1590
天正18年(1590年) ,家康が江戸にはいった頃は,千葉実篤が築いた石浜城は既に廃されていたようだ。
石浜城址を今戸町とする説,待乳山・石浜神社付近とする説など諸説あるが,
いずれにせよ,利根川・入間川・荒川の流れが合する隅田川のほとりとする2,3の小丘陵が上野の高台との間に連続し,
「千束池」,「姫ケ池」,「達磨池」などもあって,当時の浅草はかなり見晴らしの良いところだったようだ。
かの「伊勢物語」の業平と言問の故事にみる隅田川の風情は,
江戸の町割が完備し,都市の景観をそなえてゆくにつれ,しだいにうしなわれていったと考えられるが,
近世はじめまでは,浅草も水辺の町であった。
―高橋真一,新東京歴史案内,
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