[五島列島] 奇人の城〜水木しげる『不思議旅行』


 [五島列島] 奇人の城〜水木しげる『不思議旅行』
水木しげる『不思議旅行』
奇人・変人
奇人変人バカの内という言葉があるが,どうもこの世の中で楽しそうにくらしている人たちには,奇人変人のたぐいが多いみたいだ。どうしたわけか昔からぼくは,この奇人変人さんたちと縁が深く,あるときはやれアシスタントにしてくれとか,また別のときには意味もなく,家に押し寄せられたりして手を焼くことがある。なかには奇人変人の本格派もいて,踏みとどまるべき最後の一線をとうとうこえてしまって精神病院に入ったけれど,それでもまったくなおらず,あげくのはてはウワゴトみたいに「ミズキ…ミズキ」 と叫ぶから家族としても,こりゃあ何か神秘的なつながりでもあるんじゃなかろうかというので連れてきたケースもあった。もっともぼくのところにいたアシスタントのなかにも,すでに二,三人ほど病院のお世話になっているのもいるから,浅からぬ因縁があるのかもしれない。
それはともかく,変人さんというのは何かしら妖怪に似たフシがあって,そのどれかにあてはまるようにも思えるのだ。だからぼくは,妖怪のモデルには恵まれていたことになる。
僕の描いた『ゲゲゲの鬼太郎』の中に吸血鬼エリート"というのがいるが,じつはあの主人公のエリート,しばしばわが家に模型の軍艦を持ってきてくれた熱烈なファンがモデルなのだ。彼は国内で発刊されたマンガはひとつ残らず保存しているほどのマンガ狂で,ひとの目の前に突然あらわれる特技を有していた。その日も巨大な航空母艦のプラモデルをかかえて,不意に出現した。
「きょうはまたどうしたんです」
と訊くと,ニヤニヤ吸血鬼そっくりの歯をむき出して笑い,
「ちょっと驚かしてやろうと思ってね」
とおもむろにオーバーの下から,もっと大きな軍艦のプラモデルをひっぱり出した。 あまりの大きさにびっくりしていると,彼はいよいよ満足げに吸血鬼のような口を大きくあけて,ニターと笑う。その瞬間,ぼくは「これだ!」と思ってエリート氏をこしらえたのである。彼には悪いが,あのときの様子は奇人というより半妖怪といったほうが,本当にぴったりの感じだったのである。
四,五年前に出会った五島列島の奇人さんは,もう年寄だった。福江という所の町はずれに,奇妙キテレツな家が建っている。あまり変な形をしていたからこの家を建てた人の心も,きっと奇怪だろうと思って近所の人にたずねてみると,
「ああ,あのおじいさんはねえ。海岸で丸太に彫られた仏さんを見つけて,なんでもその本堂を建てるっていうんで,かれこれ十年ほども,ああしているんですよ」
どうやらそのおじいさんは,何かの命令に従って,やらねばならんという気構えらしく, 家族が咎めようががどうしょうがを言うことをきかず,いわば至福の状態で作業にうちこんでいる。そうこうしている間に身内のひとも一人り二人逝って,おじいさんだけが残ってしまったそうだった。老人はときどき托鉢してくらしていると近所の人はいっていた。
妙な丸太にとりつかれたおじいさんを訪れてみようというので,変てこな本堂の前で声をかけたが,どこからか返事はあれども姿は見えない。キョロキョロしているうちに,ようやく上から声が降ってくるのに気がついた。五島列島の変人さんは作業の中だったのである。おじいさんは,ボロボロの破れズボンをじかにいただけの格好で,高い所で仕事をしていた。それをまともに見上げたからたまらない。裂け目からはみ出した睾丸やら肛門やらをもろに見るはめになったけれど,彼は本格的な奇人らしく,そんなことには一切かまわずに,じつに堂々とぼくの前におりてきて,礼拝堂とおぼしきあたりに案内してくれたのだ。そこには賽銭があちこちにちらばっていた。仕方なく輝くも千円ばかり奉納すれば,おじいさんの目には同好の士と映ったのか,まるで十年来の知己に話しかけるみたいに,綿々とこの奇怪な家の建設に至るまでの歴史を語りはじめたのである。
その物語にあまりに長くて,聞いているだけで十年以上かかってしまいそうな気配で,後半のほうはあとでうかがうことにして,早々に逃げてきたのであるが――。
思いかえしてみると,あのおじいさん 『子なき爺』に似ているのである。『子なき爺』っていうのは四国の山中にいた妖怪で,顔はシワくちゃのじじいだけど声は赤子そっくりに「オギャー」と泣く。かわいそうに思って抱こうとするとその途端,急に重たくなってかじりつき,相手が死ぬまで離れないというシロモノである。顔つきは違っているが,あのじいさん,ココロの中はなんだか『子なき爺』みたいだ。いやひょっとしたら,丸太にとりついていた『子なき爺』 がじいさんにのり移ってしまったのかもしれない。
十二,三年も前のことだが,帰宅すると,見知らぬ小柄な男が,ばかに親しげに出迎えてくれたことがあった。その小男はぼくをみるなり,
「私は『ゲゲゲのゲ』という本を出しているものですが…ヒヒヒ」
と奇怪な声を出して笑う。 風変わりなこの相手の正体も,ぼくを待っていた目的もわからないし,適当にあいづちをうってさぐりを入れてみようと,
「変わった名の本ですねえ,するとあなたは評論家ですか」
「いえ,絵描きです」
と持っていたスケッチブックをさし出した。手にとってみれば,中には女性のシンボルが克明にぎっしりと描いてある。
「こんなもの描いてちゃ,売れないでしょう」
「いや,売れんでもいいのです。 私は怪奇とセックスだけにしか興味を感じない人間ですから」
小男はすまして答える。じゃあ,どんなふうにして暮らしているのですか,といちおう尋ねてみたら,
「食うほうは大丈夫。私は一週間くらいの断食はしょっちゅうやってます。 それに断食すると,胃もよくなりますしねえ。家にしたって,ここと決まったものはいらないんです。岩手の山奥に行ったり,九州の炭坑に行ってみたり,長野の山の中でせせらぎの音をきいていたりしています」
「なにもせずに日本中を旅行なさっているところをみると,お金持ちなんですね」
「いや一銭もありません。ただ歩くのです。腹がへったら,畑の大根でもとって川で洗って食べるのです。新鮮でなかなかうまいものです」
ぼくは,へー,と感心しているばかりである。
「まあときには,ニコヨンをすることもありますが,金を使わず,自由にしたいことをしとります」
「いったい何年くらい,そんな生活をしてるんです」
「八年ほどになりますかな」
そのころのぼくは,二十年近く絵と作でメシを食っていたのだけれど,一日としてゆっくりくつろいだ気分にはなれなかった。 ところがこの男はそんなことにまるで関係なく,自由気ままに旅をし,好きなことをやって八年間もくらしているのだ。うらやましいやら妬ましいやら,しまいにはこの人,ほんとうの妖怪ではなかろうかと思ったほどだ。
そうして話をしているうちに,いきなり柱時計が二つ鳴った。さあ困った,もうこんな時間か。ぼくの家は狭いし,そのうえ,この得体の知れないお客人は汚ない恰好をしていて,少し臭うようだし。時計を横目にもじもじしているうちに相手もぼくの気持を察したのか,ようやく帰り仕度をはじめてくれた。
これ幸いと送り出してはみたものの,こんな時刻に電車の動いているわけはない。仕方がない,泊めてあげようと決心して,彼のあとを追いかけていった。ところが…いないのだ。いくらさがしても見つからないのだ。しまいには駅まで行ってみたが,だれもそんな人は見かけなかったという。家内も家の近くをずっと捜しまわっていた。やはりいなかった。まるで闇に溶けてしまったようだった。
「せせらぎとかいってたな。そういえば顔つきが小豆あらいという妖怪に似ていた……………」
何気なくつぶやいた自分の言葉に,一瞬,ぞっとするものを感じて,ぼくたちは顔を見合わせた。SFなんかで,宇宙人が人間の中に混じっているといった話をよく聞くが,妖怪だってそうかもしれない。人間みな同じだと思うのは間違いで,何くわぬ顔した妖怪が,ぼくたちの周りにはたくさんひそんでいるのかもしれない。

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