[東京神田] 東明館








東明館
駿河台下,明大前通りと靖国通りとすずらん通りの交差点,現在の三省堂の先の船先の感じになっている洋品店の「モントーク」の位置にはかつて「東明館(合集館)」があった。
すずらん通りは昔は九段への幹線だった「表神保町」の通りだった。靖国通りはむしろ「裏神保町」と呼ばれていた通りで,後に拡張されて幹線となった。
東明館は明治25年7月に開業した煉瓦造りの勧工場。「風俗画報」の口絵に描かれた,なかなかの風格の勧工場であった。神保町界隈で品数を揃えていた。
この東明館に対して東側の五十稲荷社その前には南明館と言う勧工場があってお互いに競い合っていた。
「勧工場」とは多くの商店が組合を作って,一つの建物の中に様々な商品を陳列して販売した場所を言う。
入口から傾斜した通路を上っていき,店内全て見られるように,ぐるぐると回りながら,入った時とは別の出口から出るようになっていた。現在のデパートのはしりであって,デパートの発達によって次第に衰え姿を消していった。
新撰東京名所図会-神田区之部,明治33年
東京路上細見一,林順信著,1987

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明治時代の駿河台下交差点付近
明治41年に撮影された駿河台下交差点、靖国通り。
「東明館」という看板の建物は、現在、豆本で有名な「呂古書房」などが入っている倉田ビル付近。
「東明館」は勧工場の一つ。勧工場とは明治政府の勧業政策によってできた常設の商品陳列所で日用品・雑貨などを販売していた。
名店街風の変形デパートといった体で、今日のデパートの前身というべきものだった。
その手前にはすずらん通りの入り口も見える。
信号が無い当時、左手前の青年の手には赤と緑の手旗が見え、交通整理を行っていた様子も分かる。

神保町へ行こう
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勧工場・勧業場(明治32年)▷東明館(神田神保町)

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1987
すずらん通り
駿河台下,明大前通りと靖国通りとすずらん通りの交差点交差点に面する三省堂のビル。
三省堂の横の船先の感じになっている場所には洋品店の「モントーク」がある。
この場所は,かつての煉瓦造りの勧工場・東明館の跡地。
三省堂のビルは創業100年を迎えた昭和56年4月に改築して立派になったが,元々は木造三階建てのなだらかな三角屋根を持つ本屋であった。
すずらん通りは昔は九段への幹線だった「表神保町」の通りだった。
靖国通りはむしろ「裏神保町」と呼ばれていた通りで,後に拡張されて幹線となった。
すずらん通りを約250m歩くと,白山通りが横切って,その先には桜通りが約230m続く。空に後楽通りを渡って200mほど行くと日本橋川の川岸に出る。
この一直線の通りは江戸時代からの古い通りである。
江戸時代の地図には「表神保小路」と記されている。
名付親の神保伯守[じんぼうほうきのかみ]という500石の旗本の屋敷がさくら通り入口の辺り(岩波シアター辺り)に面していた。
すずらん通りを含む現在の一丁目は,靖国通りを挟んで
北側が偶数,
南が奇数
の番地となっている
住所変更表示変更に伴う番地決定の際に,靖国通りの両側の住民がお互いに番地が後になるのを嫌がったために,このような変則的な番地になったそうだ。だから番地を目当てに探そうとすると困ったことになる。
靖国通りの南側に当たるすずらん通りの両側には,飛び飛びに奇数の番地が続いている。
すずらん通りに面する商店は明治から新たに開けた一橋や駿河台のアカデミックな街の成り立ちを反映して,書店,出版社,文房具店が並ぶ。
そろばん屋や紙屋の老舗もある。
関東大震災前まではすずらん通りは盛り場であって,通りを南に一歩入ったところには戦前まで寄席の「花月」があった。
現在,立体駐車場になっている場所には当時では珍しい洋食の「須田町食堂」があって,花月で講談を聞いて,須田町食堂でとんかつを食べるのは流行りだったのである。
すずらん通りの中ほどに「東京堂書店」と向かい合って目下建築中の「冨山房」がある。
冨山房の西隣,東洋風な手すりのあるビルは現在「東洋時計商会」となっているが,戦前は「中華第一楼」のあった所である。
その先のその先の角にある「宮田紙商会」の店舗は,店主自らの設計による傑作であったが,先年白タイルの新ビルとなった。
繊細で焼ける前までは立派なステンドグラスの窓はあったが今も保存してあるという話である。
すずらん通りの外れから2件目大きなそろばんの形をした立体看板を掲げているのは「さつまや」である。
創業70年以上の天下一ソロバン販売店である1000円の学童用そろばんから4万円の名人作そろばんまで1800種類もそろばんを取り揃えている店内は天井が高く神社の祠をかたどったケースの中に,そろばんが所狭しと並んでいる。
そろばんは亀の子たわしなどで手入れすると具合が良いとされる。
「三慶商店」は元々は楽器屋であったが今は美術道具商である。
その北側にある「高岡商会」は鉱物・生物見本・標本を売っている
一度天然記念物の標本を売ったために検挙されたことがあった。
ただし高岡紹介に責任はなかったので無罪となった。
ラーメン屋「礼華楼」は
ラーメン一杯280円,
カレー350円,
中華丼380
ととにかく量が多くて安い。
すずらん通りには面してはいないが,書泉グランデ裏の「ラドリオ」という店は作家や編集者のたまり場として有名。
ラドリオと同じ経営者のタンゴ喫茶「ミロンガ」も神保町にあるが,こちらは五木寛之の「夜明けのタンゴ」の舞台となった店である。経営者の島崎愛子さんは私の幼友達だ。
またすずらん通りの喫茶店「青銅」や靖国通りの北側にあるバー「忍」も北方謙三をはじめとする作家たちがよく利用する店だ。
しかし,今改めて見直してみると戦前のままの建物は数えるほどしか残っていないことに気がつく。
日頃から古雅な外観が気に入っていた「文房堂」の店内を覗く。
1階は画材と文房具,
2階は版画・彫刻の制作用具,
3階は額専門
となっている。
2階の画材や文房具が並ぶ中に,リトグラフ用のプレス機が2・3台置いてあった。一つは昔風の重厚な鉄製のプレス機で,私が全力を出しても微動だにしない。
この文房堂の建物は関東大震災前の大正10年(1921年)に建てられた。天井が高くて床がしりしていて,これほど重い機械が何台あってもビクともしない。
文房堂を出る。左に折れて,すずらん通りから文房堂脇の細道をゆく。文房堂の3階建ての土蔵が左に見えている。
すずらん通りから左に入ったこの辺り一帯は昔「神田村」と呼ばれていたところだ。
図書取次店がひしめきあっていて,店先には雑誌や新刊書が色とりどりの表紙を見せて平積みされていた。顧客の探している本や追加注文の雑誌を仕入れる書店員たちがそこかしこを自転車で走り回っては,仕入れた本を荷台に積んでいた。
新撰東京名所図会-神田区之部,明治33年
東京路上細見一,林順信著,1987

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