[東京深川] 永代橋, 永代亭/パンの会





[東京深川] 永代橋, 永代亭/パンの会
#レストラン食堂
隅田川の両岸の橋畔遊園地はどちらも同じように整備され,清洲橋のような体裁上の格差はない。ただ違うのは江東区側上流橋畔には深川警察署の交番があることぐらいなものだろうか。。
この交番の位置に明治末頃には「永代亭」という名の西洋料理店があって,当時の 若い作家,詩人,画家たちの溜まり場になっていた。そのグループ名はギリシャ神話に出てくる牧羊神(pan)から「 パンの会」と名付けられた。その主な会員を見ると,上田敏,戸川秋骨,北原白秋,木下杢太郎,谷崎潤一郎,石川啄木,高村光太郎,吉井勇,山本鼎,石井柏亭など今も文藝史上有名な人々であった。
今の永代橋の設計者は当時,復興院土木部長の太田円三であった。この人はパンの会の中心的な存在であった木下杢太郎の兄である。ちょっとした永代橋因縁物語。 
女性的な曲線美の清洲橋に対して永代橋はその優勝な曲線でよく男性的と評される。橋は長さ185m/幅22m。同じパンの会の北原白秋も昭和初年の東京紀行に次のように書いている。
「兜型の大きな弧線。堂々たるその勇姿。新装の永代橋が眼前に開ける。その重圧。放射線とゆるい両裾の美しい線と線と。まさしく墨水第一の鋼鉄橋である」(『大東京繁昌記-下町編』)
江戸の『武江図説』という本には
「この橋すぐれて高く,西に富士,北に筑波,南に箱根,東に安房上総,限りなく見え渡り」
とあるが,現在は西に新川のビル群,北に隅田川大橋,南に佃島の設計中のクレーン,左に豊洲の煙突の林....限りある見え方とでも言おうか。 
ー東京路上細見5,小曽山俊,1980

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1890
[東京新橋]瓢箪新道
明治末期,新橋の瓢箪新道に「三州屋」というレストランがあった。
木下杢太郎
「'パンの会'が日本橋瓢箪新道にある小さな洋食屋・三州屋で行なわれたというのも,そこに明治初年のエキゾチシズムの残滓が,幾分の下町的浮世絵的趣味とともにこびりついていたからである」。
吉井勇
「あかあかと 土蔵の壁に夕日さし この新道のしずかなるかな」。
スツルム・ウンド・ドランクのあの新しい魅力に富んだ錦絵のような世界。
明治末期のあの若々しい文学の雰囲気は,いやが上にも私の感情を誘いつづけたのであった。
このあたりの真に東京らしい雰囲気の残滓に接しない限りは,「パンの会」の耽美主義の具体性に接する事はできないとさえ私は考えたのである。
しかし,明治大正時代の東京は近代化へ急速に変貌しつつあったし,大正12年9月1日の関東大震災は東京下町の変貌を決定的にした。
それでもまだねづよい江戸以来の庶民の生活風習は下町のどこかに潜んでいたが,今度の戦災はいよいよそれに終止符をうつような形になってしまった。
たとえ人のこころに,土地の習慣に,古い匂いが残ったとしても,形式はがらりと変わってしまった。
―野田宇太郎著「東京文学散歩」,角川文庫,

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