政面に支障がある。
また、日常生活の場面でも支障が生じる。
たとえば、板橋区東端の板橋町に区役所が設置されたため、練馬地区住人にとっては、申請・登録などが1日仕事になる。
これに対処するため、練馬派出所・石神井派出所が設けられた。
しかし、重要な登録・申請は区役所にいかねばならなかった。
これらの点などから、練馬地区住民の不満は根強く、1944年/昭和19年2月には、「練馬区設置期成会」なるものが結成されている。
ただし、この独立運動は、当時の内務省による「市町村分離統合の1年停止」という緊急処置令によって断念させられた。
そのかわりに、「練馬派出所 → 支所」「石神井派出所 → 出張所」という、役場の格上げが行われた。(板橋区 1999)
1947年(昭和22年)8月1日
板橋区から分離・独立。
当初は、開進第3小学校の講堂が区役所であった。(練馬区桜台2-18-1)
現在地(練馬区豊玉北6-12-1)に移転したのは1949年/昭和24年である。
ちなみに、1947年3月、東京都は35区制を廃止し、22区制で再スタートしています。
しかし、練馬の人々の運動により、8月に「練馬区」として独立することになりました。
(1999年版板橋区史によると、東京都は、22区制制定の過程で、23区制をとることを予定していたとあります。)
練馬区を「23区でもっとも新しい区」と呼ぶのは、そういう経緯からです。

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