[東京上野] 酒悦~福神漬発祥の店







1675
酒悦
#食品店
江戸の商標、5回目は福神漬で有名な「酒悦」です。
酒悦の初代創業者「野田清右衛門」は、関ヶ原の戦いが終わり徳川政権が江戸に幕府を置き社会が安定し始めた頃、江戸にやってきました。
延宝3年(1675年)本郷元町に山田屋という店を構え海産物を商っていました。
やがて店を寛永寺の門前町である上野池之端に移し「うに」「このわた」「のり」などを扱うと共に
香煎(大麦・米などを炒って粉としたもので、白湯にふりかけて飲むもの、焦がしともいう)の販売でもその名を知られ、上野近辺の寺々に出入りしていました。
商品は良質のものを扱い、更に吟味して納めたので町中の人々に評判になったそうです。
特に東叡山、輪王寺の一門を総領する白川宮から大変高く評価され白川宮に「酒悦」と言う名称をいただいたといわれています。
上記の商標の中央上部には商売繁盛を願う砂金袋が描かれていて、この砂金袋が同店の商標の原点である事がわかります。
時代が明治に移り変わっても「酒悦」は益々盛況したそうです。
「福神漬」は十五代野田清右衛門によって明治10年頃発明されました。
この時の商標が下図のもので砂金袋の中には社名である「酒悦」の文字が入っていて商標としてのベースが出来ています。
現在の商標は、ビジュアルコンセプトである砂金袋のフォルムを整え左右対称でよりボリューム感のあるデザインにしています。
社名である「酒悦」は明治期の「悦酒」の文字位置を現代読みに変更しまた読めるようにとルビ扱いでひらがな表記も追加されています。
商標と社名ロゴによる店頭看板や暖簾の表情に江戸時代から続く老舗のデザインが見てとれます。

江戸美学研究会
http://www.jlds.co.jp/
http://www.jlds.co.jp/edotyo/
https://www.jlds.co.jp/ebilab/moushikomi.html

酒悦
https://www.shuetsu.co.jp/






「福神漬」の名前の由来は原料が7種の野菜であることから不忍池にある弁天様の七福神に因んで当時の流行作家「梅亭金鵞」が名付けたと言われています。
また、「福神漬」は大変美味しいことからおかずがいらないので知らず知らずの内にお金がたまる縁起の良い漬物であり、
漬ける時に福の神も一緒に漬けているのだろうということで「福神漬」と呼ばれるようになったとする別説もあります。
そして、カレーライスに福神漬が添えられるようになったのは帝国ホテル、または資生堂パーラーが最初であるという説も有りますが、
本当のところは明治35年から36年頃、日本郵船のヨーロッパ航路の船の食堂で出されたカレーライスに福神漬が添えられたのが、どうやら最初だったようです。

江戸美学研究会
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1956
酒悦
広小路には,松坂屋の他にも老舗名店はかなりある。
刃物の「菊秀」,御座敷洋食の「たぬきや」,呉服の「赤札堂」,洋食の「サンキヨウ」,パンの「永藤」,「京成聚楽」といったところである。
お茶の「内田園」「松栄寿司」はサンキヨウの横をちょっと入ったところに向かい合っている。
電車通りの向かい側には福神漬けで有名な「酒悦」と寄席の「鈴本」がある。
松坂屋の前の「風月」と「うさぎや」はお菓子で知られた店である。
福神漬の「酒悦」は家業相伝何百年かの歴史をたどってきたようである。
酒悦の当主・堀江氏の話によると,創業は延宝年間で,大体カラスミ・ウニ・イリコ・乾海苔・茶といった食味を扱い,幕末・維新の頃は香炒茶屋を営んでいた。
海苔の佃煮と福神漬を発明して売り出したのは15代清右衞門で,明治16年頃だと言う。
そうなると福神漬けの元祖が川村端賢だと言う説が怪しくなる。
そこで福神漬け命名の由来を聞いてみた。
もともと漬物と言うものは春夏秋冬をとら問わず食べられるいたって簡素な食べ物である。
かくのごとく質素倹約すれば福が舞い込む。
当時弁天様の池之端で営業していたのと,七色の品を取り合わせたので「七福神」にあやかって「福神漬」と命名した。
それにはちゃんと生き証人もいると言う。
それそれはともかく問題は現在の福神漬けの運命になる。
「しかし日本の食生活も最近は変わってきたし,これからもこれからも変わっていくだろうと思いますが」と切り出すと,
「つまみ物物ですね」。と相手は動ずる色もない。
カレーライス・チャーハン等の口直しにはなくてはならない品物だと言う。
「いまどきの若い人たちはぬかみそに手をつけるの嫌いますよ」。
商売その道によって賢し。
正にとどめの一言である。
さもあらばあれ,海苔の佃煮や福神漬が国民大衆の食膳にに普及し,高級な酒悦の製品がその販路を確保するに至るのは,漬物を缶詰にすることに成功した時からであろう。
その時がいつ出だったか聞き漏らしたが,永藤の先代が弁当箱ぶら下げて新橋銀座を知らん顔して歩き回っていた頃とそんなに時代は隔たっていないのではあるまいか。
福神漬の歴史も,パンの歴史も,近代日本の歴史のひとこまではある。
鈴本にも寄ってみたいところだが夜席座席は改めて出直すことにして上野の山へ登っていこう。
ー東京歴史散歩,河出新書,高橋真一

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2016
食べると、知らず知らずのうちにお金が貯まってしまう上野「酒悦」の「福神漬」
2016/02/24
酒悦
名前の由来は「七福神」 140年近くも庶民に親しまれる伝統の味
上野広小路を歩いていると、子どもの頃だった昭和50年代に、寄席で有名な鈴本演芸場の前から太鼓を叩いている音がよく聞こえてきたのを思い出します。
子どもながらに寄席に行き、今でもうろ覚えの小咄があります。
小学校のテストで、
「雪がとけたら何になるか?」
という問題が出されたそうです。ほとんどの生徒が「水になる」になると解答したのですが、
一人だけ「春になる」と答えた子がいたらしいです。
大正解にしたいところでしたが、理科のテストだったので不正解になってしまったらしいです。
国語のテストでしたら正解だったのかもしれません。
その鈴本演芸場の隣には、「酒悦」という1675年創業の老舗の漬け物屋があります。
うちの父親が「酒悦」の「福神漬」が好物で、一緒に上野公園に遊びに行った帰りにはよく買っていました。
「福神漬」の起源は、明治10年頃に「酒悦」の十五代当主、野田清右衛門によって約10年の歳月をかけて発明されました。
当時は漬物といえば塩漬けしかなく、醤油漬が出来るまでに試行錯誤されたようです。
また、十五代当主は発明好きで明治維新前には「のり佃煮」を発明したとも言われているようです
一説によりますと、「福神漬」の名前の由来は、原料が七つの野菜(大根、なす、かぶ、うり、しそ、れんこん、なた豆)であることから、
「七福神」に因んで名付けられたと言われています。
名付け親は、当時の流行作家「梅亭金鵞(ばいていきんが)」で、すぐ近くの不忍池に七福神の一つである「弁天様」があることから思いついたらしいです。
また、他の一説によると「福神漬」は、他におかずがいらないくらいに美味しい為、知らず知らずの内にお金が貯まってしまうので、
福の神も一緒に漬けてあるのだろうということから「福神漬」と呼ばれるようになったとも言われています。
いずれにしても、不忍池の「弁天様」と「福神漬」には関係があるように思われます。
余談ですが、江戸時代に徳川家康は七福神を信仰しており、家康が狩野派の画家に七福神が宝船に乗っている絵を描かせたことにより、
宝船に乗った七福神の絵が広まったと言われています。
荒岡眼鏡の三代目 眼鏡店ブリンク店主

ippin
https://ippin.gnavi.co.jp/article-5435/

酒悦
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