[東京赤坂] 黎明期TBSラジオの記憶〜毒蝮三太夫,ラジオ俳優時代と炎上レポーター時代








[東京赤坂] 黎明期TBSラジオの記憶〜毒蝮三太夫,ラジオ俳優時代と炎上レポーター時代
毒蝮三太夫: ラジオ俳優時代と炎上リポーター時代〜今の社会は一寸表面的過ぎるナ
21.12.16   
TBSラジオ/伊集院光とらじおと/木曜日
―おはようございます。毒蝮三太夫です。伊集院光,相変わらず痩せてるか?太ってるか?じゃあな!
―(笑)「じゃあな」じゃないです。TBSラジオ『伊集院光とらじおと』時刻は10時になりました。改めまして伊集院光です。
―こんにちは。アナウンサーの喜入友浩です。
―こんにちは。アシスタントの柴田理恵です。
―ゲストの毒蝮三太夫師匠なんですが。年齢850歳だって言ってたっけ??サバ読んでるけど。今回は収録音声の放送になります。スケジュールの都合で,俺と喜入君で迎え撃ったんですけど,話止まんねェから。その止まんねェ話のエッセンスを詰めたら2分位になったかな(笑) という訳で今日のゲストは俳優の毒蝮三太夫師匠の登場です。
―『伊集院光とらじおとゲストと』。この時間は総合人材サービス・新成梱包,東京かりんと,他各社の提供でお送りします。 
―『伊集院光とらじおとゲストと』。この時間は毎回ゲストをお迎えして「ゲストにまつわる○○と」についてお話をうかがいます。本日のゲスト毒蝮三太夫さんは1936年生まれ。 現在85歳。 1948年,中学1年生の時に俳優デビュー。『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』などに出演した後,1967年からはテレビ番組『笑点』の座布団運びで人気を博しました。1969年からは TBS ラジオの『ミュージックプレゼント』に出演し,50年以上続く長寿番組に育てています。本日のお客様はシニア世代から絶大な人気を誇る毒蝮三太夫さんです。
―という事でスタジオには毒蝮三太夫さんをお迎えしています。
―イヤイヤ..久しぶりだな,光。
―ジジィ,生きてたか。。
―イヤイヤ,あの世から戻って来たよ(笑) ...だけど,光はこのTBSラジオで,日本中全部の金を集めようとしてんな?この野郎...
―(笑)もう,国家予算の5倍位ギャラ貰ってますから(笑)
―じゃあ,予算の無駄遣いしてる岸田総理の事悪く言えねェなァ?この野郎(笑) マァとにかく元気で何よりだ。
■TBSラジオ黎明期
―(笑)それこそ御年85歳。僕と喜入君で話してたのは,今年12月でTBSラジオ創立70周年じゃないですか? 創立70周年ってことは,毒蝮師匠が15歳の時にTBSラジオが突然出来たような状況だったんですか??
―当時,TBSラジオは毎日新聞社の5階にあった。だから国鉄の有楽町駅で降りて,毎日新聞社の5階に行くと,そこは新聞社だから,輪転機が廻ってるんだ。そのインクの匂いがするところの脇をエレベーターで上がってって,TBSラジオ/ラジオ東京のスタジオに入った。当時俺たちが出演してたのはラジオドラマだった。それで昭和26年にTBSラジオができて,今年の12月24日に創立70周年だ。
―その時は学生ですか?
―学生だった。赤坂にTBSのテレビ局が出来て,有楽町のTBSラジオからテレビ局までシャトルバスが出ていた。
―今は有楽町のラジオ局といえばニッポン放送だけど,最初は有楽町だったんですね?
―そう。だから当時はTBSラジオとニッポン放送が並んでたんだ。それからテレビ局のある赤坂にTBSのラジオ局も移転した。移転当時は,収録で赤坂に行っても喫茶店がない。付近には地下鉄の駅もなくて,最寄りの駅が地下鉄・赤坂見附駅と,都電の駅だけ。今じゃTBSと地下鉄が繋がってるけど,駅が出来た当時は『ラジオTOKYO』で久米宏が「地下鉄の駅が出来ました!TBSラジオに入って来ます!」って中継したよ。嬉しかったよ。だって地下鉄乗って,濡れないで局に入れるんだから。それ以前は,局から地下鉄・赤坂見附駅まで10分ぐらい歩いていくと,駅の周辺に呑み屋が沢山あるじゃない?パチンコ屋やら焼鳥屋やら賑やかだ。だからTBS社員は駅に着くまでにあちこちで呑んだり打ったりしていた。
―(笑) で蝮さんが初めてラジオのレギュラーを持つのはいつ頃だったんですか??
―それは,有楽町時代のTBSラジオで『東宝アワー』っていう時間帯のラジオがあって,その中で『うちの父ちゃん』ていうラジオドラマのレギュラーを演ってた。俺が大学一年生の頃だ。
―凄。で次にラジオドラマじゃなくて,師匠がおしゃべりとか外回りのレポートとかそういうので出るようになるのは何歳位ですか?
―それはね...もともと俳優なんだからラジオドラマに出るのは当たり前だよね?7年位続いたラジオドラマのレギュラーが終わって,でTBSテレビで『ウルトラマンセブン』が始まって,で立川談志に頼まれて,1年半位『笑点』で座布団運びやった。
―その時の逸話で聞いてるのが,テレビ観てる人が区別つかない時代だから,「何でウルトラセブンで地球を守ってるヤツが座布団運んでるの??」ってTBSに抗議の電話が殺到したという....
―そう。TBSに抗議の電話が山と来た。『ウルトラマンセブン』も『笑点』も放送が日曜日だったから。『ウルトラマンセブン』は日曜日の5時頃やってたんじゃない?「バルタン星人ハ地球ヲ乗ッ取ルコトニ....」「おい!アラシ隊員しっかりしろ!」みたいな役演ってて,その後の番組で座布団運んでる訳だからさ。だからどっちも石井洋司じゃマズい,その時に仮の名前つけようとしたのが「毒蝮三太夫」だった。
―座布団運びも「石井洋司」じゃマズくてつけた名前が,つけもつけたり「毒蝮三太夫」!
―それで,「アラシ隊員が出てる」って,『笑点』の後楽園ホールの収録で子供がたくさん観に来ちゃった。それで光の大師匠の円楽さんとヨネスケさんが,俺の座布団運びのアシスタントやってくれてて。で俺が座布団運びにステージに出ると,最前列に座った子供が「ワーイ!アラシ隊員!」って大騒ぎをやる。そうすると円楽さん達が「うるせぇな! ガキが観る番組じゃねェ!」って怒っちゃう(笑) 談志さんも怒ってる。「うるせぇガキ!...そうか。。蝮がいるから来ちゃうんだ」ってなる。で談志さんが俺に「オマエ,一人舞台をやれよ。怪獣ドラマなんてすぐに廃れるからヨ」って言うんだけど,でも結局怪獣ドラマは廃れなかったけどね?いずれにしても別名の「毒蝮三太夫」で座布団運びを嫌嫌やっていた。
■『ミュージック・プレゼント』時代
―で『笑点』『 ウルトラマンセブン』終わってからTBSラジオのレポーターですか??
―うん。当時のTBSラジオの周波数は95.4Hzじゃなくて95.0Hzだった。95.0のラジオ・カーが出来たから,これに誰かレポーターを乗っけて動かそうってなって。当初はレポーターは月絵燕京さんの予定だった。「午後二時の男」聴取率8%の男・燕京ですよ。だけど,燕京さんが文化放送以外の他局で演るっていうのはゴタゴタがあって(笑)引き抜けなかった。で燕京が駄目で俺にレポーターの話が来たけど,「出来ない」って断った。で暫く経って「俺の言葉で喋るようにするよ」って「ババァ」とか言い出した。
―ある意味,ドラフトで言うと「外れ一位」みたいな感じですか?本当はドラフト一位の月絵燕京がほしかったんだけど,「替わりの元気いいのいないか?」ってなって.....
―その時に,スーパースーパーマンのジミーオルフェの吹替やってた高山栄から,「TBSラジオの番組の麻雀大会の面子が足りない,来てくれ」って言われて。その麻雀のメンバーの中にディレクターがいた。「毒蝮??ヘンなヤツがいるな。。」って当時のプロデューサーに言ったら「使おう」ってなって。で8月にテスト版録って10月放送開始。でも俺は「やったってうまくいかないだろう」と思ったら,「やります」って採用が来た。そういうことでやったんで。それが2〜3年経った後に「ババァ」とか「くたばり損ない」とか「賞味期限切れ」とか言いたい放題に言ったのが当たって。それが今に至る訳。
今サ,逆に光に訊くけど,俺は本当は俳優ですよ?お婆さんって,ババァに「ハイユウって廃油でしょ??」って訊かれたり(笑)してたけどサ,俺の喋りがこんなに永く続くとは思ってなかったけど,何なの? オマエは何だと思うの??
―今,「ジャンルとしては俺は俳優」って言うじゃないですか?というか「毒蝮三太夫」っていうジャンルですよ。僕らが芸で「ババァ」って言葉でウケるなら使ってみようと思うじゃないですか??一発でクビです。
―「くたばり損ない,汚ねぇババァだな」「この店,もう潰れそうだな」って言ったら本当に潰れた店だったんだよ(笑) でもね,俺はそれを他の芸人には勧めないよ。俺だから言えるんだよ。何故言えるか?っていったら,俺の知性と美貌があるからだよ(笑) それからね,ちゃんと面と向かってるから言えるんだよ。
―そうですね。そうですね。僕はいつも言うフレーズを覚えてて,いつも言うんですけどね,「ババァ,もうボケてるんだから死ぬのも忘れちまえ」って。これはボケてる人にとても温かい言葉だと思う。今の世の中で,ましてキャリアのない人間がこれを言えば,表面上のことを言って怒られるし,相当の抗議を受けるんですけど。
―。。俺はね。。一番の原因は,今の芸人はそういうところが一寸浅いんだよな。ウケようと思って言うからいけないんだよ。俺はウケようと思って言ったんじゃないんだから。本当だから言ったんだから(笑) 汚いババァだから。それから,光は荒川区か。俺は住んでる土壌が,吉原の草履屋や遊郭の息子やなんかと一緒に育って,下世話な所にいて,「ババァ」なんて言葉は地についてた。近所のババァが「ババァ」なんて言わなきゃ返事しないんだから。「お祖母様」なんて言った日には「早慶戦じゃないよバカ」なんて言われちまう(笑)  だから俺は生活に染み付いた当たり前の言葉で言った訳。だから,俺が言ってることは「アァそうなんだな」ってみんな納得してくれるから,だから笑ってくれたり,それで木梨憲武や玉袋筋太郎やオマエ/伊集院光やナイツが「会いたい」とか「話聞きたい」とか,寄席に呼ばれたりっていうのは,そうか。。俺は二刀流の大谷と同じで,今日は打つ方でやってください,明日は化ける方でやってくださいっていう。
―じゃあ,そういう才能がない人間が、形だけ二刀流やったって,クビになるんです。結果は出ない。でもそれは元気でやらないと「あの二刀流,錆ついてんな」って話になりますから。
―だよな?だから今日もオマエら俺を調べてる訳だよな?リトマス試験紙だ。「アァまだもつな」という。。ヤバいな。。じゃあ俺も元気で行かなくちゃと思うという。。.......

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21.12.16   
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大沢悠里のワイド番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』が終わって『伊集院光とらじおと』がはじまって,大きな世代交代がおきたのが2019年だったんかな?そういう意味で,今回の伊集院光と毒蝮三太夫のトークは,先代と後釜の,何というかヒリヒリ感があった回だった。。
TBSラジオの黎明期から続いてきた毒蝮三太夫,小沢昭一,永六輔,大沢悠里といった往年のラジオスターによる構成から次世代のそれに変わったのは,必要にかられてという部分が大きいだろうけど。マァどんどん世代が変わるのはそういうものだと理解するしかない。
2019年頃か,記憶が曖昧だけど,夜のプロ野球中継を全面廃止してその時間をパーソナリティ宇多丸によるカルチャー紹介番組『After 6 Junction』に充てたというのも大きい変化だった。2020年頃から,伊集院光,宇多丸,荻上チキの3パーソナリティを主軸にした構成になってきた印象がある。結果として,TBSラジオは昭和の名ラジオスター時代の『ステレオタイプ的ラジオ』『ラジオ的ラジオ』のイメージから,独創的パーソナリティによる『深掘り的ラジオ』にイメージが変わった。個人的には。1990年代から続いている伊集院光の『伊集院光の深夜の馬鹿力』は当時はTBSの中では割と異色なトガった番組だったけど(深夜番組だからだけど),今は,TBSラジオのメインのカラーがそっちに移行してる感じさえ持っている。
『アクション!』は曜日ごとのパーソナリティが各々の企画を実現していくという同時期2019年に始まった番組だったが長くは続かなかった。尾崎世界観,宮藤官九郎などが各曜日を担当していて,武田砂鉄はそのうちのパーソナリティの一人。ライターならではの独創的な内容で面白かった。今は『アシタノカレッジ』金曜日版でパーソナリティをやっている。
まァ「マスゴミ」論はあるにはあるが,個人的には,自分自身が「面白い」と感じているそっちの感覚のほうを重視したい。

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