[東京神田][解体] 九段下ビル


1975



九段下ビル
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2014/1/20(月) 午前 2:34 
洋風レトロ建築 東京都
座標:35.6959777515, 139.753418571
住所:東京都千代田区神田神保町3-4
昭和2年(1927年)竣工の九段下ビル。設計は南省吾氏。
関東大震災で被災した近隣の商店主達が共同出資をして組合を作って建設された震災復興建築で、当時は今川小路共同建築という名称でした。
以前から外壁の剥離などがあった為、剥落事故防止のネットに覆われていた九段下ビルですが、耐震性の保障が難しいことから、解体が決定。
平成24年(2012年)2月に解体工事が終了しました。

新・ストリートビュー散策





呼称・九段下ビル (近代建築シリーズ)
場所・東京都千代田区
今回は都内にある近代建築を訪ねる。

廃墟デフレスパイラル ~ぼくたちの秘密の場所~
http://home.f01.itscom.net/spiral/kudan/kudan1.html





都心に残るレトロ建築「九段下ビル」取り壊しへ+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
2011.11.23 18:00 (1/2ページ)[建築・住宅]
ネットや解体工事のパネルがかけられた九段下ビル=東京都千代田区
関東大震災を教訓に建てられ、80年以上、都心の風景に溶け込んできた“名物ビル”
が今年、取り壊されようとしている。後年は漫画家や画家らも好んで居住。レトロな魅
力が詰まったビルから創作意欲を得ていた人も多く、「この空間を残したい」と惜しむ
声が上がっている。(産経デジタル 城野崇)
東京メトロ九段下駅(東京都千代田区)を出てすぐ、靖国通り沿いに、3階建ての古い
ビルがひっそりと建つ。通称「九段下ビル」だ。いかにも古びた様子で、ネットまでか
かっている。「3.11にもびくともしなかったんだよ」。最後の住人となる画家、大
西信之さん(55)は東日本大震災にも耐えた強固さをたたえた。
ビルが完成したのは昭和2(1927)年。関東大震災で失われた住宅や店舗をまとめ、
地震や火事に強い鉄筋コンクリート製の建物とした。同潤会アパートと同様、関東大震
災後に作られた「復興建築」だ。

MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111123/art11112318010002-n1.htm




東京戦前建築file no.04 九段下ビル
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2010/7/7(水) 午後 9:23 東京戦前建築file 建築デザイン
僕は東京にある、『戦前の建物』が好きです。
ご存じのとおり東京は戦争で大空襲を受け、
東京オリンピックを迎えるに当たっては、街並みを大きく変えています。
古い物は捨て、臭い物には蓋をして、西洋文化に追いつけ!
東京は年々近代化の一途を辿ってきました
特にここ10年~15年の再開発スピードには、本当に驚かされます
変化が激しく、古い建物が存在し続ける事自体が難しい街、TOKYO
それ故戦前の建物の存在感は、より一層際立っていると感じます
実際目の前にすると、『よくぞ生きていた!』という気持ちにさえなります
古い建物が壊され、新しい建物に変わる。これも時代の流れ、仕方の無いことではあります。
何物にも永遠は無い。儚さは人も物も同じですね
今日会わなければ、もう二度と会えないかもしれない。
変化の激しい東京で、幾多の危機を乗り越えてきた戦前の建物。
古い友人に会いに行くような気持ちで、今日も僕は東京を歩いています
~file no.04  九段下ビル~

一石三鳥!街歩き ~街はともだち~
https://blogs.yahoo.co.jp/terry7shina/1284581.html













































 


































☆壊されてしまった九段下ビル
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2014/8/12(火) 午前 11:08 日記 練習用
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九段下の交差点から俎板橋(まないたばし)を渡るとかつて存在していたのが、九段下ビルでした。
この九段下ビルは関東大震災後に近隣の商店主さんたちが共同出資し、また復興助成金の融資を受け、
1927年に建てられた、いわゆる震災復興建物でした。
1階が店舗、2階が商店主の住まい、3階が貸事務所になっていました。
その後、老朽化が進み、東日本大震災後は安全性が保たれないという事で取り壊しが決まりました。
以前から建物の壁などが落ちてこないよう網がかけられていました。それでも1階のお店は営業を
続けていました。しかしそれにも限界があり、耐久工事を行っても無理だという結論になったようです。
2012年、1月、全面的解体が始まり、2月には完全に更地となってしまいました。
こうやって九段下ビルの85年の歴史の幕は下りてしまったのです。
跡地は専修大学が購入する予定だそうです。
私はこの数年、この辺りに行っていなかったので今回初めて更地になった光景を見ました。
大好きだったあのビルが全く無くなってしまったことがショックでした。
更地になった光景をカメラに収めることも出来ませんでした。それほど悲しかったのです。
でも今でも私の心の中にはあの九段下ビルが、はっきり存在しています。永遠に心に残り続けて行くこと
でしょう。九段下ビルさん、本当にお疲れ様でした。あなたを永久に忘れません。
☆九段下ビル・・・東京都千代田区神田神保町
  設計: 南省吾
  竣工: 1927年
  鉄筋コンクリート造り、(屋上設備を含め)4階建て

☆夢織人の街TOKYO散歩&思い出の場所Ⅱ
https://blogs.yahoo.co.jp/seven7271214/11828717.html


































消えゆく昭和の風景 九段下ビル解体へ
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2012/1/11(水) 午前 0:16 
昭和の風景 東京都
千代田区神田神保町にあるレトロな九段下ビルが、近々解体されるとブログ友さんの記事で知り、さっそく行って来ました。
神田古本街と靖国神社の中間、俎橋横に位置する九段下ビルは、昭和2年に竣工した雑居ビルです。関東大震災で消失した跡に、当時の地元商店主の方々が共同で建設したもの、当時は、同潤会アパートや聖橋と並んで震災復興のシンボルとされました。
交通量の激しい靖国通りに面した九段下ビル、俎橋側は既に白い幕が張られ、解体工事が進んでいました。
以前は職場からも近く、1階の喫茶にも通っていたこともある懐かしい九段下ビルです。周囲が大型の新しい建物に変わっていく中で、ここだけはタイムスリップしたかのように戦前・戦後の昭和の風景が残っていました。
 外壁落下防止のあみは以前からかかっておりましたが、解体工事の為の足場が新たに組まれていました。九段下ビルの見慣れた風景もあと僅かで幕を閉じようとしています。
「九段下ビル」の看板もまだ確認することができました。工事が進むと、やがてここも幕で覆われてしまうのでしょうね。
歩道に面した入口も当時のままで残されています。
1階は店舗、2階は住居そして3階は貸し事務所として使われてきたようです。
看板の文字も微かに残っています。80年間の長かった歴史を物語っています。
ビルの裏側、複雑に増改築された跡が残されていました。ここには多くの住人の生活の歴史が刻まれているようです。
裏側の敷地はすでにコインパーキングとして使われていました。俎橋(まないたばし)から眺めた九段下ビルです。鉄筋コンクリートのタイル張り、アールデコ調は当時としては斬新な建築物だったはずです。
多くの人に思い出を残したこの風景もあと僅か、昭和初期から戦後、そして平成の今までの長かった歴史に幕が下ろされます。
そして、都内からまた一つ貴重な昭和の風景が消えていきます。

昭和の歴史B級研究所