[東京大手町] 大手町一丁目大規模再開発「Otemachi One」
PRESIDENT Online: 大手町1丁目/地価40億円の超一等地「平将門の首塚」が再開発を免れているホラーな理由
地価40億円の超一等地「平将門の首塚」が再開発を免れているホラーな理由 - PRESIDENT Online
今年2月、東京・大手町一丁目の大規模再開発「Otemachi One」が竣工した。だが、上空からみると、敷地は不自然にくぼんでいる。そこにあるのが「平将門の首塚」だ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「平将門は『日本三大怨霊』のひとり。怨霊を恐れ、荒ぶらないように祭り続ける『御霊(ごりょう)信仰』の精神は、いまも息づいている」という――。
■三井物産・不動産の再開発「Otemachi One」エリアの「首塚」
東京・大手町における大規模再開発事業が大詰めを迎えつつある。 今年2月、同エリアで最大規模となる三井物産と三井不動産との共同事業「Otemachi One」が竣工した。オフィスやホールが入るA棟(地上31階建て、高さ160m)と、ホテルや商業施設などが入居するB棟(地上40階建て、高さ200m)からなる。 5月、A棟オフィスエリアに入居した三井物産本社が稼働を始めた。しかし、B棟に入る「フォーシーズンズホテル東京大手町」は新型コロナ感染症の拡大の影響で7月の開業を後ろ倒しして、この9月にオープンする。 実は上空からOtemachi Oneの敷地を見れば、変な形状をしている。全体的には台形に近い四角形なのだが、A棟とB棟をまたぐ部分の敷地が不自然にくぼんでいるのだ。 ここに世にも恐ろしいミステリーが潜んでいることをご存じだろうか。今回は、真夏の時期にふさわしい、現代都市における怨霊伝説をお届けしたい。
将門塚の俯瞰写真 - 撮影=鵜飼秀徳 まずは上空写真を見ていただこう。土地のくぼみは2つのビルの間の南側、白い覆いが被さっている箇所である。内部から撮影したのが別の写真だ。多数の樹木が生い茂り、墓石が2つある。手前の墓石には「南無阿弥陀仏」を書かれていて、奥の五輪塔は強化ガラスに覆われている。
ビジネスパーソンも手を合わせにやってくる「平将門の首塚」逸話 たまに近隣のビジネスパーソンが手を合わせにやってくる。「平将門の首塚」である。 なぜ、このような近代オフィス街の超一等地に古めかしい首塚が残されているのか。この首塚は東京都指定旧跡になっている。平安時代まで歴史をさかのぼろう。 平安時代中期の武将、将門は勇猛果敢な人物であった。しかし、勢力拡大に乗じて「新皇」を名乗ったことで、朝敵とみなされた。将門は乱を起こすが、敵の矢が頭部を貫通し、あえなく戦死する。将門の首級(くび)は京都で晒された。
将門は晒し首になり、その後、首だけが東に飛んで行った 首が晒されて3日目。将門の目がカッと見開いたかと思えば、白い光を放って飛び上がった。そして東の方向へと飛び去った。そして飛んできた首は現在の場所に落ちたのだという。この時、辺りは夜のように真っ暗になり、人々は恐れおののき、塚を立てて祀ったのが、この将門塚の由来だ。 約44坪「平将門の首塚」の土地だけで40億円は下らない計算 なるほど、聞けば聞くほど恐ろしい逸話である。この地は将門の無念の思いが宿る聖地なのだ。だからと言って、国内にはそのような例はあちこちにある。 例えば京都では、「本能寺の変」で殺害された本能寺の場所は現在、住宅地になっている。東京都心部でも、墓地を移転してビルを建設しているところはいくらでもある。 三井物産も将門塚を、建設の邪魔にならない場所に移転したり、ビルの屋上に祀り直ったりすればよかったのではないか。なぜなら、大手町の土地価格の高さは都内でも屈指だからだ。 2020年3月に発表された三井物産近くの地価公示価格は、1坪約9091万円(大手町1-7-2)というとんでもない額である。地図から将門塚の敷地面積を推測するに、12メートル四方(約44坪)ほどだろうか。すると将門塚の土地だけで40億円は下らない計算になる。 三井物産が首塚を他へ移動しなかったホラーな理由 三井物産はそれをあえて避けて建設したのだ。なぜか。
実は過去、この地の開発をめぐって、さまざまな怪奇現象が起きていた。最初は大正時代のことである。 当時、大手町は官庁街であった。将門の首塚は大蔵省の中庭にあった。しかし、関東大震災で省舎が崩壊する。そこで首塚の場所を更地にし、その上に仮庁舎を建設する計画が持ち上がった。 仮庁舎の工事が進む最中、時の大蔵大臣・早速整爾が急死。さらに大蔵官僚や工事関係者ら14人が続々、不審な死を遂げたのだ。この時に、「大臣が亡くなり、工事関係者が不幸な目にあうのは、首塚を荒らしたからに違いない」との噂が広がる。結局、仮庁舎は取り壊されることに。首塚は元どおりに復元され、再び祀られた。 そして、およそ20年が経過した戦後間もなくのことである。GHQの関連施設の工事の際、過去の不審な出来事を軽視してしまい、再び首塚を撤去することになった。 すると今度は、重機が横転して、運転手が死亡。またもや将門の怨霊説が流れ、GHQの計画は白紙に戻ってしまう。そして、今回の再開発がやってきた。 工事担当者「首塚は神聖な場所だが祟りを恐れたわけではない」 私は工事計画が始まる前に同社の担当者に将門の首塚の扱いを聞いていた。担当者は、「将門の首塚は神聖な場所であり、再開発には組み込まない。祟りを恐れてというわけではない」とだけ、答えた。 しかしながら、工事現場は将門の首塚は、墓そのものやさらにその上部を、工事の粉塵や落下物が落ちてこないようにするための強化ガラスで覆い、完全防備している。同社が再開発と「祟り」とを結び付けたがらない心境は分からぬではないが、「将門の怨霊伝説」をきっと意識しているに違いない。 平将門は、太宰府で無念の死を遂げた菅原道真や、讃岐に流されて亡くなった崇徳上皇とともに「日本三大怨霊」に挙げられているのだ。
■将門は「日本三大怨霊」のひとり、「御霊信仰」は今も息づく
ちなみに菅原道真は太宰府天満宮(福岡県)に、崇徳上皇は白峯神社(京都府)に御霊が荒ぶらないように祀られている。平将門の首が晒された京都の四条西洞院には、神田明神と称する小堂が祀られ、そこの案内板には「天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と書かれている。
怨霊を恐れ、荒ぶらないように祭り続けることを「御霊(ごりょう)信仰」と呼び、日本人は長きにわたってその精神を大事にしてきたのだ。
都会に残る御霊信仰の例は関西にもある。京阪電車の萱島駅(大阪・寝屋川市)のホームの中央には、大木が屹立している。推定樹齢700年のクスノキである。クスノキは高架になったホームを貫き、天井もそこだけ避けている。さらに、幹はガラス壁で覆われている。
将門の首塚同様に、御神体を傷つけないように配慮して駅舎が建てられているのだ。幹にはしめ縄がかけられ、「クスノキに寄せる尊崇の念にお応えして、後世に残すことにした」と立て看板が立てられている。
京阪電車は1972(昭和47)年、高架複々線工事に着手する。実は現在のホームの場所には萱島神社があって、境内に生えているクスノキの伐採計画が持ち上がった。そのとき、「御神木を切るとはとんでもないこと。事故などの災いが起きたらどうするのか」と、住民運動が起きて保存されることになった。鉄道会社は、常に人命を預かっている。仮にクスノキを切って、その直後に不慮の事故があれば、きっと祟りと結び付けられたに違いない。科学万能社会にあって、御霊信仰などばかばかしいと考える人は少なくないだろう。しかし、この御霊信仰は侮れない。見えざる世界に想いを馳せる大切さはもとより、「都会のオアシス」としての価値は小さくない。御霊信仰があってこそ都会の緑が保全され、人々の憩いの場になっているとも言える。実は気づかないだけで都会には御霊信仰に基づく、神社や寺院が結構あるものだ。
こうした存在は、国連加盟国が2030年までに達成するために掲げた17の目標「SDGs(持続可能な開発目標)」にも少なからず貢献しているといえる。11番目の「住み続けられるまちづくりをする」、13番目の「気候変動に具体的な対策を講じる」、15番目の「陸の豊かさを守る」などに合致する。
時には、こうした祈りの空間は、災害時の避難所としての役割を果たすことも考えられる。そう考えれば将門の首塚も「祟られる」のではなく、「守られている」という意識を持つのが正しいかもしれない。
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