[群馬高崎]喫茶「いわと」
「関東ヨーグルトン」
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2005/10/21(金)午前9:04
昭和“音の風景”
群馬県
喫茶「いわと」と「関東ヨーグルトン」
忘れもしない。経営者は「遠藤さん」と云う弁護士の息子さん。
何故忘れもしないかと云うとその頃流行のエレキを買う為のアルバイト遠藤さんの経営する「関東ヨーグルトン」で横丁の悪ガキ同士で始めたからだ。
「とっしゃん、もっさん、しゅうさん」たちと。
その「関東ヨーグルトン」はまだ出来て間もない群馬音楽センターへ掃除のアルバイトに行く途中にあった。
群馬音楽センターから今の「スズランデパート」・・・・・
そうだ当時はその辺り、実に閑散としていて未だそのスズランデパートは無かった。スズランデパートの所には高崎裁判所とその裏手には拘置所があり真向かいには検察庁があり、お堀を挟んで警察署といったように官庁街の趣。
そんな厳しくも殺風景な大辻を中央デパーの方へ行くと、その中央デパートの手前に立派な門構えをした「遠藤弁護士事務所」があった。
「遠藤弁護士事務所」と書かれた表札の横にまっさらの少し遠慮がちな小ぶりの看板には、有限会社だったか株式会社だったかは忘れてしまったが「関東ヨーグルトン」とあった。そしてその門構えに並ぶようにして法律事務所がいかにもといった風に在り――――
「配達アルバイト急募、関東ヨーグルトン」の張り紙が、その弁護士事務所の窓の所に貼ってあった。
後で知ったことだが、その関東ヨーグルトンの遠藤社長は「脱サラ第一世代」とでもいうのだろうか、歳は僕よりも4つほど上で二十歳くらいだったろうか、それは時の青年実業家の趣。そしてその社長の遠藤さんは高崎2中では「陸上部」の選手で相当にならしたんだと誰かから聞いた。
遠藤社長―――――その如何にもといった育ちのよさの中にも構えは精悍だった。
「すみません、あの張り紙のアルバイト募集、高校生でもいいんですか?」
弁護士事務所の扉を押し開くと、恰幅のいいいかにも「弁護士然」とした中年の小父さんに僕は恐る恐る訊いた。
「ああ、それなら息子の方だ、横の門から入っていきなさい。奥の方に工場がある」
と、促され僕は工場といわれる方に行った。
今はその跡形もないが、大木が数本、庭には、運転席のドアに「関東ヨーグルトン」と、書かれた「ミゼット」があった。
工場とは云っても物置を改造したような所で、甘酸っぱい匂いのする「ヨーグルトン」が瓶詰めされていた。
「あの、アルバイトの募集はこちらで・・・・・?」
と、僕が訊くと、
「ああそうだよ、ちょっと待っててな」
「おーいい斎藤君、ちょっと機械見ててくれや」と。
〈ああ、この人が社長かと思った〉
「張り紙見たの」
「はい。あの・・・・・高校生でも良いんですか」
「ああ構わないよ。でもバイクの免許もってるよね」
「あ、はい」と、僕は嘘をついてしまった。
しかし社長は、別に免許を見せろとも言わわなかった。
「それで、他に友達二、三人いない・・・バイトできそうなの、もちろん配達のバイトだけど」
僕は<しめた>と思った。
「俺んとこ始めたばっかりで、配達とか開拓に手が足らないんだ。君らには新規契約というよりサンプル配りもしてもらいたいんだ」
「はい、友達何人かに聞いてみます」
「給料、バイト料は1ヶ月6千円でどうだい」
驚いた、6千円だ。音楽センターの掃除バイト2時間くらいで「百円」だったから。食道のラーメンが、一杯60円くらいだったろうか。「6千円」と云えば今の5万円くらい、しかも朝の3時間くらいの間でだ。
「じゃあ、2、3日中に返事くれるかな」
「はい、分かりました」
僕はわくわくして、飛び上がりたいくらいだった<ヤッターーー>って。
工場の脇には未だ真新しいホンダ「スーパーカブ」が荷台に「ヨーグルトン」の箱をのせて3台ほど置いてあった。
〈おいおい…、これに乗れるのかよ〉
すっかり僕は免許証など持ち合わせていないこと忘れて一人、興奮冷め遣らぬまま「遠藤弁護士事務所」の屋敷を後にした。
猛スピードで「自転車」を飛ばす。中央デパートを矢のようにすり抜け、小板橋、アサヒ商会、時計の西脇、豊田園、十字屋、藤五、高崎倉庫を八間道路の方へ急ぐ。
〈僕の頭の中では「三和のエレキギターがぐるぐる回っていた」
「もっさん」ちへまず行った。
「もっさん、いいバイト見つかったぜ、いいバイト」
「朝がチョイト早いけどな、6千円だよ、6千円、1ヶ月6千円だぜ」。
もっさんも驚いて、クリビツテンギョウ!
「なっ、なっ、なんのバイトだよ、なんのぉぉぉ1!!!」
「ヨーグルトの配達だよ。しかもバイクで、ホンダスーパーカブのそれも新品だぜ」
もっさんの顔が見る見る歓喜に揺れるのが分かるほどだった。もっさんと僕は、「とっしゃん」ところへと急いだ。
「無免許運転」
ホンダスーパーカブに乗れるのは嬉しいんだが実は僕は免許がなかった。当時は一六になると「軽二輪・自動二輪・自動三輪・軽四」の免許を取ることが出来た。僕はその関東ヨーグルトンの時は一六になったばかりで、一、二度試験場に軽二輪の免許を取りに行ったがそれも不合格だった。
しかし関東ヨーグルトンの社長には免許を持っていると言ってしまった都合、無免許だろうが兎に角ホンダスーパーカブを運転して配達する事にした。もっさんもそうだった。
「渡辺君―――今度の日曜日拡張営業してくれないかな」遠藤社長は言った。
「別に契約が取れなくても構わないんだが、サンプルをもって売込みして欲しいんだ。一週間ほど無料配布させてもらうと云う事でね」
「わかりました」
「斎藤君―――斎藤君に同行してもらうから」遠藤社長がいた。
斎藤君とは遠藤社長の同級生らしかった。ちょっと口うるさそうな、いかにも番頭風な趣を持った関東ヨーグルトンの「専務」だった。
「みんな―――昼にここに来てくれるかな。鶴辺団地を廻るから」
鶴辺団地とは高崎から三キロほどの新興住宅団地。近くには三年前に開校した「東京農大二高を囲むようにその団地はあった。
まだ団地とはいうものの昭和四〇年の頃である「住宅ブーム」もそろそろ地方都市へとその波もようやく押し寄せて来た頃だったのだろうか瀟洒な一戸建ての新築の庭先には子どもが三輪車とガーデン用のブランコで遊んでいた。
「渡辺―――面倒くせえな」
「なにが?」
一軒一軒ベルを押して「関東ヨーグルトンでー――す」なんてやるのも大変だと言うのだ「とっしゃん」。
「だって―――からビン回収していかなくちゃあならねんだから配らねえわけにもいかないよ。それにからビンの回収いく日かたたないと」
「いいよ―――飲んじゃえばいいや。飲んじゃえば」
朝っぱらから「ヨーグルトン」何本も飲んで、日報には営業もしてないのに名前と住所を書いて。じつにいい気なもんであった。
「ヨー――シッ、天気はいいし今日は榛名までツーリングに行くか」
「いくべぇ、いくべぇ」
とっしゃん、もっさん、僕。三人で「関東ヨーグルトン」の営業、ほっぽらかして榛名山へツーリングとしゃれ込んでしまった。どの道をどういったかは定かではないがはっきり覚えているのは箕郷から十文字を抜けて道なき道をなんて冒険気取り。
榛名山の天辺に出ると湖に向かって一直線。
「七〇キロ、七〇キロ―――!」
いい気なもんである。とっしゃんは自分の家のカワサキのバイク、たしか二気筒の青い煙を振りまいて「ギャーーーッ」とうるさいやつ。
そうだたしか、しゅうさんも一緒だったからだ。しゅうさんはバイクは愚か自転車も乗れなかった。ホンダスーパーカブは五〇CCで二人のりが出来ないので九〇CCだったかのカワサキをあんちゃんの目を盗んで乗り出したのだった。
とにかく僕ともっさん、しゅうさんが一五、六でとっしゃんが一七.そこへ「かっちゃん」という一八になったばかりの近所の兄ちゃんが加わって。そのかっちゃん、ホンダの「ドリーム」に乗っていた。真っ赤なやつだった。そのかっちゃんも参加して何度か日曜のたびに「営業」をすっぽかしてツーリングと騒いでいた。
そんなある日、関東ヨーグルトンの社長に呼ばれた。
「有間君と渡辺君―――チョッと事務所に来てくれ」
とっしゃんと顔を見合わせて「ぎくっ」。用向きは直ぐに社長のその表情で察しがついた。
「お前たち―――とんでもねえな」
社長は怒るというよりは半ば呆れ気味に言った。
「斎藤君におまえたちの後を廻ってもらったんだ。そしたらぜんぜん営業かけてねえっていうじゃねえか」
二人ともそこは高校生。「シュン」っとしてしまった。
「からビンどうしたの」
「はいっ、飲んじゃったんです」
全てを白状して許しを願ったが―――
「今日からもういいから。今月のバイト代払えないよ。それどころかおまえたちが飲んじまった分弁償してもらいたいくらいだ。それに、バイク。一体何キロ走ってるんだ―――みんな記録してあったんだからな。どうも可笑しいと思ったよ」
「すみません」
僕ととっしゃんは肩を落として関東ヨーグルトンを後にした。どうやらもっさんは難を逃れたようだ。というより社長もいっぺんに首にしても配達に困ってしまうのでもっさんは無罪放免となった。
しかしそれからはもっさん、憧れのホンダスーパーカブには乗れず自転車での配達となったことは言うまでもない。
数年たってある企画を遠藤社長の所に売り込みにいった。その頃はすでに関東ヨーグルトンは閉鎖していて、高崎でも有数の喫茶「いわと」のオーナーになっていた。
「あの時はまいったなーーー」と大笑いされてしまった。
そんな、喫茶「いわと」も今はない。やはり音の風景として残っているだけだ。
KINEZUKA倶楽部
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