小松左京

小松左京
昨年まで、東京の某ホテルにOA機器が立ち並ぶ「エレクトロオフィス」なる事務所を持っていたほどなのである。テクノ作家の面目躍如といったところ。
「機械らしいものといえば、10年以上も前に手に入れたコピー機が最初です。『日本沈没』も、当時10数万円した電卓の走りを買って書いたのです。その後ビデオ、ファクシミリを入れ、マイコンまで来ました。今では、スケジュールの調査や人名リスト作りは全部コンピューターに行ってもらっています」。
彼とマイコンの出会いは4~5年前のこと。収支の状況がつかめないのでは税金対策もできない、というわけで財産管理の目的で持ち込まれた。マイコンを導入して以来、その役割はどんどん範囲を広げていて、これからは蔵書の管理から料理の献立、栄養管理から冷蔵庫管理まで及ぼうとしている。
今まで物を書く行為には、機械の入り口はないと考えていた。原稿用紙に一字一字埋めていく過程で、ふくらむイメージを整理しながら、書き上げていく作業と考えていたからである。しかし、小松左京の仕事のやり方からするとこうした原始的な作業から解放されてしまう。原稿は書くのではなく、ワードプロセッサーに向かって打つだけでいい。かな漢字自動変換方式のものなら、例えば「ワカクサモユル」と
打てば、「モユル」はヒヘンではなくクサカンムリの「萌ゆる」が出てくる。文章の繋がりがまでも読んでしまうのだ。さらに音声認識システムでは、ワープロに向かって喋るだけで文字が画面に映し出される。推敲もボタンひとつででき、仕上がった原稿はプリンターが印刷 し、ファクシミリで印刷所へ送られ、文字は電気信号で印刷機にはいる仕掛けになる。彼の書くものはSF小説だが書き方はサイエンスであってもフィクションにはあらずだ。
-BRUTUS 1982年5月号 特集テクノライフ

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SF作家が予測できなかった事態の一つとして、小松左京氏は人類の月着陸の瞬間を挙げている。
月着陸もテレビ中継も予測されていたのに、人類の月への第一歩が家庭テレビ中継される時代は、どんなSFにも書かれていなかったのである。
同じことが、コンピューターについても指摘されそうである。最近のマイコンブーム、パソコンブームがそれで、コンピューターがこれほど身近な存在になる事態は、SF作家は誰も予想していなかった。
-BRUTUS 1982年5月号 特集テクノライフ

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