[東京上野]永藤のパン




1956
上野「永藤パン」
#パン屋
広小路には,松坂屋の他にも老舗名店はかなりある。
刃物の「菊秀」,御座敷洋食の「たぬきや」,呉服の「赤札堂」,洋食の「サンキヨウ」,パンの「永藤」,「京成聚楽」といったところである。
お茶の「内田園」「松栄寿司」はサンキヨウの横をちょっと入ったところに向かい合っている。
電車通りの向かい側には福神漬けで有名な「酒悦」と寄席の「鈴本」がある。
松坂屋の前の「風月」と「うさぎや」はお菓子で知られた店である。
散歩もこの辺でお昼にするのが決まりであろう。
しかし無駄に時間を潰すのも惜しい。
「永藤」自慢のたまごパンをぱくつきながら店の歴史を聞いてみる。
「永藤」の先代は「万屋」と言って上野でタバコ屋をやっていたのだそうで,それは明治37年のタバコ専売法の後振りだめになった日露戦争の真っ最中である。
翌年には広がっ先輩となり翌々年の明治39年には鉄道国有法が公布されるといったような時代だった。
資本の集中と独占が急テンポで進められていく中で,先代「万屋」はタバコ屋稼業をやめて新しい人生の岐路に立たされたわけだ。
何に転業するかが問題であった。
彼は毎日弁当箱ぶら下げて上野から新橋方面を歩きまわった。
薬屋かパン屋かといろいろ迷った挙句,銀座の「木村屋パン店」に人だかりがしているのを見てパン屋だと腹を決めたと言うのである。
パンの歴史も,近代日本の歴史のひとこまではある。
鈴本にも寄ってみたいところだが夜席座席は改めて出直すことにして上野の山へ登っていこう。
ー東京歴史散歩,河出新書,高橋真一

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永藤パン喫茶部(東京・上野、昭和5年ころ築)
上野の老舗パン屋として長年に渡り親しまれていた〔ナガフジ〕の、上野駅東口そばにあった店舗兼喫茶室。
関根がこの建物の設計を引き受けたいきさつは,ご遺族のお話によると,昭和4年に関根が参加した米国視察旅行のさい,ナガフジのオーナー・永藤鉄三郎氏もこの旅行団に参加しており、ここで親交を深めたのが切っ掛けだったという。
こののちも永藤氏と関根の親交は続き、この喫茶部の竣工間もなくには永藤パンの上野公園口の店舗,戦後は空襲で被災した上野・日本橋の仮設店舗の設計を手掛ける事になった。

関根要太郎研究室@はこだて 

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