[スタイル] 渡辺和博『金魂巻』〜昭和金/貧デート考
渡辺和博『金魂巻』〜昭和金/貧デート考
■1973年/昭和48年
(貧)早稲田大学のふたり
大学構内を,時折思い出したように20人ばかりのデモのヘルメット姿の学生がいて,入口にはまだ幾重にも赤と黒で彩られた立て看板がありました。。1970年安保から3年。。表面的にはすっかり平静を取り戻したように見えるのですが,時々内ゲバがあって,一般学生は新聞を見て事件を知るのです。それと大学は機動隊に取り巻かれていて,正門で学生証提出を求められての入構やロックアウトということになります。
この頃文化団体の「シネマ研究会」で知り合った二人はどんなデートをしていたのでしょうか?
当時学生が付き合う場合にデートという堅苦しいものはなくて,二人で「付き合う」という感じでした。石川県出身の男と兵庫県出身の女が初めて2人きりになったのは「教駒文化祭自主上映」でやっていた小津安二郎の『東京物語』を観に行った時です。彼には勇気が要りました。
「あの....沢田さん...小津安二郎が好きだと言っていたよね?」
と切り出したのです。渋谷のハチ公前で待ち合わせますが,彼は彼女が来るのが来ないのか不安でした。たまたまその日クラブ後輩も『東京物語』を見に来ていたので,二人とばったり出会い,翌週にはクラブ中の認める中になってしまいます。その後で二人 ちょっとギクシャクしますが,新宿の「DIG」や渋谷の「BYJ」にふたりで密かに出かけるようになります。デートだからといって特別なもの食べるという習慣もお金もなくて,
「アカシア」のロールキャベツ定食180円
「早川亭」の焼売定食190円
を食べたりします。
■1976年/昭和51年
☆(金)慶応vs聖心女子大
学生運動を経験した世代が大学を去って,就職難が卒業後に控えているというので,大学の雰囲気が変わったのはこの頃のこと。
メンズクラブで育った慶應/(慶),ニュートラッドの聖心女子大/(聖)は創刊されたばかりのポパイのハワイ特集で話がはずみます。それぞれ(慶)は野球の交流試合で,(聖)は姉と一緒にハワイに行ったことがあるからです。
(聖)が「アラモアナホテルでガバジュース飲んだ」と言うと(慶)は「いいな俺なんか団体行動だったから」ということを葉山マリーナのティールームで話しているのです。
(慶)の(聖)から来ている大学の友達の紹介で知り合ったこの二人の初めてのデートは,(慶)のフォルクスワーゲンで田園調布の彼女の家に寄って,彼女をピックアップして,今なら第三京浜>>横浜新道>>横浜横須賀道路で葉山に行くのですが,当時は横浜横須賀道路は開通していないので,戸塚周りでやってきたのです。
駐車場に車を入れると,(聖)が「何という車ですか?」というと「あれあれ,今度出たBMW の3シリーズ」と言うと(慶)は BMWの歴史を雑誌カーグラフィックから得た知識でしゃべります。
昼過ぎ,どこでご飯を食べるかということになって(慶)は油壺の「シーボニア」のレストランを主張しましたが,(聖)が門限のことと元町で買い物をしたいと言うので,結局横浜山手の「ドルフィン」に行く なりました。食事の後で元町プラザの近くの駐車場が満杯だったので仕方なく中華街の駐車場に車を入れて,元町まで引き返して,(聖)が「ミハマ」で靴,「フクゾー」でトレーナーを買って,「キタムラ」にセリーヌバッグを見て歩くのに(慶)は付き合って,「嘉山船具」にヘビーデューティーにアレンジできそうなものはないかと思いましたが,めぼしいものはありませんでした。
☆(貧)早稲田大学vs日本女子大学
「ポンパドールでパンを買って公園で食べない?」という(聖)の提案は当時おしゃれでした。
一方その頃早稲田大学/(早),日本女子大/(日)はやはりおしゃれをして新宿御苑で,マークの変わったばかりの新宿伊勢丹の地下でサンドイッチを買って食べていました。今もそうですが当時から地方から東京に出てきた人は,男は「YUKIYA」,「三峰」,「TAKA-Q」,「マルセル」で,女は「SUZUYA」,「三愛」,「伊勢丹」,「丸井」でファッションをしました。。
(早)はクラスコンパ,一次会,早稲田長岡屋/蕎麦屋2階>>2次会の高田馬「鳥美喜」>>そして新宿へ行くぞと言ってくり出した「カンタベリーハウスギリシャ館」で日本女子大をハントしたんです。当時はナンパと言わずハントと言っていました。それには彼らの一時代前の人が軟派と言っていた歴史的背景があります。
車のない (貧)の行動範囲は限られています。新宿に出たらそこで全て完結するというように。紀伊国屋前待ち合わせ>>New tops>>新宿御苑>>コマ周辺一周>>犬神家の一族>>三越前のマクドナルド....といった具合で(貧)にとって伊勢丹の「十勝」でワインを飲んだり「シェーキーズ」でピザを食べたりするのは非常にお洒落でした。「びざーる」,「木馬」といったジャズの店やピットインは地方から東京へ出てきたばかりの人は,長髪の常連が強いのでなかなか入りません。ロックのローリングストーンズのサントリー角瓶のキープ3700円もひと月35000円の仕送りからすれば贅沢でした。。
当時の(貧)カップルはたった丸ノ内線で15分かそこらなのに,新宿から南下して青山,六本木を攻めるということなど考えも及びません。中央線より南側,明治通りより内側に囲まれた地域は完全に(金)なので今と違って(貧)と(金)の住み分けが十分になされていました。。その点(金)は新宿が恐いところだと言われて育ったので,近づいたこともありません。。ヤクザがいて学生運動で爆弾が爆発するところだと思い込んでいたので,(貧)の近づかない六本木,青山,銀座でデートをします。しかしまだまだ六本木には大人っぽい店ばかりで若い人間で行けるお店が少なく,(慶)と(聖)が食事をするのは飯倉片町「キャンティ」,スウェーデンセンターの「ストックホルム」,青山「ドンク」のケーキ,「ウィンピー」のハンバーガー,赤坂「アンナミラーズ」のピザ等でした。。どこに行っても路上駐車が出来たので便利でした。
(貧)はその後新宿で3回,吉祥寺で2回デートをして,2回目の吉祥寺デートの時に井の頭公園でキスをします。次の展開は難しいものがあり,(早)は同伴喫茶を選ぶことにしました。カップルで入れば2階同伴席に自動的に案内してくれる新宿三越裏の「穂高」という喫茶店です。これは店内は衝立で仕切られていて,二人で並んで電車のように座ってボーイが800円のコーヒーを持ってきて,カーテンを閉めるとあとは二人の世界です。。(日)は警戒しましたが普通の喫茶店風なので騙されたと思いましたが,騒ぎ立てるのも恥ずかしいのでついて行きました。
その点,車の使える(金)はもっと自然に事が運べました。。江ノ島の橋の上に車を止めて,夕陽を見ながら話し込んでいると,すっかり暮れなずみ,FMが山口百恵の『横須賀ストーリー』を流し始めたのを合図に(聖)の顎に手をかけてこちらも向かわせると,待っていたかのように身を投じ軽いキスをしましたが,その次の曲はピンクレディーの『ペッパー警部』だったので雰囲気がおかしくなって,車を発進するのでした。。一般的に(金)は処女失ってもお金があるのでその貞操は処女を失ったら何もなくなる(貧)に比べてユルいものがあります。(慶)は雰囲気作りを心掛けて(聖)に友達と行くと言っておかせた軽井沢プリンスでします。。
一方(早)は同伴喫茶からの決め手がなくて, 3店のニアミスを避けられて,イライラとしましたが(日)の誕生日に好きなアリスの『今はもう誰も』を贈って「僕の部屋で聞こう」と言って目的を達成します。。アルバイトで買った115000円のコンポがこのとき威力を発揮します。やはり車がある(金)は何かと都合よく行き,ない貧乏人が苦労する時代でした。。
ー渡辺和博『金魂巻』ちくま文庫,
fuhbhjjb pc