1982,
[市況] 日本映画概況
アメリカの週刊誌「タイム」1982年8月1日号は日本特集。
日本映画の現況の記事に1ページが割かれている。
タイトルは「沈滞の中の活況」。
サブタイトルに
「わずかな佳作が日本映画の国際的レベルへの復帰の証拠となり得る日」
とある。
この一文の論旨は大雑把に言って4つのブロックから構成されている。
その導入部は日本の映画産業が活況を呈していた25年前/1960年代と現在1980年代との比較から始まっている。
25年前/1960年代,日本では6つのスタジオが年間503本の営業映画を制作し,全国7067の劇場で11億枚のチケットの売り上げがあった。
ところが日本人の娯楽は,現在ではウォークマンやパックマンに移ってしまった。
残った5つの映画会社は不動産とスーパーマーケットの事業で利益を上げている。
1982年に製作された322本の映画のうち,ほとんどがロマン・ポルノが低予算のソフト・コアである。
劇場数は,1958年と比較して68%のダウン。
売り上げチケットも1億5,000万枚で87%のダウン。
欧米に比べて日本は英語の分野では「ディザスターエリア」であると筆者は言う。
そしてアメリカでは昨年一人当たり5回映画を観た勘定になるのに対し,日本では1人1.3回しか劇場に来ないと言う。
それでも昨年は,この20年間で初めて外国映画の配収が増えたが,それは「E.T.」のようなヒット作のおかげである。
こうしたシニカルな数字的分析の次に,筆者は溝口健二・小津安二郎・黒澤明が活躍した1950年代と現在を比較する。
1965年以降,黒澤が日本で3本の映画しか作れなかった状況を裏づけるように,観客はポルノのほかに実録やくざもの,旅又もの,アニメ,そして男と女がキスもしないストイックなロマンス映画を好んでいると言う。
そして最も長いシリーズとして,まもなくギネスブックにのる「男はつらいよ」のような作品を,決して日本映画を国際的に評価進めるような存在ではないと痛烈に語る。
「タイム」の筆者は,三番目に日本映画の国際性の欠如を指摘する。
日本映画はアジアでは強いけれど欧米市場では知られていない。
こうした点を,
「女形が出演して,弁士がスクリーンの上のアクションを妨害した」無声映画時代と同じと論じているのはいささか乱暴である。
しかし,引用されている映画史家ジョセフ・アンダーソンの
「日本の映画産業,は他の産業とは対照的に外国では重要な存在ではない」
と言う一文には,頷かされるものがある。
最後に,「タイム」の一文はそんな日本映画界にも「小さなルネサンス」を認め,カンヌ映画祭で話題になった
今村昌平の「楢山節考」と
大島渚の「戦場のメリークリスマス」
をあげている。
そして,佐藤忠雄氏の次のようなコメントで締めくくっている。
「今村昌平や大島渚の作品はフロックや突然変異では無い。彼らは西洋スタイルのして知性を通して,東洋世界の不合理な要素を視覚化する日本の監督たちの新しい傾向の一部なのだ」。
また「夏のヒット作」と言う囲み記事では,日本の観客も他の国と同様,若い世代で1982年のトップ・ヒット作「セーラー服と機関銃」や「ハイティーンブギ」が証明するように,彼らの心は心理的で精妙な映像よりも,アクションと誇大表現だと分析する。
しかし1983年の夏はちょっと違って,
「楢山節考」や
「戦場のメリークリスマス」,
市川崑の「細雪」や
小林大樹の「東京裁判」
が好成績をあげている。
これらの監督の平均年齢は60歳。
「ハリウッドの小憎たちが肝に銘ずべし」と日本映画の「小さなルネッサンス」を持ち上げている。
タイムのこの一文に決定的に欠如しているのは,自主制作や独立プロダクションから台頭してきた若い作家たちへの言及である。
日本のニューウェーブがいかに苦しい状況の中でメジャーな作品をはるかにしのぐ良作を生み出しているのか。
それは,本誌キネマ旬報の1982年度ベストテンを見ただけで明らかである。
柳町光男の「さらば愛しき大地」,
高橋の「TATTOOあり」,
さらに中堅の独立プロダクション作家の作品,
小川伸介の「ニッポン国・古谷敷村」や
若松浩二の「水のないプール」
などその他ATGの作品まで含めれば,実にベストテンの大半をメジャー以外の作品が占めている。
加えて石井聡の「爆裂都市」や中村幻児の「ウィークエンド・シャッフル」などもあり,こうした作品の日本分析の鋭さやエネルギーこそが沈滞している映画界の底流を少しでも新たな方向に動かしているように思われる。
確かに,市川崑・小林大樹・今村昌平・大島渚の洗練されたモダニズムは観客動員をうながしたかもしれない。
しかしこれらの作品の持つ完成度よりは,自主制作の場を守りながら,「不定形」でとらえどころのない現実に挑んでいる若い作家の姿勢こそ,日本映画の「小さなルネッサンス」と呼ぶにふさわしいと思うのだ。
「タイム」の筆者は,日本の若い作家に溝口・小津・黒澤に迫るものはいないと言うけれど,ハリウッドがニュー・シネマによって変えられ,フランス映画がヌーベルバーグによって変質していったように,日本の映画界でも溝口・小津・黒澤の映画作りが時代の流れに適応できなくなっているし,また彼らの映画手法の破壊から新しいものが生まれつつあることを,どうやらご存知ないようだ。
それに年間300本余りの作品のうち,ほとんどがロマン・ポルノかソフト・コアだと言っても,それらのプログラム・ピクチャーの中に優れた作品はいくらでもある。
神代辰巳や藤田敏八はロマンポルノの洗礼をくぐり抜けて今日にいたったのだ。
タイムス誌の一文は
「日本は,車やエレクトロニクス技術では国際的に傑出しているが,文化後進国である,特に映画分野では後進国である」。
とこんな侮辱無念をあらわにしている。
確かに若い作家が活躍できるハリウッドや,国家補助で過激思想の映画を作ることができる西ドイツと比べると,日本は映画後進国である。
その主な原因は2つあって,一つはメジャーな映画会社を支配するエンターテイメントに対する考え方の古さ。
もう一つは日本映画を海外へ紹介・輸出する機関の脆弱性である。
この閉鎖的で頭の古い日本映画の映画界のありようを,奇しくもタイムはついてきた。
先ごろアカデミー外国語映画賞にノミネートされた小栗康平の「泥の河」をはじめ,先ほど述べたニュー・ウェーブ作品の質の高さを,
映画ジャーナリストや配給・興行機関,海外の出先機関はもっと力を尽くしアピールすべき事は確かだ。
そうすれば日本映画には黒澤や小津や溝口しかなく,今や無声映画時代に戻ってしまったなどと言う暴論は出てくる余地はなくなるだろう。
ーキネマ旬報,高沢瑛一
アメリカの週刊誌「タイム」1982年8月1日号は日本特集。
日本映画の現況の記事に1ページが割かれている。
タイトルは「沈滞の中の活況」。
サブタイトルに
「わずかな佳作が日本映画の国際的レベルへの復帰の証拠となり得る日」
とある。
この一文の論旨は大雑把に言って4つのブロックから構成されている。
その導入部は日本の映画産業が活況を呈していた25年前/1960年代と現在1980年代との比較から始まっている。
25年前/1960年代,日本では6つのスタジオが年間503本の営業映画を制作し,全国7067の劇場で11億枚のチケットの売り上げがあった。
ところが日本人の娯楽は,現在ではウォークマンやパックマンに移ってしまった。
残った5つの映画会社は不動産とスーパーマーケットの事業で利益を上げている。
1982年に製作された322本の映画のうち,ほとんどがロマン・ポルノが低予算のソフト・コアである。
劇場数は,1958年と比較して68%のダウン。
売り上げチケットも1億5,000万枚で87%のダウン。
欧米に比べて日本は英語の分野では「ディザスターエリア」であると筆者は言う。
そしてアメリカでは昨年一人当たり5回映画を観た勘定になるのに対し,日本では1人1.3回しか劇場に来ないと言う。
それでも昨年は,この20年間で初めて外国映画の配収が増えたが,それは「E.T.」のようなヒット作のおかげである。
こうしたシニカルな数字的分析の次に,筆者は溝口健二・小津安二郎・黒澤明が活躍した1950年代と現在を比較する。
1965年以降,黒澤が日本で3本の映画しか作れなかった状況を裏づけるように,観客はポルノのほかに実録やくざもの,旅又もの,アニメ,そして男と女がキスもしないストイックなロマンス映画を好んでいると言う。
そして最も長いシリーズとして,まもなくギネスブックにのる「男はつらいよ」のような作品を,決して日本映画を国際的に評価進めるような存在ではないと痛烈に語る。
「タイム」の筆者は,三番目に日本映画の国際性の欠如を指摘する。
日本映画はアジアでは強いけれど欧米市場では知られていない。
こうした点を,
「女形が出演して,弁士がスクリーンの上のアクションを妨害した」無声映画時代と同じと論じているのはいささか乱暴である。
しかし,引用されている映画史家ジョセフ・アンダーソンの
「日本の映画産業,は他の産業とは対照的に外国では重要な存在ではない」
と言う一文には,頷かされるものがある。
最後に,「タイム」の一文はそんな日本映画界にも「小さなルネサンス」を認め,カンヌ映画祭で話題になった
今村昌平の「楢山節考」と
大島渚の「戦場のメリークリスマス」
をあげている。
そして,佐藤忠雄氏の次のようなコメントで締めくくっている。
「今村昌平や大島渚の作品はフロックや突然変異では無い。彼らは西洋スタイルのして知性を通して,東洋世界の不合理な要素を視覚化する日本の監督たちの新しい傾向の一部なのだ」。
また「夏のヒット作」と言う囲み記事では,日本の観客も他の国と同様,若い世代で1982年のトップ・ヒット作「セーラー服と機関銃」や「ハイティーンブギ」が証明するように,彼らの心は心理的で精妙な映像よりも,アクションと誇大表現だと分析する。
しかし1983年の夏はちょっと違って,
「楢山節考」や
「戦場のメリークリスマス」,
市川崑の「細雪」や
小林大樹の「東京裁判」
が好成績をあげている。
これらの監督の平均年齢は60歳。
「ハリウッドの小憎たちが肝に銘ずべし」と日本映画の「小さなルネッサンス」を持ち上げている。
タイムのこの一文に決定的に欠如しているのは,自主制作や独立プロダクションから台頭してきた若い作家たちへの言及である。
日本のニューウェーブがいかに苦しい状況の中でメジャーな作品をはるかにしのぐ良作を生み出しているのか。
それは,本誌キネマ旬報の1982年度ベストテンを見ただけで明らかである。
柳町光男の「さらば愛しき大地」,
高橋の「TATTOOあり」,
さらに中堅の独立プロダクション作家の作品,
小川伸介の「ニッポン国・古谷敷村」や
若松浩二の「水のないプール」
などその他ATGの作品まで含めれば,実にベストテンの大半をメジャー以外の作品が占めている。
加えて石井聡の「爆裂都市」や中村幻児の「ウィークエンド・シャッフル」などもあり,こうした作品の日本分析の鋭さやエネルギーこそが沈滞している映画界の底流を少しでも新たな方向に動かしているように思われる。
確かに,市川崑・小林大樹・今村昌平・大島渚の洗練されたモダニズムは観客動員をうながしたかもしれない。
しかしこれらの作品の持つ完成度よりは,自主制作の場を守りながら,「不定形」でとらえどころのない現実に挑んでいる若い作家の姿勢こそ,日本映画の「小さなルネッサンス」と呼ぶにふさわしいと思うのだ。
「タイム」の筆者は,日本の若い作家に溝口・小津・黒澤に迫るものはいないと言うけれど,ハリウッドがニュー・シネマによって変えられ,フランス映画がヌーベルバーグによって変質していったように,日本の映画界でも溝口・小津・黒澤の映画作りが時代の流れに適応できなくなっているし,また彼らの映画手法の破壊から新しいものが生まれつつあることを,どうやらご存知ないようだ。
それに年間300本余りの作品のうち,ほとんどがロマン・ポルノかソフト・コアだと言っても,それらのプログラム・ピクチャーの中に優れた作品はいくらでもある。
神代辰巳や藤田敏八はロマンポルノの洗礼をくぐり抜けて今日にいたったのだ。
タイムス誌の一文は
「日本は,車やエレクトロニクス技術では国際的に傑出しているが,文化後進国である,特に映画分野では後進国である」。
とこんな侮辱無念をあらわにしている。
確かに若い作家が活躍できるハリウッドや,国家補助で過激思想の映画を作ることができる西ドイツと比べると,日本は映画後進国である。
その主な原因は2つあって,一つはメジャーな映画会社を支配するエンターテイメントに対する考え方の古さ。
もう一つは日本映画を海外へ紹介・輸出する機関の脆弱性である。
この閉鎖的で頭の古い日本映画の映画界のありようを,奇しくもタイムはついてきた。
先ごろアカデミー外国語映画賞にノミネートされた小栗康平の「泥の河」をはじめ,先ほど述べたニュー・ウェーブ作品の質の高さを,
映画ジャーナリストや配給・興行機関,海外の出先機関はもっと力を尽くしアピールすべき事は確かだ。
そうすれば日本映画には黒澤や小津や溝口しかなく,今や無声映画時代に戻ってしまったなどと言う暴論は出てくる余地はなくなるだろう。
ーキネマ旬報,高沢瑛一
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