横浜市電500型







【横浜市電500型】
昭和3年(1928)から大量生産60両も製造された小さな路面電車sign03
電車の長さ約9m・定員は75名でした。
関東大震災で大打撃を受けた横浜市電が大量に増備した電車です。
大都市な横浜市の横浜市電は何故か小さな電車が好きだったようで戦前は小さい電車がメインで頑張っていました。
それにしても美しい車両の色です。この色は市電500形のデビュー当時の色です。
この小さな電車は戦後も頑張って昭和44年(1969)まで走りつづけました。 

鐵道趣味





目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。
1号を前回読み解きましたが、今回からタイミングを同じ暦に合わせて紹介します。
1931年(昭和6年)4月25日(土)〜5日1日(金)
(干潮 25日(土)は午后3時5分、26日(日)は同4時半、29日(祝日)は午前9時15分)
25日(土) 岡村天満宮文墨祭(電車天神道假停留所下車)
 =市内児童の優秀書方奉納展覧)
 同日 帝大對横濱高工野球戦(午后3時横濱公園、球場にて)
26日(日) ロスアンゼルス對母校連盟野球戦(正午 仝 所にて)
27日(月) 立教對松山高商野球戦(午后3時 仝 所にて)
29日(火) 産業振興大講演会(電車バス本町1丁目下車)
 =午后2時より開港記念会館にて=
30日(水) 『郵船』龍田丸入港(午前中ホノルルより4号岸壁へ)
5月1日(木) 県立工業学校開校20年記念祭(電車バス二ツ谷・反町下車)
 =3日まで校内一般縦覧並製品陳列即売=
懸賞標語
 「行先は明瞭に・乗換は簡単に(当選者 山崎直吉)」
※(曜日)は追記しました。一部原文より新字・アラビア数字を使っています。
※仝は同の古字
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■干潮時間が「市電ニュース」に何故掲示されているのかといえば
 この時期の市民レジャーの一つが潮干狩りでした。
最も砂浜の面積が広がる干潮時を知らせることで 市民の外出を促しました。
 現在横浜市内で潮干狩りができるのは金沢区の「海の公園・野島」の浜周辺です。

YOKOHAMA xy通信
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