横浜駅







次の絵葉書は、二代目横浜駅の駅前風景です。
最初の絵葉書とは逆方向から写したものです。
高い位置からの撮影なので、おそらく横浜駅の駅舎の二階から撮ったものでしょう。
二代目横浜駅は改札口が二階にある、これも珍しい造りの駅でした。
この絵葉書ではあまり目立ちませんが、中央に前述の立体交差の開口部が見えます。
この絵葉書には大震災があった大正 12 年(1923 年)4 月の消印が押されていますが、
絵葉書のキャプションに「院電高架線」の文字が見えるので、撮影時期はもう少し前になります。
■この立体交差が使用されたのは、大正 5 年(1915 年)から昭和 5 年(1930 年)までの約 15 年間でした。
以後、市電は高島町に設けられたガードの下を通るようになり、この花咲橋のアンダークロスは解消されました。
また、高架線は昭和 7 年(1932 年)に海側へ拡張され、空いた線路を東急・東横線が使うようになりました。
戦後の昭和 26 年(1951 年)には、この高架上で京浜東北線電車が炎上、106 人が死亡した「桜木町事件」という大惨事が発生しました。
昭和 31 年(1956 年)には東横線の複線化のために高架が山側へ拡張され、拡張部分の下が歩行者用の通路になりました。
現在でも見慣れたあの通路ができあがったわけです。
高架の壁にいわゆる「ストリート・アート」が描かれ、
果たして芸術か単なるいたずら書きかと論議が戦わされたこともありました。

横浜古壁ウォッチング・旧「花咲橋」電停の高架線アンダークロス
http://www.furukabe.com/undercross/fk_undercross.html